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耐震のはなし 沖縄返還と地震地域係数、南海トラフ地震防災対策推進地域の四国や沖縄の地震危険度の低減

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:イメージマート)

沖縄返還50年と耐震基準

 南国・沖縄に出かけると、建物の風情が少し違うことに気が付きます。柱が細く、ピロティ(建築物の1階部分を柱のみで支え、通り抜けできるような建築様式)の建物が多いように感じます。今年は、1972年5月15日に沖縄の施政権がアメリカから日本に返還されて50年を迎えます。実は返還の3日前に、建設省から昭和47年建設省告示第938号が出されました。これは、1952年に出された昭和27年建設省告示第1074号を改正したもので、沖縄の返還に伴う耐震基準の特別措置が書かれています。少し分かりにくく書かれていますが、要は、沖縄の建物は一般の地方の建物の半分の耐震性で良いと書かれています。その後、1978年に昭和53年建設省告示第1321号によって、沖縄の例外規定は削除され、建物の耐震性が半分から7割へと強化されます。ですが、それでも一般の地域に比べて、耐震性が3割も劣っています。どうしてこういうことになったのでしょうか。

地域による耐震性の差

 そもそも、昭和27年建設省告示第1074号は、1950年5月24日に制定された建築基準法に関わる告示です。1950年11月16日に作られた建築基準法施行令の第88条に規定される水平震度の数値を減らす基準が定められています。水平震度とは、建物の揺れの強さを、建物の水平加速度応答と重力加速度の比として示したものです。施行令88条では水平震度を0.2と定めていますので、建物が200Galで揺れたときに構造的な損傷がない(建物各部に生じる応力が許容応力度以下になる)ことを規定しています。

 この告示には、建物の構造や地盤の硬軟、地方による水平震度の低減の一覧表が掲載されています。後者は地域による地震危険度の差を示しています(以降、地震地域係数と呼びます)。三大都市の東京、大阪、名古屋周辺の地域を1.0とすると、その周辺は0.9、北海道の一部や山口県、九州は0.8に低減できるとしています。本来、建築基準法は最低基準なので、私は、最低の値をさらに低減する考え方には違和感を持ちますが、人口の集積度や地域による地震危険度の違いを勘案したものと思われます。

地震地域係数

 地域によって地震地域係数が異なる根拠は、東大地震研究所の河角広が1951年に作成した河角マップにあります。これは、古文書などに記された有史以来(西暦 679 年から1948年)の歴史地震資料に基づいて、75年間、100年間、200年間に想定される最大加速度を統計的に示した地図です。ただし、古文書は時代や地域によって偏りがあることに問題があります。千数百年の資料しかないことから、短い期間で繰り返し起きる地震が重視され、地震発生間隔が千年を超える活断層による地震や、歴史資料の少ない京都から離れた地域の地震は十分に考慮されていないと考えた方が良いと思います。

 その後、より精密なマップが作られ、1978年に昭和53年建設省告示第1321号が出されました。この時に、沖縄県に対する例外規定は除かれ、地方による低減の一覧表の中に、沖縄県は0.7と記されました。関東、中部、関西のほとんどは1.0です。1952 年の告示と比べると、東北地方の太平洋沿岸部が0.9から1.0に、北海道は南部が1.0、中部が0.9、北部が0.8に、一律に0.8だった九州地区は、宮崎県と、熊本と大分の一部が0.9に、鹿児島県の名瀬市と大島郡が1.0にされました。海溝型地震が繰り返し発生する太平洋岸が強化されたと考えられます。

 1981 年には、建築基準法施行令が改正され、新耐震基準が導入されることに伴って、昭和55年建設省告示第1793号が出されましたが、地域による低減については1978年の告示を踏襲しています。

沖縄の特殊事情

 日本の耐震基準は、1923年関東地震での甚大な被害を受けて、1924年に市街地建築物法施行規則を改正して導入されました。この時、水平震度は0.1とし、材料の安全率を3.0にしました。その後、1950年の建築基準法の制定に当たって、いつも作用する建物の自重や積載荷重のような長期荷重と、地震や台風などの稀にしか作用しない短期荷重とに区分けし、短期荷重の安全率を3.0から1.5に半減させたことから、水平震度を0.2と倍にしました。

 このとき、沖縄はアメリカの統治下にありました。なぜか、沖縄では安全率は1.5を採用したのですが、水平震度は0.1に据え置きました。経緯はよく分かりませんが、カリフォルニアの耐震基準を参考にしたのかもしれません。この結果、アメリカ統治下の沖縄の建物は日本の一般的な地域の半分の耐震性で建てられました。

 日本返還に当たって、いきなり地震地域係数を倍にすることができず、昭和47年建設省告示第938号によって例外措置をとったようです。その後、地震地域係数の見直しに当たっても、倍増することはできず、最低値の0.8を若干下回る0.7を採用したようです。

地震地域係数の見直しを

 沖縄周辺では、1771年5月24日八重山地震津波(M7.4)、1911年6月15日喜界島地震(M8.0)、1947年9月27日与那国島近海地震(M7.4)、1958年3月11日石垣島近海地震、2010年2月27日沖縄本島近海地震(M7.2)などが起きています。また、南海トラフ地震防災対策推進地域にも指定されています。沖縄のすぐ北にある奄美群島の与論島の地震地域係数が1.0なのに、20キロも離れていない沖縄本島の地震地域係数が0.7というのはやはり不合理です。

 平成の30年間には、地震地域係数が低減されている場所で、2001年芸予地震、2004年新潟県中越地震、2005年福岡県西方沖地震、2007年新潟県中越沖地震、2008年岩手・宮城内陸地震、2016年熊本地震などが起き、多くの建物が被害を受けています。活断層は、活動頻度は高くありませんが、一旦地震を起こすと、直下での地震ですから海溝型地震よりも強い揺れになります。南海トラフ地震での強い揺れが予想されている四国の多くが低減されていることにも疑問を感じます。とくに、地震後に災害対応の拠点となる施設に対してまで、地震地域係数による地震力の低減を行うことは問題だと思います。

 新耐震基準導入から41年が経ちます。この間に地震学の知見が蓄積され、地震調査研究推進本部から地震動予測地図も公表されています。国民の命と生活を守るため、そろそろ、地震地域係数の考え方を見直すときではないでしょうか。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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