南海トラフ地震での人的被害予測は

 最大クラスの南海トラフ地震が起きた場合の人的被害は、最悪、32万3千人の死者、62万3千人の負傷者が予測されています。万一このような被害が出ると、医療現場では医療資源が全く足りなくなります。まず、何よりも人的被害を減らすことが重要で、危険回避の高台移転や建物の耐震化などの事前対策に全力を尽くす必要があります。ですが、事前対策には時間を要します。地震発生時に多くの命を救うためには、災害医療の力が必要です。そのためには、医療機能を確実に継続することが必要になります。ですが、それには多くの障害があります。課題を一つずつ克服していく必要があります。

病院の適正な立地と耐震化

 南海トラフ地震の被災地に立地する災害拠点病院は、確実に強い揺れに見舞われます。幸い、病院の耐震化が精力的に行われ、倒壊するような病院は減りました。ですが、強い揺れを受ければ、建物の構造躯体は無傷とは言えず、建物の継続使用が困難な場合もあります。

 建物の揺れそのものを減じる免震構造の場合には、機能継続が容易ですが、壁が少ない中層のラーメン構造の建物は、強い揺れに対して構造損傷を前提にした耐震設計が行われており、建物の継続使用が困難な可能性があります。また、強い揺れで、間仕切り壁や天井などの内装材の脱落・落下や、設備・機器の損傷も考えられます。古い建物の場合には、耐震補強をしていても基礎の補強はしないので、基礎の損傷が懸念されます。

 揺れに加えて、液状化や浸水、土砂災害などの心配もあります。軟弱な地盤では液状化の危険度が高く、ライフラインの途絶が心配されます。また、津波危険度の高い場所や海抜0m地帯では浸水の可能性があります。長期湛水した場合には、籠城の覚悟が必要です。丘陵地でも、強い揺れによる崖崩れ、地滑り、堰止湖の決壊による土石流など、様々な土砂災害にも気をつける必要があります。

 残念ながら、災害拠点病院の多くが、地震危険度の高い場所に立地しています。十分な備蓄や、医療設備や診療スペースの移設、地震後の物流・人流の確保など、立地特性に応じた対策が必要です。

ライフラインの途絶対策

 最近発生した明治用水の漏水や、電力のひっ迫、通信障害の問題などを見ると、病院機能の継続に不可欠なライフラインも万全ではないと感じます。平時でも問題が生じるのですから、南海トラフ地震発生時には、これらの長期途絶を前提にした対策が不可欠です。そもそも、浄水・送水、発電、燃料生産は、相互に依存していて、どれかが止まるとすべてが止まります。通信、公共交通、道路も同様です。水、電気、ガスなどのライフラインは、外部の事業者に頼っており、対策ができるのは構内設備だけです。内閣府の被害予測調査によると、南海トラフ地震発生時には、最悪、2710万軒の停電、930万回線の固定電話の不通、3440万人の断水が予想されています。水の備蓄や井戸、非常用発電機や太陽光発電や蓄電器の整備が必要です。また、酸素、窒素、血液、医薬品、医療材料、リネン、食材などは、物流や個々のサプライチェーンに依存しています。仕入れ先の安全対策を日ごろから確認しておくと共に、代替品の仕入れ先を確保したり、十分な備蓄をしたりしておく必要があります。

病院内の設備

 病院内には、病院の環境や機能を維持するための様々な設備があります。エレベーターやエスカレーター、空調設備、電気・通信・ガス・酸素・水道・下水などの設備や配線・配管、サーバー設備、貯蔵設備、厨房設備、減菌設備、冷凍・冷蔵設備、井戸などの多様な設備があります。日ごろのメンテナンスが鍵を握りますが、とくに重量設備の場合にはアンカーなどの耐震対策を確実にする必要があります。さらに、地震後に素早く設備を修理し、代替設備を確保できるよう、部品の確保やメンテナンス業者との事前調整を進めておく必要があります。とくに、エレベーターが停止すると、患者の上下階の移動や様々な物品の院内配送が困難になります。緊急地震速報と連動した地震時管制機能や、エレベーターの早期復旧の方法などできる限りの対策を進めておくことが望まれます。

病院内の医療機器

 病院内には様々な医療機器があります。人工透析装置や、人工心肺装置、人工呼吸器などの生命維持装置の多くはキャスターで支持されています。日ごろからキャスターをロックする習慣を身につけておかないと、災害時には機器が走り回り、互いにぶつかったり、生命維持に必要な線や管が外れたりします。

 手術室や集中治療室には、重要な医療機器が沢山あります。これらの耐震対策を常に確認すると共に、電源プラグが緑色コンセントや赤色コンセントに接続されているかを確認する必要があります。緑色コンセントは無停電非常電源に、赤色コンセントは自家発電装置回路に接続されており、緑色は停電時にも電気がそのまま供給され、赤色は一旦電源が落ちた後にすぐに復電します。緊急地震速報の高度利用者になることで、揺れの猶予時間に応じた応急対応ができるので、導入を検討することが望ましいと思います。さらに、高度医療に不可欠なCT、MRIなどの医療機器は、地震時にも損傷しないような万全な対策が必要です。

 また、至る所にPCがありますが、PCの耐震対策や無停電装置などが不十分な状況が散見されます。近年は、電子カルテを始め、情報システムは医療になくてはならないものです。サーバーの耐震対策やデータベースのバックアップを確実にすることが肝心です。

多様な医療従事者の確実な参集

 病院の維持には様々な組織が関わっています。理事長や病院長などの管理者、医師や看護師が所属する診療部や看護部に加え、薬剤師が担当する薬剤部、臨床検査技師が担当する検査部、放射線技師が担当する放射線部、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・視能訓練士・義肢装具士などが担当するリハビリテーション部、管理栄養士・栄養士・調理師・調理人が食事を供給する栄養部、人事・経理・庶務・総務・施設・用度などの病院運営を行う事務部門、入退院の手続きや保険請求業務を行う医事部、情報システムの管理や診療情報の管理を行う情報管理部など、多くの組織が一体となって運営されています。

 チーム医療が基本になった今、医師のリーダーシップの下、コメディカルと言われる様々な医療従事者がいなければ医療活動はできません。看護師や薬剤師、助産師に加え、血液や尿、便などの検体検査や、採血、脳波や心電図などの生体検査を行う臨床検査技師、レントゲンやCTスキャンなど放射線を扱う診療放射線技師、運動療法を行う理学療法士、日常動作の回復維持を行う作業療法士、言語機能の維持向上を行う言語聴覚士、医療機器の操作・管理を行う臨床工学技士、栄養指導や給食管理・栄養管理を行う管理栄養士・栄養士、診療情報の管理を行う診療情報管理士、精神疾患者の対応をする精神保健福祉士など、様々な技能を持った人たちや事務部門の人たちが分担して医療活動を担っています。

 これらの方々が、それぞれの家庭での地震対策を万全にし、何らかの手段を使って確実に出勤することが必要です。さらに、医薬品商社、医療材料商社、清掃業者、警備業者など様々な外部の人たちが病院を支えていることも忘れないでおきたいと思います。

 さらに患者さんが来院できなければ、病院経営も成り立ちません。そのためには、公共交通や道路交通が維持されていることが基本になります。

 このように考えると、南海トラフ地震後の災害医療の継続に多くの困難があることが分かります。医療機関の地震対策を万全にするよう、一つずつ課題を克服すると共に、地震後に医療機関の世話にならないようにするため、すべての人がケガをしないための地震対策を進める必要があります。