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東日本大震災から10年など、多くの災禍の周年を迎える2021年

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:hiroyuki_nakai/イメージマート)

 新年あけましておめでとうございます。大みそかの日に新型コロナウィルスの国内感染者数が過去最大となり、正月三が日を我が家で過ごされた方も多いと思います。ステイホームの大切さが訴えられる中、改めて安全安心な家作りの大切さを感じます。

 さて、今年も多くの災禍が周年を迎えます。3月11日は東日本大震災から10年、9月11日はアメリカ同時多発テロ事件から20年になります。30年前の6月には、雲仙普賢岳の火砕流やフィリピン・ピナトゥボ山の大噴火で多くの人が犠牲になりました。年頭に、過去の周年災害を振り返り、その教訓を改めて思い出し、これからの災禍に備えたいと思います。最近の災害から振り返ってみましょう。

噴火、地震、津波、原発、豪雨に翻弄された2011年

 1月に霧島連山の新燃岳が噴火しました。空振もあり窓ガラスが割れるなどの被害が多発しました。2月22日には、ニュージーランドでカンタベリー地震(Mw6.1)が起きます。観光地のクライストチャーチを中心に多くの建物が倒壊し、大規模な液状化被害も発生しました。ビルの倒壊で多くの日本人語学留学生が犠牲になったことが話題になりました。3月9日には、三陸沖で地震(M7.3)が発生しました。余震やスロースリップも発生し東北地方太平洋沖地震の準備が進みました。そして、3月11日を迎えます。

 14時46分に東北地方太平洋沖地震(Mw9.0、災害名称は東日本大震災)が発生し、強い揺れが、東日本広域を襲います。長周期の揺れが長く続き、遠く東京や大阪の高層ビルを揺さぶります。さらに大津波が多数の家屋や原発を飲み込みました。福島第一原発では全電源喪失によりメルトダウンし大量の放射能を放出しました。日本では起きないと思われていた超巨大地震により、約2万千人もの死者・行方不明者を出しました。放射能汚染地域は帰還困難区域に指定され、住民は長期避難を余儀なくされ、東京湾沿岸を中心とした広域の液状化、大量の帰宅困難者の発生、電力不足による計画停電、サプライチェーン寸断による経済停滞など、様々な被害が発生しました。

 地震後には、M7を超える余震の多発に加え、遠隔地でも、3月12日長野県北部の地震(M6.7)、3月15日静岡県東部の地震(M6.4)、4月11日福島県浜通りの地震(M7.0)などの誘発地震が起きました。静岡の地震では、富士山の噴火も心配されました。

 さらに豪雨災害も起きます。平成23年7月新潟・福島豪雨では、五十嵐川や阿賀野川などが氾濫し三条市などで大きな被害を出しました。さらに、9月4日には台風12号により紀伊半島大水害が発生し、死者・行方不明者98人の犠牲者が出ました。そして、10月31日に1ドル75円32銭の歴史的円高になります。

 日本は、噴火、地震、豪雨、円高で痛めつけられ、経済的にも苦境に追い込まれました。

 ちなみに、この年には、東日本大震災の被害を受け、津波対策の推進に関する法律(6月24日)や津波防災地域づくりに関する法律(12月24日)が制定されます。

アメリカ同時多発テロ事件で世界が激動した2001年

 21世紀の始まりの2001年には、1月26日にインド西部地震(Mw7.7)が発生し、2万人を超す犠牲者を出しました。3月24日には芸予地震(M6.7)が起き、呉市などで土砂災害が起きます。さらに、6月8日に大阪教育大学付属池田小学校で児童が殺傷される事件が、7月21日には明石市で開催された花火大会で群衆雪崩が起き、9月1日には新宿歌舞伎町の雑居ビルで火災が発生し44人が犠牲になりました。

 そして、9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起きます。イスラム過激派のテロ組織アルカイダが4機の旅客機をハイジャックし、ニューヨークのワールドトレードセンターとワシントンのアメリカ国防省・ペンタゴンに旅客機を激突させました。10月7日にはアフガニスタン戦争が始まり、世界が混乱します。

 この年の年頭に中央省庁の再編が行われ、新設された内閣府に中央防災会議が移管されました。そして東海地震の震源域の見直し作業が行われ、これを契機に、様々な地震防災対策の検討がスタートしました。

大規模噴火が国内外で起きた1991年

 6月3日に、噴火中だった雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生し、取材中の報道関係者など43名が犠牲になりました。1万5千人もの犠牲者を出した1792年島原大変肥後迷惑以来の大規模噴火でした。この場所は九州を横断する別府-島原地溝帯の西端に位置します。この地溝帯には、多くの火山や活断層が集まっており、2016年には熊本地震や阿蘇山の噴火もありました。6月15日にはフィリピンでピナトゥボ山が大噴火しました。20世紀最大級の噴火で、地球環境にも影響を与えました。噴火被害のため、米軍はスービック海軍基地とクラーク空軍基地を放棄することになりました。

新耐震基準が導入された1981年

 1968年十勝沖地震(M7.9)や1978年宮城県沖地震(M7.4)での鉄筋コンクリート造建物の被害を受け、1981年6月に新耐震設計法が導入されました。終戦後の1950年に建築基準法が制定されて以来の耐震基準の本格改訂です。この基準では、中小地震動に加え、大地震動に対しても耐震設計が必要になりました。何度も経験する中小地震動に対しては、建物は無損傷に耐え、建物の供用期間中に1度くらいしか経験しない強い揺れに対しては、建物の損傷は許容するが人命を守る、という設計法です。1995年阪神・淡路大震災では、新耐震基準による建物は旧基準による建物に比べて被害が少なかったことから、震災後、旧基準の建物(既存不適格建物)の耐震改修が促進されることになりました。ただし、新耐震基準もすでに40年を迎えますから、再検証が必要だと感じます。

風水害が発生すると共に、災害対策基本法が制定された1961年

 6~7月に死者・行方不明者357人を出した昭和36年梅雨前線豪雨が起き、9月16日には台風第18号(第2室戸台風)が上陸して、暴風と高潮で202人の犠牲者が出ました。この台風は1934年室戸台風とほぼ同じルートで来襲しましたが、犠牲者数は1/10以下に減じられました。5千人もの犠牲者を出した1959年伊勢湾台風の教訓を活かし、気象庁や、自治体、報道機関が的確に情報提供した成果だと思います。

 11月15日には、災害対策基本法が制定されました。防災に関して必要な体制や責任の所在を明確にし、防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧、財政金融措置などの基本が定められました。この後、治水ダムや堤防などの治水対策、家屋の耐火性能向上、消防力整備、各種防災計画整備などが行われ、風水害や大火による被害が激減しました。

過去最大の内陸直下地震、1891年濃尾地震

 1891年10月28日に濃尾地震(M8.0)が明治以降に近代化した中部日本を襲いました。内陸で起きた観測史上最大の巨大地震で、根尾谷断層などの活断層がずれ、7273人が犠牲になりました。根尾谷・水鳥では、水平に8m、上下に6mもの断層ずれが生じました。当時の日本の人口は4千万人程度ですから、2011年東日本大震災を上回るような被害です。西洋から導入された煉瓦造の建物や新設された東海道線の鉄橋が大きな被害を受けたため、地震後、震災予防調査会が設立され、地震学や耐震研究が推進されるようになりました。

八重山諸島を凄まじい津波が襲った1771年

 4月24日に八重山地震が起き、明和の大津波ともよばれる30mを超える津波によって八重山諸島の人口の1/3に相当する1万人以上の人が犠牲になりました。宮古島や石垣島には打ち上げられた津波石が多数残っています。

新潟を襲った直下地震、1751年高田地震

 5月21日に宝暦高田地震が起き、名立崩れと呼ぶ海岸段丘の大規模地盤崩落などで千人以上の死者が出ました。高田平野西縁断層帯が活動したと考えられる地震で、現在の新潟県上越市などで大きな被害になりました。

火山噴火が原因で大津波が起きた1741年

 8月に北海道渡島大島の寛保岳噴火があり、8月29日には山体崩壊が原因と疑われる大津波(寛保津波)が発生し、対岸の北海道や津軽で千人を超える死者を出しました。

陸と海の地震が続いた1611年

 9月27日に会津地震が起き、2万戸余りの家屋が倒壊し、3700人が死亡したと言われています。会津盆地西縁断層帯の活動が疑われており、土砂崩れで阿賀川が堰き止められて山崎新湖ができました。さらに、12月2日に慶長三陸地震が起き、東北地方太平洋岸で大きな被害を出しました。仙台当主だった伊達政宗は、貞山堀を開削して復興を進め、塩田や新田開発を行い、2年後には支倉常長を欧州に派遣しました。かつては三陸沖の地震と思われていましたが、津波堆積物調査から北海道沖での超巨大地震の可能性が指摘されています。現在、中央防災会議に設置されたワーキンググループで被害予測検討が行われています。

南海トラフ地震が発生した1361年

 8月3日に南海トラフ沿いで正平・康安地震が発生しました。南北朝の時代で、正平は南朝、康安は北朝の元号です。奈良や大阪、熊野で堂塔が倒壊、破損し、和歌山の湯の峯温泉が涸れたようです。高知、徳島、大阪で津波の記録が残されており、南海地震側の震源域の被害記録が多いですが、最近、各種のデータから東海地震も連動したと考えられるようになったようです。

 以上のように、本年に周年を迎える災禍は多様です。周年の日には報道もされると思います。過去の教訓を学び取り、少しでも備えを進めることで、今年を災禍の少ない年にしましょう。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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