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翁長知事の病理診断結果公表はなぜ3週間以上もかかったのか(加筆あり)

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
顕微鏡の先にみえる組織が何か知るために、病理医、臨床検査技師は日夜格闘している(写真:アフロ)

膵臓に腫瘍が

 去る4月21日、沖縄県の翁長雄志知事が手術を受けた。

手術について翁長知事の膵臓(すいぞう)にできた腫瘍を切り取る外科的治療だったと発表し、富川副知事は「予定通り順調に終了した」と説明した。

出典:琉球新報

 記事によれば、膵体尾部(すいたいびぶ)に2cmの腫瘍ができたため切除手術を受けた。腫瘍の種類は現時点で公表されていない。

 5月15日追記

 5月15日に翁長知事が記者会見し、膵がん、ステージ2であることを自ら明らかにした。

15日午前に浦添市内の病院を退院した翁長雄志知事は同日午後1時半から県庁で記者会見を開き、手術の内容や現在の体調について発表した。病理検査の結果、膵臓(すいぞう)に見つかった腫瘍は悪性で、進行度が「ステージ2」の膵臓がんだったことを公表した。

 その上で、膵臓以外の臓器には腫瘍はなく、主要部を切除したと説明した。

 がんの転移については「膵臓周囲のリンパ節にひとつ確認されたが切除された」と説明。

出典:琉球新報

 膵臓に留まる3cm大の腫瘍で、リンパ節転移が一個あったとのこと。pT2、pN1でStage IIbということだろう(医学用語なので、分からなかったらご容赦を)。

 膵臓の腫瘍には、良性の腫瘍から悪性のがんまで様々な種類がある。

膵臓にできる腫瘍には、一般的に「膵がん」と呼ばれる悪性の腫瘍や、その他にもいろいろな種類の腫瘍がありますが、腫瘍の種類、状態や進行度などによって治療の方法が変わります。

出典:国立がん研究センター東病院

 膵癌取扱い規約第7版には、35種類の腫瘍が掲載されている。

 これだけの種類の中から、どの種類の腫瘍なのかを調べるには、腫瘍細胞を切り取ってきて調べる必要がある。

 それが病理診断だ。

病理診断が出るまで

 翁長知事から切り取られた腫瘍は、病理組織標本(ガラス板に薄く切った組織が載せてあるもの。細胞に色がつけられており、顕微鏡で見ることができる。)が作成され、腫瘍の種類、大きさ、切り口に腫瘍がないかなどを病理医が詳細に調べることになる。腫瘍の種類が分からなければ、手術後に取り切れたか分からなければ、適切な治療はできないのだ。

腫瘍が良性か悪性かを判断するための組織の病理検査には2週間程度を要すると説明した。

出典:琉球新報

 この記事を書いている5月2日は、手術から11日経過し、結果公表の直前という時期だ。

 追記:その後5月15日に結果が公表された。

 この記事を読んでなんでそんなにかかるのか、要人なのだから白黒早くはっきりさせればいいのに、と思った人もいるだろう。血液検査などすぐ出るのに、病理検査は何ちんたらやっているのだ、その間腫瘍が広がってしまったらどうするのかと…

 なぜそんなに時間がかかるのか。それは、標本が作成され、診断するまでに多数の工程が必要だからだ(参考 病理検査の処理工程について)。

  • 手術当日:手術で切り取られた組織が病理検査室に到着。ホルマリンに浸して固定
  • 2~3日目: 病理医が顕微鏡で見るべき必要な部位を切り出す(切り出し)→脱水(脱脂)脱アルコールパラフィン浸透パラフィン包埋薄切伸展染色封入
  • 3日目~:病理医が標本を顕微鏡で見て診断、報告書入力

 切り出しの一部と脱水から封入までは臨床検査技師が行う。大きな組織の切り出しと病理診断が病理医の仕事だ。

 あれ?3日でできるじゃん?と思われた方もいるだろう。これはあくまでもっとも順調にいった場合だ。

診断に時間がかかる原因は?

 診断が遅れる原因は多岐に渡る。

 まず初日の手術がいつ行われたかが重要になる。切り取られた組織はホルマリン(中性緩衝ホルマリン液)に浸して、組織を標本作成に適するようにしなければならないが、大きな組織だとホルマリンが組織に行き渡るまでに時間がかかる。夜の手術だと、翌朝はまだ組織にホルマリンが行き渡っていないため、もう少しホルマリンに漬けておこうということになり、切り出しする日が手術日の翌日にならないこともある。

 切り出しの時間が午前中か、午後かによっても、それ以降の作業が行われる時間が変わってくる。

 そして何より、病理医に標本が渡ってから診断が報告書に入力されるまでに時間がかかることがある。

 腫瘍の95%は、顕微鏡で標本を見ただけでがんかそうでないかが分かる。しかし、腫瘍を見ただけでは、どの種類の腫瘍か分からず悩むことも少なからずある。

 そういう場合は、免疫組織化学染色を行うことが多い。この方法は、腫瘍の細胞が作り出すたんぱく質の種類を調べて、腫瘍の種類を特定する方法だ。これを行うには半日から一日かかる。

 腫瘍の種類に迷う場合は、その腫瘍の専門病理医に標本を郵送したり、標本を持参したりして意見を伺うこともある。専門家からの返事をいただくまでには、長いときで数ヶ月かかることさえある。

 いずれにせよ、最終的には複数の病理医の合意の上に診断が確定される。診断結果を、手術を行った外科とともに議論することもある。

 そして、こうした作業工程はウィークデーに行われる。土日祝日等は工程が先に進まない。連休があるときなどは思った以上に時間がかかるのだ。

常勤病理医がいないという制約

 翁長知事が手術を受けたのが4月21日土曜日だ。手術を受けた浦添総合病院は土曜日は休みだから、臨時で手術を行ったことになる。切り出し以降の作業工程は4月23日(月)以降の週に行われたと思われる。

 ここで問題になるのが、浦添総合病院には標本を作成する臨床検査技師はいるが常勤病理医がいないことだ。

当院は常勤の病理専門医が不在ですが、病理検査室があり、標本も独自に作成しており、専門研修連携施設となっています。施設の規模に比して消化器外科とくに肝胆膵領域の手術が多いことが特徴です。週に 2 日、基幹施設である琉球大学病院病理診断科から病理専門医に来ていただき、病理診断業務が行われています。

出典:沖縄病理専門研修プログラム

 つまり、病理医が来院する日にしか病理診断をはじめとする業務ができない。4月23日からの週の前半に来院した病理医が、翁長知事の膵臓の切り出しを行うことになる。すると、週の後半に来院した病理医か、もしくは今週の前半に来院している病理医が病理診断を行うことになる。常勤医のいない病院で、2週間程度で病理診断の結果が出るというのは妥当なのだ。

 なお、腫瘍の手術をする際には、手術室に患者さんがいる段階で、切れ端の組織を取ってきて、そこに腫瘍がのこっているかいないかを確かめる術中迅速診断を行うことが多い。術中迅速診断は病理医しかできない。だから

術中迅速診断が必要な症例の手術を病理医が来る日に行うなどの制約を受けている

出典:福井新聞 ONLINE

 という病院は多いのだ。

 報道によれば翁長知事は本来病院が閉まっている土曜日に手術を受けている。術中迅速診断は行われなかったのだろうか。

 話を戻すと、明日以降連休でもあり、診断に悩み免疫組織化学染色を行う、あるいは追加で別の部分を標本にしたい場合には、さらに時間がかかり診断結果公表が来週以降になることになる(追記:結果公表は5月15日に行われた)。

 浦添総合病院は334床の一般病院だが、この規模(300床~399床)の病院で常勤病理医がいるのは36%に過ぎない(200病院/556病院中;厚生労働省 平成28年(2016)医療施設(動態)調査・病院報告上巻J17より)。

 病床数を別にすれば、全国の一般病院7380中、病理医がいる病院は837病院。11%に過ぎない。つまり、日本の9割の病院では、手術をしてもすぐには病理診断ができないのだ。

病理診断を早く行うために

 手術から2~3週間ではそれほど悪化はしないと思われるが、悪性腫瘍であった場合、早めに追加治療するに越したことはない。診断結果を待つ御本人、ご家族にとっても、診断の結果を待つ時間は辛い時間になるだろう。医師も早く治療したいという思いは持っている。

 だから、私達病理医や標本を作る臨床検査技師は、他科の医師から、早く診断して欲しいという要望を常に受けている。他科の医師も病理診断が出るまでのプロセスをあまり知っているわけではないから、連休の翌日などは問い合わせが殺到することもある。こちらとしても早く病理診断を出したい思いを常に抱いているが、上記で述べたような限界があり、忸怩たる思いを抱くのだ。

 では、病理診断を早くするためにはどうすればよいのか。

 病理医を増やすことが第一だろう。しかし、病理医が一人前になるためには10年かかる。2018年度からあらたに病理専門医研修を受ける医師は101名2017 年度に病理専門医試験を受験した病理医は 86 名だから、この101名が脱落せずに病理専門医試験を受験してくれたら、病理専門医受験者が15名増えることになる。

 とはいえ、年間15名病理医が増える程度では足りない。

 AIが病理診断する時代が目前だとはいえ、全国の病院に浸透するには時間がかかる。

 一つの解決策は、一日で標本が作成できる機械の導入だ。

従来は病理組織標本を作製するのに少なくとも一昼夜以上かかっていたが、迅速な病理組織標本作製を可能にする医療機器が開発され、内視鏡検体などさほど大きくない検体では、検体採取から約2時間で病理組織標本(プレパラート)作製が可能となっている。

出典:日本病理学会「国民のためのよりよい病理診断に向けた行動指針2017」

 とはいえ、この機械は高額で、これを使うためには人手が必要になる。臨床検査技師の人員も決して充足しているわけではないので、結局人手不足が大きな足かせとなる。

 このように、診断を早く行うことは容易ではない。しかし、患者さんのために、そして医療費削減のために、なんとか実現したい課題だ。そのためには、国民の皆さんの理解と支援が必要になる。

 がん診療、治療というと、がん免疫療法や外科手術など、華々しい話題がどうしても注目されるが、裏方ともいえる病理診断の体制が、がん診療に大きな影響を与えていることは、ぜひ覚えておいていただけたら幸いだ。

 翁長知事の一日も早い回復を心よりお祈りする。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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