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12月に多く発生してきた国難とも言われる「南海トラフ地震」、どんな地震でしょう?

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
南海トラフ地震(地震調査推進本部資料より)

南海トラフ地震

過去2回の南海トラフ地震はいずれも12月に発生しました。1854年12月23日と24日の安政東海地震と安政南海地震、1944年12月7日の昭和東南海地震と1946年12月21日の昭和南海地震です。昭和南海地震から70年となる12月を迎えましたので、南海トラフ地震について考えてみようと思います。

南海トラフとは、静岡から四国にかけての海側に存在する深さ4000m程度の溝状の地形で、海のプレートのフィリピン海プレートが陸のプレートのユーラシアプレートに衝突して沈み込む場所に当たります。南海トラフの東端の駿河湾の部分を駿河トラフと呼ぶこともあります。ここで起きる地震を南海トラフ地震と言います。ただし、最近では、南海トラフの西の日向灘まで震源域が広がる場合もあると考えているようです。

南海トラフで起きる地震は、1707年10月28日に発生した宝永地震のように南海トラフ全体が一度に活動する場合と、安政地震のように東と西が分かれて活動する場合、昭和の地震のように、東と西が分かれ、さらに東の一部が残る場合などがあり、地震の発生の仕方には多様性があるようです。

地震の呼称についても、安政地震のように、紀伊半島より東で起きる地震を東海地震と呼ぶ場合もあれば、昭和地震のように紀伊半島から御前崎で起きる地震を東南海地震、駿河トラフで単独で起きる地震を東海地震と分けて呼ぶこともあり、混乱気味です。

想定東海地震

安政東海地震では駿河湾奥まで震源域が広がっていましたが、昭和東南海地震の震源域は駿河トラフまで達しておらず、ここが空白域と考えられたことから、1976年に石橋克彦博士により駿河湾地震説を提唱されました。その後、駿河トラフを震源とする地震を想定東海地震と称し、前兆滑りの検知による直前予知を前提とした大規模地震対策特別措置法が1978年に制定されました。

この法律では、甚大な被害が生じると予想される地域を地震防災対策強化地域として指定し、想定東海地震の発生が切迫する状況になった場合には、内閣総理大臣が強化地域での様々な社会活動を制約する警戒宣言を発するという、直前の予知を前提とした地震対策が盛り込まれています。21世紀になって、想定東海地震の震源域の見直しがあり、2002年に地震防災対策強化地域が西側に拡大されました。

その後、マグニチュードMw9.0という2011年東北地方太平洋沖地震の発生や、昭和の地震発生から70年が経過したこと、近年得られた地震学的知見などを受けて、大規模地震対策特別措置法(大震法)のあり方なども議論されるようになってきました。今年9月には、中央防災会議に、南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応検討ワーキンググループが設置され、南海トラフ全体への拡大や、直前予知の限界、大震法のあり方など、精力的な議論が行われているところです。

過去の南海トラフ地震

古文書に最初に現れる南海トラフ地震は、「日本書紀」に記された684年白鳳地震だと言われています。既にご報告(「地震計の無かった時代の地震は、どうやって大きさや震源を調べる?」、http://bylines.news.yahoo.co.jp/fukuwanobuo/20161130-00064976/)したように諸国で多くの建物の損壊や土砂災害があり、道後温泉が枯れ、土佐の田畑が海に没した様子が記されています。

次に古文書に現れるのは、日本三代実録に記された887年仁和地震です。「卅日辛丑、申時、地大震動、経歴数剋震猶不止、天皇出仁寿殿、御紫宸殿南庭、命大蔵省、立七丈幄二、為御在所、諸司倉屋及東西京廬舎、往往顛覆、圧殺者衆、或有失神頓死者、亥時又震三度、五畿内七道諸国、同日大震、官舎多損、海潮漲陸、溺死者不可勝計、其中摂津国尤甚、夜中東西有声、如雷者二」と記され、五畿七道諸国が強く揺れ、津波を伴う大地震が発生した様子が描写されています。

古文書に現れる地震で南海地震と考える根拠は、土佐などで大規模な地盤沈下があった、道後温泉などで温泉が枯れた、都を始め各地で強い揺れがあった、津波があった、などの記述です。ですが、古文書に記述された被災地は限られていますから、正確な震源域の広がりは分かりません。このため、遺跡の発掘調査で見つかる液状化跡などからも推定がされています。

歴史資料に現れる南海トラフの地震の候補としては、684年白鳳地震、887年仁和地震に加え、1096年永長東海地震・1099年康和南海地震、1361年正平(康安)地震、1498年明応地震、1605年慶長地震、1707年宝永地震、1854年安政地震、1944/1946年昭和地震の9つが考えられてきてきました。宝永地震以降は多くの資料があり、昭和地震では地震観測記録も残っています。また、正平地震以降は、見落としは無いと考えられています。白鳳地震より前の文字の無い時代の地震については、津波堆積物調査などから推定されています。

今後の南海トラフ地震

最近になって、慶長地震については、家屋被害が少なく津波被害が顕著だったため、南海トラフ地震ではなかったかもしれないとも言われています。また安政地震と昭和地震は震源域を棲み分けているとの指摘もあります。この場合には、南海トラフ地震の発生間隔は200年程度と比較的長くなります。

一方で、白鳳地震から正平地震の間に新たな南海トラフ地震の候補が見つかると、100年程度の時間間隔で発生していると考えることもできます。

また、津波堆積物調査などからは、有史以来最大と言われる宝永地震クラスの地震は300~600年程度の間隔で発生しており、2000年ほど前には、宝永地震よりも規模のよりも大きな地震が起きていたとの指摘もされています。

このように、世界で最も過去の地震発生履歴が分かっている南海トラフ地震でも、不明な点が多々あり、将来のことを予測するのは難しそうです。

次の大地震が発生するまでの期間が、前の地震の規模に比例すると考えると、大きな地震の宝永地震の後は147年、中くらいの地震の安政地震の後は90年程度だったので、小規模だった昭和地震の後は比較的早く発生すると考えられます。既に昭和の地震から70年程度経過しているので、南海トラフ地震が切迫しているという言い方になります。この考え方は時間予測モデルに基づいています。

一方で、地震はランダムに発生していると考えると、平均的な発生間隔は100年を超えますから、次回の地震の平均的な発生時期はもう少し先になります。さらに、平均活動間隔が100年くらいか200年くらいかもはっきりしていません。

このように、仮定するモデルによっても、将来の地震発生確率は変わるようです。世の中、数字が独り歩きしがちですが、こういった予測は相当に幅があるものだと思って聞いておくことが大切そうです。

大事なことは、防災上は、明日地震が来ても困らないように一人一人が対策を進めておくことだと思います。

南海トラフ地震の今後の長期評価については、平成25年に、地震調査研究推進本部により、「南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)について」(http://www.jishin.go.jp/main/chousa/kaikou_pdf/nankai_2.pdf)に、詳しく解説されていますから、詳細はこちらを参照ください。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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