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21世紀初頭に対策を上回る災害が頻発し、東日本大震災が発生

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:NY市警/Shutterstock/アフロ)

災禍が立て続けに起きた21世紀幕開けの年

 21世紀に入って、2001年1月6日に中央省庁が再編統合されて内閣府ができました。4月には小泉純一郎内閣が発足し、様々な改革がスタートしました。内閣府設置と共に、国土庁にあった中央防災会議が内閣府に移管され、東海地震の震源域の見直しが始まります。さらにその後、東海地震に加え、東南海地震・南海地震、首都直下地震、日本海溝・千島海溝周辺の地震などの被害予測が行われ、具体的な地震対策が立案されるようになりました。2002年には、東海地震の地震防災対策強化地域が拡大され、東南海・南海地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法も制定されます。さらに2004年には、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に係る地震防災対策推進に関する特別措置法が制定されました。

 そんな中、1月26日にインド西部で2万人が死亡する地震(M7.7)が発生し、日本でも3月24日に芸予地震(M6.7)が起き、呉市などで土砂災害が発生しました。

 この年には、事故や事件も頻発します。国内では、6月8日に大阪教育大学付属池田小学校で児童が殺傷される事件が、7月21日には明石市で開催された花火大会で群衆雪崩が起き11人が死亡する事故がありました。さらに、9月1日には新宿歌舞伎町の雑居ビルで火災が発生し44人が犠牲になりました。

 海外では、9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生します。イスラム過激派テロ組織アルカイダが4機の旅客機をハイジャックし、ニューヨークのワールドトレードセンターとワシントンのアメリカ国防省・ペンタゴンに旅客機を激突させ、約3千人の犠牲者が出ました。10月7日にはアフガニスタン戦争が始まります。

 まさに、21世紀は、様々な災禍と共に始まりました。ちなみに2001年の今年の漢字は、「戦」でした。

多様な災禍が続発した2003年

 2003年は、事故、感染症、豪雨、地震など、様々な災禍に見舞われた年です。2月1日にスペースシャトル・コロンビア号が空中分解して墜落し、3月20日にはイラク戦争が始まります。さらに、重症急性呼吸器症候群(SARS)が世界的に大流行し、4月3日に新感染症に指定されます。7月19日には福岡水害が発生して博多周辺が浸水し、翌週7月26日に宮城県北部地震(M6.4)が発生しました。

 9月26日には、十勝沖地震(M8.0)が発生します。1952年に十勝沖地震が発生してから51年が経過しており、2003年3月24日に地震調査研究推進本部が公表した地震の長期評価では、今後30年間の地震発生確率が60%程度と、高確率が示されていました。この地震では、津波が十勝川を遡上する様子が捉えられ、長周期地震動によって苫小牧にある石油タンクがスロッシングして炎上しました。これを教訓に、全国12カ所に大容量泡放射システムが配備されることになりました。また、巨大地震での長周期地震動の問題が社会的にクローズアップされ、高層ビルの長周期地震動問題が本格的に検討されるようになりました。

 12月26日には、イランでバム地震(M6.6)が発生し、バム遺跡を始め甚大な被害となり、約2万7千人の犠牲者が出ました。イランでは1990年にもマンジール地震で4万人もの犠牲者を出しており、日干しレンガを使ったアドベ造などの無補強組積造の耐震化が課題になっています。

「災」の年2004年

 2004年の今年の漢字は「災」です。この年には、7月12日~13日に平成16年7月新潟・福島豪雨、7月17日~18日に平成16年7月福井豪雨と豪雨災害が続きました。2005年には、水防法と土砂災害防止法の一部が改正されます。

 10月23日には新潟県中越地震(M6.8)が発生し、1995年兵庫県南部地震以来の震度7を観測しました。中山間地の地震だったため、土砂崩れが多発し、芋川などで河道閉塞が起きました。旧山古志村では全村避難となりました。また、上越新幹線が脱線し、六本木の高層ビルのエレベーターでワイヤーが切断されました。土砂崩れで生き埋めになっていた男児を東京消防庁ハイパーレスキューが救出した感動的なシーンを思い出します。地震後、余震が多発し、自動車避難者がエコノミークラス症候群にかかるなどし、多くの災害関連死が発生しました。

 さらに年末の12月26日に、超巨大地震のスマトラ島沖地震(M9.1)が発生し、大津波がインド洋周辺諸国を襲い、22万人の死者・行方不明者がでました。津波に対する警戒態勢がなかったため、震源から離れた国々で多くの犠牲者が出ました。インド洋沿岸の観光地では、欧米諸国からの観光客が多く犠牲になり、全世界が津波の怖さを認識しました。

国内外で災禍が続く中、リーマンショックが起きる

 2005年も様々な災害、事故に見舞われました。3月20日に福岡県西方沖地震(Mj7.0)が発生し、震源近くの玄界島で住宅の半数が全壊しました。4月25日にはJR福知山線脱線事故で107人が死亡します。また、この年には、構造計算書偽造問題が発覚し、建物の耐震設計の信頼性が損なわれる事態となりました。

 海外では、8月26日にハリケーンカトリーナがアメリカ・ニューオリンズを襲い、死者1836人、行方不明者705人という大惨事になりました。さらに、10月8日にパキスタン地震(M7.6)が発生し、パキスタンとインドで約7万5千人もの人が犠牲になりました。

 2006年には、7月15日~24日に、平成18年7月豪雨が起き、鹿児島県北部や、諏訪湖周辺、天竜川を中心に甚大な被害となりました。

 2007年には、3月25日に能登半島地震(M6.9)、7月16日に新潟県中越沖地震(M6.8)と、日本海側で大地震が続発します。中越沖地震では柏崎刈羽原発での火災発生や、自動車部品工場の被害によるサプライチェーンの問題が話題になりました。何れも東日本大震災での被害を彷彿とさせます。また、5月12日に中国で四川大地震(M7.9)が発生し、約8万7千人もの死者・行方不明者が出ました。

 2008年には、5月2日にサイクロン・ナルギスがミャンマーに上陸し、洪水や強風により13万8千人もの人が犠牲になりました。6月14日には、岩手・宮城内陸地震(M7.2)が発生します。栗駒山周辺で土砂災害が数多く発生し、荒砥沢ダムでは土砂崩落で津波も発生しました。防災科学技術研究所の一関西観測点で、最大加速度4,022ガルの記録が観測されギネスブックにも登録されました。また、8月26日~31日の平成20年8月末豪雨では、愛知県の名古屋市や岡崎市で浸水被害が発生しました。名古屋市では2000年東海豪雨後の治水対策の効果もあり、被害が軽減されました。

 そして、9月15日にリーマンショックが起きます。2007年に始まったアメリカでのサブプライム住宅ローンの焦げ付きなどで、投資銀行のリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻し、連鎖的に世界規模の金融危機が発生しました。これによって世界的に経済が冷え込み、10月27日には日経平均株価が7162円90銭になり、平成元年の1989年12月29日の史上最高値3万8957円44銭から約20年で1/5以下に急落しました。

国内外で地震、火山、感染症が続発する中、東日本大震災に至る

 2009年には、豚由来の新型インフルエンザが世界的に流行し、5月9日に国内でも感染が確認されました。その後、WHO は6月11日にパンデミック宣言をします。

 7月19日~26日には平成21年7月中国・九州北部豪雨が発生し、8月11日に駿河湾で地震(M6.5)が発生しました。この地震では、東海地震観測情報が発表されましたが、プレート境界での地震ではなく、東海地震に結びつくことはありませんでした。

 2010年には、1月12日にハイチ地震(M7.0)が発生し、22万人以上の死者が出ます。地震規模は大きくないものの、スマトラ島沖地震と並び、21世紀最悪の犠牲者を出しました。さらに2月27日には、チリでマウレ地震(M8.8)が発生し、日本にも津波が到達しました。このときの津波避難率の低さや、予報に比べて津波高さが低かったことなどが、翌年の東日本大震災の避難に影響した可能性も指摘されています。さらに4月14日にはアイスランドのエイヤフィヤトラヨークトルが噴火し、噴煙の影響でヨーロッパでの航空機の飛行が困難になり、大きな混乱になりました。

 翌2011年には、1月に霧島連山の新燃岳が噴火し、さらに、2月22日にニュージーランドでカンタベリー地震(M6.1)が発生し、日本からの語学留学生などが犠牲になりました。そして、3月9日に東北地方太平洋沖地震の前震(M7.3)が三陸沖で発生し、とうとう3月11日の東北地方太平洋沖地震(M9.0)が起きます。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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