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時代を画す南海トラフ地震、災害に強いレジリエントな社会で新たな転機へ

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

時代の転機となる南海トラフ地震

 南海トラフ地震はM8を超える巨大地震で、過去の地震でも、地震の発生前後には西日本を中心に内陸直下の地震が頻発する地震の活動期を迎えてきました。このため、この時期は、我が国の歴史的な転換期とも重なり、大河ドラマや歴史小説で多く取り上げられてきました。ですが、当時に活躍した人物や事件についての描写が殆どで、地震が描かれることはほとんどありません。そこで、過去5回の地震について地震と歴史の関係を見ておきたいと思います。

戦国時代に起きた1498年明応地震

 東海地震だと言われている1498年明応地震は、1467年応仁の乱や93年明応の政変の後に起きました。まさに戦乱が始まった時代です。この地震では大きな津波被害を出し、41,000人の死者を出したとも言われています。当時の人口は1200万人くらいですから、現代に換算すると40万人を超えることになります。淡水湖だった浜名湖の南岸が津波によって切れて今切ができたとされ、三重県津市にあった安濃津も津波などで大きな被害を受けたようです。直前の95年9月3日には鎌倉大仏の大仏殿を津波で流した関東地震も起きたとも言われています。応仁の乱や明応の政変に関わった日野富子が命を落としたのは96年で、まさに関東地震と南海トラフ地震の間だったようです。

江戸時代の開府直後に起きた1605年慶長地震

 1605年慶長地震は江戸時代が始まった直後に起きました。この地震は揺れの被害が少なく津波被害が顕著だったため、津波地震だと言われてきましたが、最近では別の場所の地震の可能性も示唆されています。この地震の前1586年には、過去最大の内陸地震と思われる天正地震が発生しました。豊臣秀吉と徳川家康が争った84年小牧長久手の戦いの直後に起きた地震です。富山、滋賀、岐阜、三重、愛知にあった城が倒壊し、戦国武将やその家族も犠牲になりました。家康を攻める兵が集結していた大垣城が倒壊し、家康は命拾いしたと言われます。その後、90年小田原征伐の後に家康は関東に転封になり、92年に文禄の役が始まります。

 96年には、9月1日慶長伊予地震、9月4日慶長豊後地震、9月5日慶長伏見地震が連発します。伏見地震で伏見城に大きな被害が出たため、明との講和が不調に終わり、翌年から再び慶長の役が始まります。さらに翌年に秀吉が逝去し、朝鮮から兵が戻り、1600年に関ヶ原の戦いで家康が勝利します。慶長地震は03年に家康が征夷大将軍になった直後に起きました。さらに、11年9月27日慶長会津地震、11月2日慶長三陸地震、14年越後高田地震と続きます。まさにその時に大坂冬の陣が起き、翌年夏の陣、さらに19年熊本地震が発生しました。歴史的出来事と地震が交錯します。

元禄文化の終焉と1707年宝永地震

 1677年4月13日延宝八戸沖地震、11月4日延宝房総沖地震、翌78年宮城県沖地震と東北や房総の地震が続いた後の80年に徳川綱吉が5代将軍に就任します。その後、生類憐みの令などが出され、元禄文化の華やかな時代となります。しかし、1702年赤穂浪士討ち入り事件が起き、翌03年に元禄関東地震が発生したため、改元されます。元禄関東地震は大正関東地震より一回り大きな地震でした。その4年後に起きたのが宝永地震です。南海トラフの震源域がほぼ同時に活動した有史以来最大の南海トラフ地震です。さらに49日後には富士山の宝永噴火がありました。このように、地震・噴火の続発で元禄の時代が終わり、新井白石が正徳の治を、徳川吉宗が享保の改革を進め社会の混乱を収めました。

幕末に起きた1854年安政地震

 1854年安政地震は東海地震と南海地震が32時間差で発生しました。さらに2日後に豊予海峡の地震も起きます。前後5年間には11個もの被害地震が続発しました。その中には、1万人もの死者を出した安政江戸地震や江戸を襲った大暴風雨もあり、コレラも大流行しました。地震が続発する直前の53年にペリーやプチャーチンが来航し、54年日米和親条約が締結され、尊王攘夷の嵐が吹き荒れました。まさにこの間に、島津斉彬の下で活躍を始めたのが今話題の「西郷どん」です。地震の続発の後、井伊直弼が大老に就任して58年安政大獄があり、60年桜田門外の変で直弼が落命、その後、これらの地震で被災していなかった薩長が力を組んで大政奉還に至ります。

敗戦前後に起きた1944・46年昭和地震

 1923年関東地震で大きな痛手を受けた我が国は、地震が続発する中、急速に軍国主義化し、戦争へと突入していきました。そして、戦況が徐々に悪化し、43年鳥取地震、44年東南海地震、45年三河地震と毎年被害地震に襲われました。東南海地震は過去の南海トラフ地震と比べて小粒でしたが、強震を受けた名古屋の沖積低地には飛行機を製造する軍需産業が集中立地しており、工場の倒壊などで飛行機の生産ができなくなりました。その1か月後には被災地をさらに三河地震が襲い掛かりました。終戦直後には枕崎台風が来襲し、46年に南海地震が発生、47年には浅間山の爆発やカスリーン台風の来襲、さらに48年に福井地震と災害が続き、戦災・震災・風水害で我が国は疲弊しました。ですが、50年に始まった朝鮮戦争の特需で我が国は息を吹き返し、その後の高度成長を迎えました。

 このように、南海トラフ地震の発生は、我が国の歴史の大きな転機と重なります。次の南海トラフ地震の切迫性が高まる中、我が国の体力が弱っているように感じます。私たちの社会のあるべき姿を今一度見直し、レジリエントな社会を作る必要がありそうです。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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