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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第56回 文庫版あとがき (最終回)

藤井誠二ノンフィクションライター

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文庫版あとがき

冷たい雨がそぼ降る佐田正信の葬儀で、陣内元春がつぶやいた言葉か耳に焼きついている。

「神も仏もあったもんじゃない」。一九九九年十月、佐田は四十歳の若さで逝った。身を粉にして自分たちを励まし続けてくれた唯一の人間がこうも早く召されてしまったことを、元春は受け入れることができるはずがなかった。

佐田の死の数ヵ月前、彼は私をいつもどおり直方駅までクルマで送ってくれた。私はそのとき、医師である豊福正人から佐田の生命はもってあと数ヵ月だということを知らされていた。佐田もまた己の身体をガンが猛烈な勢いで蝕んでいることを知っていた。別れ際、私は佐田に「佐田さんは絶対に死んだらいかんよ」としか声をかけることができなかった。佐田は、「うん、わかっとるけん」と笑顔で答えた。

その後、佐田の訃報を知らされ、枢に横たわった佐田の顔を見るまで私は彼に会うことはなかった。枢に横たわった体は枯れ枝のようになっていた。私は、泣きに泣いた。

佐田はその生命を賭して、日本の学校教育に巣くう異常性を問い、学校化された町や人の在り様をも糺した。私はそんな彼の闘いの軌跡を記録したにすぎない。今日の日本の学校教育がわずかでもいい方向へと舵取りをしているとすれば、それは知美や佐田ら犠牲者とその意味を問い続けた人々の累々たる営為があったからこそである。私たちはそのことを絶対に忘れてはならない。

合掌。

二○○二年十月 藤井誠二

解説 吉岡忍

藤井誠二は闘っている。必死で、うんうん言いながら闘っている――

『暴力の学校 倒錯の街』を読んでまっ先に頭に浮かぶのは、何よりもまず書き手が闘っている、という印象ではないだろうか。彼がこれまでに書いた本のどれにも同じことが言えるけれど、とりわけ本書にはその印象が強い。

すでに読まれた方にはくり返しになるが、ここで取り上げられるテーマは体罰である。教員が生徒に対して暴力をふるう。平手打ち、殴る、蹴飛ばす、突き飛ばすなどなど日常的にくり返される体罰によって、女子高校生が死亡する。学校側は何とかこれを例外的に起きたことだと取りつくろおうとし、当の教員もまた不幸なはずみにすぎなかったと言い逃れようとする。取材をかさねる藤井は「暴力の学校」の実情をあばき出していく。

しかし、この事件のもうひとつの異常さは、教員による暴力を「愛の鞭」などという通俗的な言い方で肯定し、殺された女子校生こそ悪かったのだと言いつのる地域社会の陰湿さにある。犯人の教員にかつて教わったという大人たちや、彼の大学同窓生らが裁判所に提出する嘆願署名を集めはじめ、その過程で被害者の人格をおとしめる嘘や噂を平気で流すようになる。学校と事件を取り巻く「倒錯の街」の異様な光景だ。

もちろん残された両親や、けっして多くはなかった支援者たちは学校関係者や署名運動の責任者らと会い、こうした大きなねじれ、壮大な嘘と闘った。本書にもその様子は描かれているが、正体はなかなかつかめない。それが街の底のほうからにじみ出し、街全体を覆い、学校の暴力性と密通する倒錯であってみれば、一人二人の悪意を探し当てるだけでは、その全体像も本質も見えてこない。藤井が闘っているのはこの濃い闇である。はね返されても、またはね飛ばされても、彼は立ち向かっていく。

何のために? 何が彼を駆り立てるのだろうか?

暴力の学校と倒錯の街を生みだし、成り立たせるのは、ある特殊な教育観であり、学校観である。学校が子どもたちの学力ばかりか人間形成にも寄与する場であって、教育とは人格を作り、高めていく仕事なのだという通念。日本においてばかりではなく世界中の近代化過程で語られ、強調されてきたこの教育観を疑うこと。そんなものはもう有効ではないし、実際にはどこにも存在しないのだと認めようではないか。藤井はそう言っているのである。本書の最初のほうで、こう書いているのを見逃してはいけない。

「生徒は教員に期待しないほうがいいし、教員は生徒と信頼関係ができるなんて幻想は捨てたほうがいい。互いにいがみあったまま、生徒は学校という時間を通り過ぎていけばいい。掃いて捨てるような、次から次へと流れ去っていく日常の光景で終わっていけばいいのだ。多少の痼が生徒の心に残るかもしれないが、そんなものはその先に続く人生の中で償却してしまえばいい――私はそう思っている」

さりげなく書かれたこの一節にこそ、彼が暴力の学校と倒錯の街に突き進んでいく原点がある。中盤から後半にかけての悪戦苦闘を支えるエネルギーも、ここから汲み取っている。私はこの冷静な教育観を折々に、もう少し展開したほうが書き手の意図が伝わったと思うのだが、ともあれしかし、彼にとってはこれこそがリアルな認識だった。読者はここを心得て読み進めば、暴力の学校の異様さも、倒錯の街のグロテスクなさまもよりいっそう鮮明に理解できるにちがいない。

じつは私は藤井誠二を二十年ほど前から知っている。そのとき彼は高校生だったか、高校を卒業した直後くらいだったか。最初に会ったのは愛知県だ。きびしい管理教育で全国に名を馳せた、あの愛知県である。服装や所持品や日常的な立ち居振る舞いにこまごまとした規則があり、担任や生活指導の教員たちが目の色を変えて生徒たちを追いかけまわしていた。彼はその無意味さと暴力性に気がつき、抵抗しはじめた一群の少年たちの一人だった。

この本のなかで「生徒は教員に期待しないほうがいい」「互いにいがみあったまま、生徒は学校という時間を通り過ぎていけばいい」と書く藤井の学校側と教育観は、ほぼ間違いなく彼自身の体験から導き出されている。しかし、彼の特異なところは、その体験を忘れなかったこと、そこを出発点にして、ずっと教育と学校の問題を考え、その現実と闘いつづけてきたことだ。

管理教育はその後、全国に広がり、地域地域に根を下ろしていった。多くの学校で頭髪の長さやスカート丈をミリ単位で指示し、茶髪やピアスやケータイを禁止し、外出時の服装まで定めた校則が作られ、それらは年を追うごとにこまかくなった。そして、そのひとつひとつが教員と生徒とのあいだの対立を作り出し、敵対関係を深める原因となっていった。

だが、見落とすことができないのは、こうした校則の細分化と厳格な管理監視がもう一方で、通俗的な教育観――学校は子どもたちの人格形成にかかわり、寄与するのだという通俗的な教育観を呼び覚まし、強化していったことである。むしろその復古と補強なしには、校則による管理監視体制は維持されなかっただろう。ここに暴力の学校と倒錯の街が相互に浸透し、支え合う思想的基盤ができあがる。かくして容認された暴力が、たとえば本書がくわしく描き出すように、生徒の生命を奪うまではあと一歩となる。体罰は当たり前となり、学校に立ちこめるこの暴力的気配がまた生徒間のいじめと憎しみと暴力の土壌となる。

藤井は闘っている、と私は言った。彼は学校の暴力性をあばき出し、地域の人々の倒錯性に怒っているだけではない。教育と学校、地域と社会をめぐる通念そのものと闘っている。それは、現実に機能している思想の最前線ということである。

ひとつ、つけ加えておきたい。

藤井もあとがきで記していることだが、本書が成り立つまでには、遺族をふくめた地元の多くの人たちの尽力が欠かせなかっただろう。むろん彼らも闘っている。こうした活動の経緯や意味を恒常的に伝えるメディアは、いまどんどん少なくなっている。教育関係の専門誌もないわけではないが、それらは生々しい現実には触れたがらない。

そんななかで教育評論家の斉藤次郎が個人誌『三輪車疾走』の紙面を提供し、藤井に書くように励ましたという。斉藤は教育評論の枠にとどまらず、生きることのリアリティーを表現してきた人だが、この度量もなかなかのものである。現実に動いている通念と闘う思想の最前線は、マスメディアにではなく、このような小さくはあれ先鋭的な場にこそ築かれるという、これはみごとな実例となっている。

(よしおか・しのぶ ノンフィクション作家)

暴力の学校 倒錯の街

福岡・近畿大附属女子高校殺人事件

朝日文庫

2002年11月30日 第1刷発行

著者:藤井誠二

発行者:柴野次郎

発行所:朝日新聞社

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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