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世界一危険と評された東京の災害危険度を考える(その1)ハザード

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:marioland/イメージマート)

三重のプレートの上に載る首都圏

 日本は、4枚の大陸プレートと海洋プレートがぶつかり合ってできた弧状列島です。西日本ではユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが、東日本では北アメリカプレートの下に太平洋プレートが潜り込んでいます。ですが、日本のほぼ中心に位置する東京の場合は、北アメリカプレートと太平洋プレートの間にフィリピン海プレートが潜り込んでいる世界でも珍しい場所です。3つのプレートが重なり合っているため、2種類のプレート間で起きる地震と、3つのプレート中で起きる地震があり、様々なタイプの地震が発生します。ちなみに、先月10月7日に発生したM5.9の千葉県北西部の地震は、深い側のフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界で起き、震源は75とやや深い場所でした。

繰り返す相模トラフ地震と直下地震

 首都圏で大きな被害を出す地震には、北アメリカプレートとフィリピン海プレートの境界で起きる相模トラフ沿いの巨大地震と、地殻内の活断層などによるM7クラスの地震とがあります。世間では、前者は関東地震、後者は首都直下地震と呼んでいます。最近の2つの関東地震は、1923年大正関東地震と1703年元禄関東地震で、その前は、1495年、1293年、878年の地震などが候補とされています。200年程度の間隔のようにも見えますから、大正関東地震から100年しか経過していない現時点では、地震の発生確率は高くはなく、今後30年間の地震発生確率は0~5%と評価されています。一方で、関東地震が発生する100年くらい前から地震活動が活発になります。1855年安政江戸地震や1894年明治東京地震などのM7クラスの地震です。こちらの地震の今後30年間の発生確率は70%程度と高く評価されています。万が一、都心直下の浅部で地震が発生すると強い揺れによって甚大な被害が想定されますので、首都直下地震対策の大切さが叫ばれています。

揺れを増幅させる分厚い堆積層に載った首都圏

 関東平野は日本一大きな平野です。岩盤の上に比較的軟らかい堆積層が厚く積もっており、その厚さは3kmにも及びます。この厚い堆積層が長周期の揺れを増幅します。10月7日の地震では、深い場所での小規模な地震だったにもかかわらず、長周期地震動階級1が観測され、タワーマンションの住民はずいぶん怖い思いをしたようです。また、表層には、箱根や富士山などの火山噴出物が堆積した関東ローム層や、利根川などの河川が堆積させた沖積層が厚く堆積しています。これらの地層が、地震の揺れを強く増幅させます。10月7日の地震でも軟弱な地盤が広がる旧利根川周辺の地域で強い揺れとなりました。

富士山と箱根の火山噴出物が偏西風で運ばれた場所

 伊豆・小笠原諸島は、太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に沈み込んで作られた火山島で、伊豆・小笠原海溝の西側に一列に並んでいます。フィリピン海プレート上の島々は、ひょっこりひょうたん島のように北北西に移動し、本州にぶつかって伊豆半島ができました。このぶつかった力によってできたのが富士山や箱根の火山群です。芦ノ湖は箱根のカルデラ噴火の跡ですし、富士山は何度も噴火することで今の美しい姿になりました。

 これらの火山の噴出物は、偏西風に載って東に運ばれ、関東ローム層ができました。南海トラフ地震の1707年宝永地震の49日後に起きた富士山の宝永噴火では、江戸市中でも2週間にわたって降灰があったようです。富士山噴火の平均間隔は30年程度なのに、宝永噴火から300年間も静かなので、不気味です。南海トラフ地震の発生前後には富士山が活発化する可能性があります。万が一、首都に火山灰が降ると、電気、水、交通などに支障が生じ、生命・生活・生業などにも大きな影響が出ます。大量の火山灰の処理にも困難を伴います。

江戸時代の大規模な干拓、埋め土、河川の付け替え

 1590年に江戸に転封になった徳川家康は、大規模な天下普請により、治水、利水を行うと共に、土地の拡大を進めました。神田の山を削った土で日比谷入江を埋めて大名屋敷の用地を確保したり、遠浅の海を干拓して農地を拡大したり、運河を開削して舟運を整備したりしました。中でも、東京湾に注いでいた利根川を銚子へと付け替えた利根川東遷事業は60年にも及ぶ大事業で、水害から江戸を守ると共に、新田開発、舟運の確保など江戸の発展に大きく貢献しました。ですが、これらの場所は、低地でかつ軟弱ですから、洪水や、強い揺れ、液状化、津波・高潮浸水などの災害が起きやすい場所です。過去にも、1923年関東地震や1947年カスリーン台風では、地域で甚大な被害を出しました。

 高潮に関しては、東京湾のように湾奥の都市では、台風の低気圧による吸い上げ効果に加え、風が湾奥に向かって吹くことによる吹き寄せ効果が加わります。これは1959年伊勢湾台風でも問題となりましたが、東京湾でも1917年に東京湾台風によって高潮被害を受け、行徳塩田などが大きな被害を受け、東京での製塩業が終焉しました。

人口集中による危険地へのまちの拡大

 戦後の東京への人口集中のため、新田開発のために干拓した地域に市街地が拡大しました。また、丘陵地の尾根を切って谷を埋めたり、斜面を切り盛りして段々畑状にしたりして、宅地を増やしてきました。東京湾岸には埋立地も広がり、かつての工業地域は住宅地や商業地に変貌しつつあります。こういった場所は、揺れや、液状化危険度、土砂災害危険度が高いので注意が必要です。

 ちなみに、初期の鉄道は、蒸気機関車の馬力不足や煙害などもあり、居住地に使われていなかった谷筋や軟弱低地などに敷設されました。その結果、谷筋や低地など災害危険度の高い位置に駅がで、そこに様々なものが集積することになりました。有名な駅の名前を思い出すと、「谷」「久保・窪」「橋」「田」などの漢字が使われていますね。

火災危険度の高い木造住宅密集地域

 東京都内には、木造住宅密集地域も多数残っています。とくに環状7号線周辺などに、道路が狭隘で耐震性の低い古い木造家屋が残存しています。これらの地域は火災危険度が極めて高いため、東京都は「防災都市づくり推進計画」を策定して、延焼遮断帯の整備や建物の不燃化・耐震化を促進していますが、進捗は余り芳しくはありません。

 このように、人や物が集中する東京は、ハザードが高く心配です。一度、自治体が作成したハザードマップを確認ください。「君子危うきに近寄らず」と危険を避けたり、「備えあれば憂いなし」と対策のきっかけにしたりしてみてください。

 昨年には、宅地建物取引業法施行規則の一部が改正され、不動産取引のときに、水害ハザードの説明が義務化されました。また、居住誘導のための立地適正化も促進されるようになってきました。自然災害とうまく折り合いをつける日本の災害文化を取り戻したいものです。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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