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北陸トンネルと笹子トンネルの事故から50年と10年、長大トンネルの安全と維持を考える

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
NEXCO中日本のHPより

北陸トンネル列車火災事故から50年

 50年前の1972年11月6日、午前1時4分ごろに、北陸本線の北陸トンネルを走行中の大阪発青森行きの下り急行「きたぐに」の11号車の食堂車で火災が発生しました。「きたぐに」には、約760人の乗客がいましたが、乗務員を含む30人の死者と714人の負傷者がでました。死因は、一人の溺死者を除いて一酸化中毒でした。福井県の敦賀駅と南今庄駅の間にある北陸トンネルは、1962年に完成し、当時日本で2番目に長い13.87kmの長大トンネルでした。

 出火後、運行マニュアルに従って列車は非常停止し、消火器による消火が試みられましたが、消火できず、火災車両から他の車両を切り離して脱出を試みると共に、トンネルの両側の駅に救援を依頼しました。ですが、後側の車両は切り離せましたが、前側の車両の切り離しに手間取り、停電のため運転ができなくなりました。停止位置が敦賀口から5.3kmの位置だったため、坑口までの距離が長く、避難誘導は困難を極めました。救援列車が救援に向かいましたが充満した煙に阻まれ列車に近づくことができず、消火活動はせずに避難する乗客を乗せて引き返すことになりました。

 事故後の調査から、車両が燃えやすい材料だったこと、運転マニュアルに火災時の列車緊急停止が定められていたこと、トンネルの火災対策が不備だったこと、トンネル内の換気・排煙設備がなかったこと、停電時にも利用できる動力車がなかったことなど、複合した原因が指摘されました。

 長大トンネルだったのにもかかわらず、短いトンネルの時代に作られた「火災発生時は列車停止」というマニュアルになっていました。また、国鉄は、電化されたトンネルでは火災は起きないと考え、消防機関からの指摘にもかかわらず対策を怠っていたようです。

 事故後は、車両を難燃化したり、消火器・非常灯を設置したりし、トンネル内火災ではトンネルを抜けるまで停車しないようマニュアルを改訂しました。また、長大トンネル対策として、救援用動力車の配備や排煙設備の整備が行われるようになりました。

 北陸トンネル列車火災事故と同様の長大トンネルの道路火災事故として、1979年7月11日に、東名高速道路の日本坂トンネル下り線で日本坂トンネル火災事故が発生しました。多重の自動車衝突事故によって発生した車両火災です。7人が死亡、2人が負傷し、173台の車両が焼失しました。1970年代に発生した北陸トンネル列車火災事故と日本坂トンネル火災事故の教訓は、その後のトンネルの火災対策に大いに生かされました。

笹子トンネル天井板落下事故から10年

 今から10年前の2012年12月2日の8時3分に、山梨県大月市にある中央自動車道の笹子トンネルで、換気ダクト用に設置されていた天井板が約138mにわたって崩落し、走行中の車が巻き込まれて、9人が死亡、2人が重軽傷を負う事故がありました。笹子トンネルは、1972年に着工し、1975年に完成、1977年12月に開通した長さ4.7kmのトンネルで、大月JCTと勝沼ICの間に位置します。天井板の崩落があったのは東京側の坑口から1.5km付近の上り線です。

 落下したのは、5m×1.2mのコンクリート板で、約270枚が落下しました。天井板は左右に2枚あり、トンネル上部の覆工コンクリートから金具で吊られていました。この金具のボルトは覆工コンクリートにアンカーされていましたが、これが抜けたようです。左右の天井板の上部は隔壁で仕切られ、一方が送気、他方が排気のダクトの役割をしていました。これは横流換気方式とよぶ換気システムで、他の高速道路でも使われていました。天井板の下敷きになった自動車から発火しましたが、天井板の落下で換気システムが機能しなくなったため、トンネル内に煙が充満することになりました。

 国土交通省は、事故後に「トンネル天井板の落下事故に関する調査・検討委員会」を設置して事故調査を行い、アンカーの引き抜き試験などを行った結果、引き抜き耐力が不足するアンカーが多数見つかりました。ボルトの強度不足や接着部の劣化などが原因だったようです。トンネル開通以降、ボルトの定期交換や補修が行われていなかったことや、点検の杜撰さなどが指摘されています。この事故の後、同様の天井板を持つ高速道路では、緊急点検を行うと共に、天井板を撤去する事例もありました。

インフラの新たな老朽化対策

 中央自動車道は1982年11月20日に全線開通し、事故が起きたのは30周年の記念行事を終えた直後でした。事故の2週間前の2012年11月22日には、名古屋市内で中央自動車道全線開通30周年記念講演会が開催され、私も「巨大地震に備えて~今何をすべきか~」と題した講演をさせて頂きました。全線開通から30年、トンネル開通から35年で、本格的なメンテナンスが必要な時期でもありました。

 実は、事故直前の2012年8月29日に、国土交通省に社会資本メンテナンス戦略小委員会が設置されていました。高度成長期に多数建設された社会インフラの老朽化が問題になり始めた時期です。ここでは、社会資本の実態を踏まえた将来の維持管理・更新費の推計と施設の長寿命化等によるトータルコストの縮減など、社会資本の維持管理・更新のあり方について検討が行われることになっていました。

 事故を受け国土交通省は、省を挙げて老朽化対策に取り組むため、2013年を「社会資本メンテナンス元年」と位置付け、同年1月に国土交通大臣を議長とする「社会資本の老朽化対策会議」を設置しました。その後、小委員会で10年にわたって検討が続けられ、『総力戦で取り組むべき次世代の「地域インフラ群再生戦略マネジメント」~インフラメンテナンス第2フェーズへ~』と題した提言がまとめられました。

 先週11月1日に開催された社会資本整備審議会・交通政策審議会技術分科会第30回技術部会でこの提言が承認されました。提言では、財政難、人材不足の中、社会インフラの維持のため、分野や地域を越えて、インフラをより広範な視点からマネジメントする概念として「地域インフラ群再生戦略マネジメント」が提案されています。示唆に富む内容で、一読をお勧めします。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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