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令和ゆかりの大宰府と張衡と道真、地震との深い因縁

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(GYRO PHOTOGRAPHY/アフロ)

令和と万葉集

 新しい元号「令和」は、新鮮な響きをもっています。この2文字は、万葉集第五に収録された「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」からとったと発表がありました。この歌は、大宰府の長官・大宰帥だった大伴旅人(665~731)が催した「梅花の宴」で詠まれた梅花の歌三十二首の序文にあります。大伴旅人は万葉集の編纂にも関わった大伴家持(718~785)の父です。

 「梅花の宴」の様子は中国の書家・王義之(303~361)の「蘭亭序」の「曲水の宴」をモデルにしているとか、「初春令月、気淑風和」は中国の昭明太子(501~531)が編纂した詩文の選集「文選」が引用した「仲春令月、時和気清」と関わりがあるのではないかとか、ネットでも賑やかなようです。この文選に引用された詩は、張衡(78~139)が著した帰田賦にあります。実は、太宰府天満宮の祭神・菅原道真(845~903)や張衡は、地震とは深い因縁があります。

菅原道真と地震

 菅原道真は870年に当時の官吏登用試験の方略試を受験しました。この年は、東日本大震災と類似した巨大地震の869年貞観地震が起きた翌年にあたります。このためか、試験には、「明氏族」「弁地震」の2問が出ました。氏族を明らかにしなさい、地震について論じなさい、の2問です。地震の問いに対して、道真は、「かつて中国では、張衡が作った地動儀で、遠く離れた地震を検知した」と引用しながら回答し、難関の方略試に合格しました。

 この時期は、大地震が続いていた時代です。863年に越中・越後の地震、864年に富士山や阿蘇山の噴火、868年に山崎断層が活動した播磨・山城の地震、そして貞観地震が起きました。道真が官吏になった後にも、878年に関東地震の疑いのある相模・武蔵の地震、880年に出雲の地震、881年に京都の地震、886年に安房(千葉)の地震、さらに、887年には南海トラフ地震の仁和地震が発生しました。道真は、901年に大宰府に左遷されるまでの間、度重なる災害の中、国政の重責を担っていました。まさに、道真と地震は切っても切れない縁があるようです。

張衡と大宰府の縁

 帰田賦に「仲春令月、時和気清」と詠んだ張衡は稀代の天才で、政治家に加え、科学者、文学者の顔も持っていました。科学者としては候風地動儀という世界初の地震計や、天体測定の渾天儀を発明し、「霊憲」という天文書も著したそうです。また、文学者としては、「西京賦」「東京賦」「思玄賦」「南都賦」「思玄賦」「帰田賦」などの詩賦を著しました。詩賦とは中国の韻文で、一定の韻律をもち、形式の整った文章のことだそうです。

 科学者としての張衡の地動儀を引用した地震を弁じたのは大宰府に左遷され、太宰府天満宮の祭神になった菅原道真、文学者としての張衡の帰田賦の詩「仲春令月、時和気清」を参考にしたと言われるのは大宰帥だった旅人が催した宴での「初春令月、気淑風和」と、なんとも不思議な大宰府、道真、旅人、張衡、地震、令和の縁です。

張衡の地動儀

 地動儀とは、壺のような形をしていて壺の外側に球を口にくわえた龍が8つ取り付けられ、壺の周囲に口を開けたカエルが8匹配されたものです。壺の中に柱が立っていて、小さな地震の揺れでも揺れを増幅します。この柱が倒れて龍の口に通した棒を押し、壺の外にある龍の口が開き、龍がくわえている玉がカエルの口に落ちて大きな音を出し、地震を知らせます。龍とカエルは八方にあるので、最初のゆれの方向がわかり、地震の起きた方向を知ります。132年に初めて制作され、138年に洛陽に置いてあった候風地動儀の玉がカエルの口に落ちて音が鳴ったそうです。後日、1000kmも離れた甘粛省朧西の地震だったことが分かり、話題になったと言われています。

「和」と南海トラフ地震

 日本の元号は、大化から令和まで、全部で248個あるそうです。そこに使われた漢字は「永」で29回、「元」「天」が27回、「治」が21回、「応」が20回、「和」は6番目に多くて19回、「令」は初めて使われたようです。実は、「和」が付く元号のうち、「仁和」「康和」「昭和」には南海トラフ地震が発生しています。南海トラフ地震が確実視されている白鳳、仁和、永長・康和、正平・康安、明応、宝永、安政、昭和の地震で、「和」の漢字が目立ちます。近い将来の南海トラフ地震発生が確実視されている中、「和」が付く令和の時代の地震の起き方が少し気になります。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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