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10月28日は巨大地震が発生した「特異日」 台風シーズンで地震と複合災害も気がかりな10月

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:ロイター/アフロ)

 台風シーズンの10月ですが、過去、大きな地震も頻発してきました。地震の特異日10月28日に起きた地震に加え、10月に起きた10個の地震を取り上げてみます。

10月28日に起きた878年相模・武蔵地震、1611年慶長三陸地震、1707年宝永地震、1891年濃尾地震

 国史・日本三代実録には、ユリウス暦の878年10月28日(グレゴリオ暦11月1日、元慶2年9月29日)に、相模・武蔵地震が発生したと記されています。房総半島の津波堆積物から相模トラフ沿いのプレート境界地震の可能性が指摘されています。この時代には、日本海溝沿いでの869年貞観地震、南海トラフ沿いでの887年仁和地震など、代表的なプレート境界地震が続発しました。これらの地震に先立って、富士山の866年貞観噴火もあり、大規模な自然災害が続発した時代です。

 旧暦の慶長16年10月28日(1611年12月2日)には、慶長三陸地震が発生しました。従来は、三陸沖の日本海溝沿いの地震だと考えられていましたが、北海道の津波堆積物調査から、千島海溝沿いのM9クラスの地震の可能性も示唆されています。このため、千島海溝沿いでは、現在、南海トラフ地震と共に地震の発生が懸念されています。この地震の後、伊達政宗は、仙台の復興に勤しみ、支倉常長を欧州に派遣するなどしました。慶長三陸地震の前には、1586年天正地震、1596年慶長伊予地震・豊後地震・伏見地震、1605年慶長地震、1611年会津地震など大規模な地震が続発し、安土桃山時代から江戸時代へと移りました。

 1707年10月28日には、宝永地震が発生しました。東海・東南海・南海の3つの地震がほぼ同時に起き、西日本が広域に津波に見舞われました。この地震の49日後には富士山の宝永噴火もありました。4年前の1703年には大正関東地震より一回り大きい元禄関東地震も発生しています。この地震の後、新井白石の正徳の治や徳川吉宗の享保の改革が行われます。繰り返す南海トラフ地震の中でも有史以来最大の地震で、その後1854年、1944年・46年と地震が続いています。すでに前回の地震から74年が経っており、政府・地震調査研究推進本部は、今後30年間の地震発生確率を70~80%と評価しています。

 さらに、1891年(明治24年)10月28日には、M8.0と、内陸直下では過去最大規模の濃尾地震が発生しました。根尾谷の水鳥では高さ6mの断層崖が出現しました。死者・行方不明者は7,273人に上り、明治以降最大の犠牲者を出す災害となりました。日本が近代国家の形を整えたときに起きた地震で、西洋から導入したレンガ造建物や橋梁が損壊しました。岐阜県の美濃と愛知県の尾張の被害が顕著だったことから、「身の終わり地震」とも呼ばれました。この地震の甚大な被害を受けて、文部省に震災予防調査会が設置され、わが国の地震研究や耐震研究の端緒となりました。

 私自身、10月28日は、毎年やや緊張しつつ、一日を過ごします。

1894年(明治27年)10月22日 庄内地震

 濃尾地震の3年後、日清戦争中に、M7.0の地震によるが強い揺れが山形県庄内地方を襲いました。死者は726人と言われています。最上川や赤川周辺の低地で木造家屋の被害が甚大で、当時の震度は最大の烈震でした。全潰率の高さから、今でいうと震度7に相当する揺れだったと考えられます。この地震の後、東北地方では1896年に明治三陸地震と陸羽地震が続発しました。

1963年(昭和38年)10月13日 択捉島沖地震

 M8.1の海溝型地震で、北海道の浦河町や帯広市で最大震度4を記録しました。北海道や東北地方の太平洋岸で津波を観測しました。北海道沖では、この地震の後、1968年に十勝沖地震(M7.9)、1969年に色丹島沖地震(M7.8)、1973年根室半島沖地震(M7.4)などが発生しています。

1994年(平成6年)10月4日 北海道東方沖地震

 沈み込む太平洋プレート内で起きたM8.2の巨大地震で、釧路市と厚岸町で震度6を記録しました。北方領土で死者は出たものの、耐震的な北海道の家屋ゆえ、震度の割に被害は大きくありませんでした。北海道周辺ではこの地震の前後に、1993年釧路沖地震(M7.5)、北海道南西沖地震(M7.8)、1994年三陸はるか沖地震(M7.6)など、大規模な地震が続発していました。そして、1995年1月17日に兵庫県南部地震を迎えます。

2000年(平成12年)10月6日 鳥取県西部地震

 M7.3の内陸直下の地震ですが、明確な断層は地表に露出しませんでした。最大震度は、鳥取県境港市や日野町で6強でした。兵庫県南部地震以降に整備された強震観測システムで貴重な記録が多数得られました。この地震の後、原子力発電施設の耐震設計用の地震動の在り方についての議論が活発化しました。

2004年(平成16年)10月23日 新潟県中越地震

 M6.8の内陸直下の地震で、新潟県川口町で最大震度7を記録しました。計測震度計で初めて震度7が観測された地震でしたが、通信途絶で震度7の情報は遅滞しました。死者68人のうちエコノミークラス症候群などによって52人の災害関連死が出ました。山古志村の全村避難や、東京消防庁ハイパーレスキュー隊による優太君の救出劇が話題になりました。中越地方では、2007年にも新潟県中越沖地震が発生しました。

2016年(平成28年)10月21日 鳥取県中部の地震

 M6.6の内陸直下の地震ですが、断層は現れませんでした。1943年鳥取地震、2000年鳥取県西部地震に挟まれた鳥取県中部で発生した地震です。鳥取県倉吉市、湯梨浜町、北栄町で最大震度6弱の揺れを観測しました。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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