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過去に南海トラフ地震が5度起きた12月 年末は他の地震も多く発生

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:ロイター/アフロ)

 12月には多くの大地震が起きてきました。とくに、南海トラフ地震は昭和の地震も安政の地震も12月でした。冬の積雪や黒潮の蛇行などとの関係を論じる研究もあるようです。過去の12月の地震を振り返ってみます。

12月に起きた5つの南海トラフ地震

 有史以来の南海トラフ地震の候補としては、684年白鳳地震、887年仁和地震、1096年永長地震・1099年康和地震、1361年正平地震、1498年明応地震、1605年慶長地震、1707年宝永地震、1854年安政地震、1944/1946年昭和地震が挙げられます。このうち、1096年永長地震、1854年安政東海地震、安政南海地震、1944年昭和東南海地震、1946年昭和南海地震の5つが12月に発生しています。

 永長地震は、1096年12月11日(グレゴリオ暦12月17日、嘉保3年11月24日)に発生した東海道沖の地震だと考えられています。1万人以上の死者が出たとされていて、東大寺の鐘が落下したとの記録があります。この地震の1か月後、元号が嘉保から永長に改元されました。

 1854年12月23日(嘉永7年11月4日)には安政東海地震が、翌日12月24日(嘉永7年11月5日) 安政南海地震が発生しました。何れも数千人の死者が出ました。さらに12月26日には豊予海峡でも地震が発生しました。誘発地震の一つだと思われます。和歌山の広村の濱口梧陵が津波から村人を守った物語「稲村の火」がきっかけになって、旧暦に当たる11月5日は「世界津波の日」に指定されました。この年はペリーと日米和親条約を締結した年でもあり、地震などで社会が混乱したことから、嘉永7年11月27日に元号が嘉永から安政に変わりました。このため、安政の地震と呼ばれます。

 1944年(昭和19年)12月7日には東南海地震が、翌々年の1946年(昭和21年)12月21日は南海地震が発生しました。マグニチュードはそれぞれMj 7.9(Mw 8.2)、Mj 8.0(Mw 8.4)で、何れも1000人を超す死者を出しました。戦中戦後の混乱期に発生した地震で、前後には、1943年鳥取地震、1945年三河地震、1945年枕崎台風、1947年カスリーン台風、1948年福井地震などもあり、敗戦の中、わが国は歴史上最も困難な時期となりました。

 これらの地震は、何れも南海トラフの震源域の半分で地震が発生し、数日から3年の間に残りの震源域で地震が発生しています。今、まさに議論されている、南海トラフ地震に関連する情報「臨時」が発表される状況に相当します。

12月に起きた東北沖の日本海溝での地震

 1454年12月12日(グレゴリオ暦12月21日、享徳3年11月23日)に享徳地震が発生しました。会津で強い揺れを感じたとの記録や、海岸で大津波によって人が流されたとの記録があります。津波堆積物調査で15世紀ごろに、東北地方太平洋沖地震と同規模の巨大地震があったと考えられており、869年貞観地震との間の超巨大地震の候補になっています。この地震の後、関東地方で享徳の乱が起き、1467年に始まった応仁の乱へと繋がっていったとも言われています。

 1611年12月2日(慶長16年10月28日)には慶長三陸地震が発生しました。この地震の時の仙台藩主は伊達政宗で、仙台復興の中心的役割を果たしました。地震の後には、支倉常長を欧州に派遣しています。この地震は、従来は三陸沖の地震と考えられていましたが、津波堆積物の調査から17世紀初頭に北海道沖で巨大地震が発生したことが分かり、最近では千島海溝での超巨大地震との関りについても議論されています。

 なお、1995年兵庫県南部地震の直前の1994年(平成6年)12月28日には、Mj 7.6(Mw 7.8)の三陸はるか沖地震が発生し、八戸市で最大震度 6を記録し、死者3人を出しました。

過去最大の関東地震も12月に起きていた

 1703年12月31日(元禄16年11月23日)には、元禄地震が発生しました。相模トラフで発生した関東地震で、大正関東地震より一回り大きな地震でした。津波や揺れで、関東を中心に甚大な被害を出しました。尾張藩のお畳奉行だった朝日文左衛門が記した鸚鵡籠中記に被害の様子が残されています。同日には九州の豊後でも地震が発生しています。同年1月30日(元禄15年12月14日)には赤穂浪士の吉良邸討ち入りもあったことから、この地震の後、元号が元禄から宝永に改元されました。ですが、宝永になった後も、1707年に南海トラフの地震である宝永地震や富士山の噴火がありました。

インド洋大津波を起こした今世紀最大の地震も12月

 2004年12月26日には、インドネシアのバンダ・アチェ南南東沖で、Mw 9.1のスマトラ島沖地震が発生しました。インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートがぶつかり合うスンダ海溝で起きた地震で、1,000kmを超える震源域が破壊しました。大津波がインド洋周辺の国々に伝わり、インドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、ソマリアなどで死者は22万人にも及びました。クリスマス後、正月前の休暇の時期だったため、タイのリゾート地・プーケット島などで外国人観光客が多く犠牲になりました。この地震の後、インドネシア周辺では、巨大地震が多発するようになりました。

 このように、12月には過去、甚大な被害を出す地震が数多く発生しています。新年まであと1か月、大きな地震が発生しないことを祈ります。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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