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文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
昭和9年(提供:MeijiShowa.com/アフロ)

震災と寺田寅彦

著名な物理学者で夏目漱石の弟子でもある寺田寅彦は、「災害は忘れたころにやってくる」など、災害との向き合い方について数多くのメッセージを残してくれています。その寅彦は、1934年に「天災と国防」という文章を経済往来に記してくれています。

文書が書かれた時期は、1923年大正関東地震、25年北但馬地震、27年北丹後地震、30年北伊豆地震、31年西埼玉地震、33年昭和三陸地震津波と地震災害が続発した直後にあたります。まさにこの時期は、27年金融恐慌、31年満州事変、32年5・15事件、33年国際連盟脱退、36年2・26と社会が暗くなっていった時期です。

なんだか、災害の続発と社会の変化の様相が、今と似ているような気もしますので、改めて寅彦の残した文章を振り返ってみます。

天災と国防

以下に、天災と国防の中から、一部を引用してみます。

いつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。~中略~ 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである。~中略~ 人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して来たために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。

出典:天災と国防

バリューエンジニアリング

現代の状況を見事に言い当てているようにも思います。確かに、科学技術は、安全を高めるために使うこともありますが、コストダウンのためにも利用されます。社会でよく用いられている「バリューエンジニアリング」という言葉も、バリューの中に安全が入っていなければ、安全をギリギリにしてコストダウンをしてしまう場合もあります。

大規模化は被害を甚大にする

また、堤防を高くすればするほど、小さな災害は防げますが、一旦、破堤すると逆に甚大な被害を出すことになります。また、建物の規模が大きくなれば、万が一、建物が壊れたときの犠牲者は膨大になります。小さな戸建て住宅が分散していた時代の被害とは大きくなります。例えば、東京のように、狭い地域に膨大な人が住めば、直下の小さな地震でも甚大な被害となります。

大切なものはゆとりをもって

寅彦の指摘のとおり、福島第一原発のように、非常用発電機が作動しなかっただけで、全世界が震撼するような事態となります。やはり、影響力が大きな設備に関しては、効率のみを追求するのでは無く、冗長性やゆとりが必要だと感じます。

今一度、寺田寅彦のメッセージを噛みしめ、これからの社会のありかたについて、考えてみたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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