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「フリー研究者」の時代がやってきた?!その可能性と課題

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
コンピュータ一つがあれば研究できる(写真:アフロ)

近畿大学辞めました

 SNS上をブラブラとしていたら、あるブログが目に飛び込んできた。これは!と思わず声を出しそうになった。

 2019年3月で7年勤めた近畿大学を退職し、フリーランスの研究者をしている経済学者の方のブログだ。

 思わずハッとなってしまったのには理由がある。私も2019年3月で、7年半勤めた近畿大学を退職したからだ。学部も立場も退職の理由も違うし、フリーランスになったわけではなく、地方の病院に勤務しているわけだが、シンクロニシティを感じざるを得ない。

 上記ブログでは、研究をするために大学を辞めたことが綴られている。給料も3倍にアップしたという。

大学教員の業務が多すぎ・給料が安すぎなのにも関わらず現状で耐えている人が多いのは「大学以外では研究できない」と思い込んでいるからだと思います。そうではないことを証明したいと思ってはいますが、社会の利益を考えられる性格ではないので、参考になるなら勝手に参考にしてくれという感じです。

出典:近畿大学を退職しました

 私の退職の経緯は、昨年個人のブログに書いている。

 私の場合は研究というより、科学技術政策や大学も含めた研究そのものを外から眺めたいと思って辞めたが、大学や研究機関に所属しなくてもやれることはあるだろうという思いは共通している。

 私はブログに以下のように書いた。

 また、私は常々博士号取得者は社会の様々な場で活躍できると言っておきながら、その私が大学に所属しているという矛盾をどう考えるのか…。口先だけでいろいろ言っていてもだめだ、身をもって証明しなければいけないと…。

 私自らが、いわゆるロールモデルとして、生き方を示していかなければならないと…。

 幸いにも環境は整いつつあります。オープンアクセスはだいぶ進んできました。DIYバイオなど、ウェットな科学(試験管を握る研究)を自宅で行う人も現れています。スマホ一つで大学に所属しなくたっていろいろできます。

 医療の世界では、上昌広先生率いるNPO法人医療ガバナンス研究所のように、大学に属さず論文をどんどん書く集団も現れています。

出典:これからも知を駆動力とする社会を目指して

 私のほうが力が入っているような文章だが、先に挙げたブログの方のように、軽やかに大学を飛び出すほうが自然でいい。

 なお、私の場合、病院の常勤職であり給料はアップしていない。

フリー研究者次々とあらわる

 最近こうした研究機関に所属しないで研究を行う人たちの記事を目にする機会が多くなってきた。

 個人事業主になる本当の意味でのフリーランス研究者以外の、研究機関に所属しないで別に職業を持ちながら研究者する人たちを何と呼ぶかは悩ましい。在野というべきか、民間というべきかわからないが、伝統的研究機関(アカデミア)からフリーであることは共通しているので、ここではそういう方々も含め「フリー研究者」と呼ばせてもらう。

 今年発売された「在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活」(荒木優太 編著 明石書店)には、大学や研究機関に所属しない研究者の方々の事例が掲載されている。

 分野は実に多様だ。政治学、法学や社会学など、人文社会科学系だけでなく、昆虫を研究されている方もいる。

 勝手に生命科学の研究をしてしまう人たちについては、常々ご紹介してきた。

 最近ではAI(人工知能)の研究をしてしまう人たちも登場している。

 医師はもともと大学以外の病院に勤務しつつ論文を書く人はそれなりにいたわけだが、常勤の病院の所属すらなくし、独立して研究を行う人たちも現れている。

大学を変えるフリー研究者

 いったいフリー研究者は何人くらいいるのだろうか。フリーであるがゆえにどこかに登録の必要はないのだから、数を正確に調べるのは難しい。しかし、これだけ記事や書籍を目にする機会が多くなってきたのだから、トレンドになりつつあると言えるのかもしれない。

 私は、こうしたフリー研究者が増えることは、大学や伝統的研究機関にとってもよいことだと思う。

 大学でパワハラやセクハラが横行し、非常勤講師の方々が安く買い叩かれ、雇止めされているのも、大学しか研究する場所がないと足元をみられているからだ。

 上記の記事には私のコメントも出てくるが、こうした問題が解決しなかったのも、問題解決をしなくても支障がなかった、問題解決をしようと思わせる動機が大学や政府に生じなかったからだ。

 どんなにひどい環境でも、大学や研究機関しか研究の場でなければ、いくらでも代えがいる。就職氷河期世代はとくに、団塊の世代の研究者の雇用を守るために正規雇用の研究者の数が絞られてしまった。

 もしも、こんなひどい環境だったら大学や研究機関にいる必要はない、と優秀な研究者が次々と在野に飛び出せば、大学や政府もなんとかしなければならないと、対策に本腰をいれることだろう。

 ただ、ことはそう簡単ではない。

 最近若手研究者の対策をなんとかしなければと政府が本腰になってきたのも、守るべき団塊の世代が引退し、少子化によって若手研究者の数が減ってしまったからだろう。

 しかし、就職氷河期世代の研究者をなんとかしようという動きは乏しい。いまこの世代の研究者が在野に飛び出したところで、次の世代に空きが出たとしか思われないかもしれない。40代以降では、生きるための職を探すだけでも簡単ではない。せめて10年前に、フリー研究者のブームが起きていれば、と思ってしまう。

 とはいえ、そうした側面からのみフリー研究者を見てはならない。

 本来研究は好きでやるものだし、フリーのほうがしがらみがないなどの利点がある。

 伝統的研究機関に居場所がないからフリーに、ではなく、やりたいことをやれるのがフリーなんだという前向きな考えでフリーになる人が増えるべきだ。

フリー研究者の課題

 私はフリー研究者を前向きに捉えているし、一つの希望だと思っている。

 ただ、だからといって手放しでフリーがよい、というわけではない。

 フリー研究者の課題は、「トンデモ」にならないことと研究倫理だと思う。

 根拠が曖昧、論理が飛躍しすぎているなどの珍説、異説を唱えないように、研究作法はきちんと身につけなければならない。それと関連しているが、研究倫理はきちんと学ばなければならない。

 研究機関に所属していれば、なんらかの形で研究倫理を知る機会がある。それが有効に働いているかは別として、ではあるが。

 一方、フリーでいる場合、そうした研究倫理は自らが学んで身につけなければならない。

 もちろん、自ら進んで学ぼうとするフリー研究者はいる。私が近畿大学にいるときに、知人の民間病院で働く研究者兼医師が、私の研究倫理に関する講演を聞きにきてくれた。ただ、自主性に期待するしかない。

 ゲノム編集も在野でできる可能性がある。AIが兵器などに使われる可能性もある。盗用などを行わないように、先行研究や文献の引用作法を身につけることは不可欠だ。こうしたなか、フリー研究者の自主性に期待するだけでよいのか。考えなければならない課題は多い。

 それでも、フリー研究者は増えるべきだ。それが社会を良くすることになると信じている。

 米本昌平氏の言葉を紹介し、本稿を終えたい。

研究という基本的権利を、いまほとんどの人は職業研究者に託している もしこの権利を個々人が自ら行使しようとしたらどうなるか 科学のあり方、大学のあり方に根本的変化が生じてくるに違いない。

この種の個人の研究活動が組織化されれば、既存の権威を監視しチェックする知的なNGO(非政府組織)として重要な社会的機能を担うことになるだろう。

出典:米本昌平 中央公論 1999年4月号

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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