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台風19号は42年ぶりに名称が付く台風になるか

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:Motoo Naka/アフロ)

自然災害に名称を付ける基準

 気象庁は、顕著な災害を起こした自然現象について名称を定めることにしています。その基準は気象庁のホームページに示されています。名称を付けるのは、応急・復旧活動を円滑にし、災害の経験や教訓を後世に伝えるためのようで、台風、台風以外の気象災害、地震、火山が対象になります。名称はできるだけ速やかに定めるのですが、台風だけは、台風番号があるからか、翌年5月までに定めることになっています。

 ちなみに、気象庁が定めるのは、自然現象の名称で、阪神・淡路大震災や東日本大震災のような大規模な災害の場合、政府が名称を定めます。

台風に名称を付ける基準

 台風に名称が付くのは、家屋被害として、損壊家屋等が1,000棟程度以上、または浸水家屋が10,000棟程度以上の場合と、相当の人的被害などが発生した場合で、後世に伝承する必要があると考えられる場合です。損壊家屋や浸水家屋の定義は明確には示されていません。

 台風19号の被害は、11月15日時点の消防庁報告によると、前線による大雨被害と合わせて、死者・行方不明者が101人、負傷者479人、住家被害が全壊2,215棟、半壊12,247棟、一部損壊14,793棟、浸水被害が床上浸水25,242棟、床下浸水30,961棟、非住家被害も公共建物が273棟、その他6,936棟です。ですから、基準を明らかに満たしています。損壊家屋の定義にもよりますが、場合によっては、全壊290棟、半壊2,744棟、一部損壊54,558棟の住家被害を出した台風15号にも名称が付くかもしれません。

名称がついた過去の台風

 気象庁が過去に命名した台風は、1954年の洞爺丸台風(15号)、1958年の狩野川台風(22号)、1959年の宮古島台風(14号)、伊勢湾台風(15号)、1961年の第2室戸台風(18号)、1966年の第2宮古島台風(18号)、1968年の第3宮古島台風(16号)、1977年の沖永良部台風(9号)の8つです。昭和の3大台風のうち、1934年室戸台風と1945年枕崎台風は気象庁の命名台風リストには入っていません。

 島しょ部を襲った4つの台風以外の台風の被害を見てみます。青函連絡船・洞爺丸が遭難し岩内で大火があった洞爺丸台風の被害は、死者1,361人、行方不明者400人、住家全壊8,396棟、半壊21,771棟、床上浸水17,569棟、床下浸水85,964棟です。狩野川が氾濫した狩野川台風は、死者888人、行方不明者381人、全壊2,118棟、半壊2,175棟、床上132,227棟、床下389,488棟です。伊勢湾台風は、死者4,697人、行方不明者401人、全壊40,838棟、半壊113,052棟、床上157,858棟、床下205,753棟と、高潮で流された流木に破壊された全半壊家屋数が顕著です。そして、第2室戸台風は、死者194人、行方不明者8人、全壊15,238棟、半壊46,663棟、床上123,103棟、床下261,017棟です。

 伊勢湾台風と第2室戸台風を比べると、住家被害の差に比べ、犠牲者数の差が大きいことがわかります。これは、伊勢湾台風を教訓に作られた災害対策基本法や、事前避難行動の成果だと思われます。

名前が付いた気象災害

 台風以外の気象災害も、台風と同等の被害を受けた場合や、特異な気象現象による被害があった場合に名称が付けられます。

 昭和に命名された気象災害は、昭和36年梅雨前線豪雨(伊那谷の氾濫・土砂災害等)、昭和38年1月豪雪(北陸地方を中心とする大雪)、昭和39年7月山陰北陸豪雨(出雲市の山・がけ崩れ等)、昭和42年7月豪雨(佐世保市・伊万里市・呉市・神戸市の土砂崩れ・鉄砲水等)、昭和45年1月低気圧、昭和47年7月豪雨(上天草市、香美市で土砂崩れ等)、昭和57年7月豪雨(長崎市の都市水害等)、昭和58年7月豪雨(浜田市の土砂災害・洪水害等)の8つです。

 これに対し、平成には、平成5年8月豪雨(鹿児島市の土砂災害・洪水害等)、平成16年7月新潟・福島豪雨、平成16年7月福井豪雨、平成18年豪雪、平成18年7月豪雨(諏訪湖周辺の土砂災害・浸水害、天竜川の氾濫等)、平成20年8月末豪雨(名古屋市・岡崎市の浸水害等)、平成21年7月中国・九州北部豪雨、平成23年7月新潟・福島豪雨(五十嵐川・阿賀野川の氾濫等)、平成24年7月九州北部豪雨(八女市・竹田市の土砂災害・洪水害、矢部川の氾濫等)、平成26年8月豪雨(広島豪雨・土砂災害、丹波市豪雨、高知豪雨)、平成27年9月関東・東北豪雨(鬼怒川・渋井川の氾濫等)、平成29年7月九州北部豪雨(朝倉市・東峰村・日田市の洪水害・土砂災害等)、平成30年7月豪雨(西日本豪雨、広島県・愛媛県の土砂災害、倉敷市真備町の洪水害など、広域被害)の13の災害に名前がついています。うち、平成の後半だけで12個あります。近年の気象災害の多さが気がかりです。

 なぜか、平成12年の東海豪雨は、名称がついていません。

名前が付いた地震災害

 地震災害で名称が付せられるのは、M7.0以上(深さ100km以浅)かつ最大震度5強以上の陸域の地震、M7.5以上(深さ100km以浅)かつ最大震度5強以上または津波の高さ2m以上の海域の地震、全壊家屋100棟程度以上の家屋被害や相当の人的被害があった地震、群発地震で被害が大きかった場合等です。

 昭和の後半以降の名称が付いた地震は、チリ地震津波(1960年5月23日、津波)、北美濃地震(1961年8月19日)、宮城県北部地震(1962年4月30日)、越前岬沖地震(1963年3月27日)、新潟地震(1964年6月16日、石油タンク火災、液状化現象)、松代群発地震(1965年8月3日から約5年間)、えびの地震(1968年2月21日)、1968年日向灘地震(4月1日)、1968年十勝沖地震(5月16日)、1972年12月4日八丈島東方沖地震、1973年6月17日根室半島沖地震、1974年伊豆半島沖地震(5月9日)、1978年伊豆大島近海の地震(1月14日、大規模地震対策措置法の制定へ)、1978年宮城県沖地震(6月12日、ブロック塀)、昭和57年(1982年)浦河沖地震(3月21日)、昭和58年(1983年)日本海中部地震(5月26日、津波)、昭和59年(1984年)長野県西部地震(9月14日、御嶽山の山崩れ)の17地震です。そのうち、犠牲者が最も多かったのは、日本海中部地震の104人です。

 平成には、15地震が命名されました。平成5年(1993年)釧路沖地震(1月15日、震源深さが100km以深)、平成5年(1993年)北海道南西沖地震(7月12日、奥尻島の津波)、平成6年(1994年)北海道東方沖地震(10月4日)、平成6年(1994年)三陸はるか沖地震(12月28日)、平成7年(1995年)兵庫県南部地震(1月17日、阪神・淡路大震災、震度7)、平成12年(2000年)鳥取県西部地震(10月6日)、平成13年(2001年)芸予地震(3月24日)、平成15年(2003年)十勝沖地震(9月26日、石油タンク火災)、平成16年(2004年)新潟県中越地震(10月23日、震度7、山崩れ)、平成19年(2007年)能登半島地震(3月25日)、平成19年(2007年)新潟県中越沖地震(7月16日)、平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震(6月14日)、平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(3月11日、東日本大震災、震度7、大津波、長周期地震動、液状化現象)、平成28年(2016年)熊本地震(4月14日、16日の前震・本震で震度7、家屋被害、山崩れ)、平成30年北海道胆振東部地震(9月6日、震度7、山崩れ、大規模停電)です。

 命名された平成の地震数は昭和後半よりも少ないですが、昭和には無かった震度7の地震が6つ、2万人以上の犠牲者を出した東日本大震災や、6千人以上の阪神・淡路大震災を含め200人以上が犠牲になった地震が4つあります。平成の地震活動度が気になります。

名前が付いた火山災害

 相当の人的被害などがあった場合や、または長期間にわたる避難生活等の影響があった場合に名称が付けられます。

 これまでに名称がついた火山災害は、1977年有珠山噴火、昭和58年(1983年)三宅島噴火、昭和61年(1986年)伊豆大島噴火(1ヶ月余りの全島避難)、平成3年(1991年)雲仙岳噴火(火砕流や火山泥流)、平成12年(2000年)有珠山噴火の5つしかありません。

 このように、名称が付けられた災害は、台風が8、台風以外の気象災害が21、地震が32、山5で、全部で66あります。地震は被害程度の割に数が多いようです。マグニチュードや震度という自然現象のみで名称をつけているからでしょうか。被害に基づいて名称が付く他の災害とは異なるようです。

 さて、台風19号にはどんな名前が付くのでしょうか。注目して見守りたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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