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バイトテロを「実際に見た」学生は12%もいるらしいが、SNSが問題ではない

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(GYRO PHOTOGRAPHY/アフロ)

 3月29日、#SHIFTに「学生バイトの12%「バイトテロ、実際に見た」 調査で判明」と題する記事が掲載された。

 ご存知のようにバイトテロとは、飲食店や小売店などで働くアルバイト従業員が、食品や什器を使用して悪ふざけを行う様子をSNSに上げ、炎上させることをいう。マクロミルの調査によれば、「バイトテロに相当する行為を実際に見かけたことがある」と回答した学生アルバイトは、なんと11.9%にものぼるようだ。

 調査では「アルバイト先にはバイトテロに相当するような行為について禁止するルールやマニュアルが存在するか」という質問もなされたが、「ない」が31.0%、「分からない」が34.9%、「ある」は34.0%であった。冗談のようだが、いまや3分の1以上の職場が、バイトテロの禁止をルール化している状況なのである。

 調査では「アルバイト先で個人のスマートフォンや携帯電話を勤務時間中に操作することが許可されているか」という質問もなされている。結果は67.4%が「許可されていない」だったが、筆者はこの質問に、少々の違和感を覚えている。筆者の周りでもその傾向があるが、こういった問題が起きると、スマホやSNSは危険だという主張がなされることが多い。しかし別に、スマホやSNSはなにも悪さはしない。悪さをしているのは、人間である。

 したがって、たとえスマホを禁止したとしても、そういうヤカラは別の悪さをする。また、たとえ禁止したとしても、人目を盗んでスマホを使うだろう。実際に、禁止されている場合でも「操作している」と答えた学生は約15%もいる。こやつらがテロリスト予備軍なのだから、スマホ禁止は対症療法にすらなっていないのだ。問題の原因は残り続けている。

 いったい日本の学生たちの間で、何が起きているのか。筆者の経験も交えて、考えてみることにしない。

言われなければわからない人たち

 バイトテロばかりではなく、若い人たちの非倫理的な行動は目立つようになってきている。

 例えば、飲食店の無断キャンセルが問題になっているが、VESPERの調査によれば、無断キャンセルは20代が49.2%、30代が27.3%である。実に4分の3以上が、40歳未満の人たちの仕業であるということだから、やはり不道徳な行為は若い人たちの間で行われていることになる。なお、調査は20代~50代に対して行われており、高齢者は含まれない。

 筆者は三重県鳥羽市の答志島での漁業ボランティアを支援しているが、このたびわが皇學館大学の学生のほかに、一般の学生も募集することにした。とある国立大学の学生が応募してきたのだが、当日になっても姿を現さない。事故にでも遭ったのではと心配し、何度も電話したがつながらない。メールを送って数日後、ようやく返信があったのだが、キャンセルをした「認識」とのことだ。参加者の手引きは引っ越ししたため受け取っていない、電話を着信拒否したのは迷惑電話だと思ったからだ、との理由も述べられていた。

 いうまでもなく、仕事は人を配置することで成り立つから、ドタキャンされると漁師が困ってしまう。また、旅館も3泊4日で予約しているから、結構なキャンセル料が発生する。この件で、筆者は相当心が痛んだ。そして、こういうリスクがあるため、以後は身元不明の学生は呼ぶことができなくなってしまった。はなから企画がくじかれてしまったわけである。

 また筆者は、これまで東京などで定期的に交流会を企画してきたが、たしかに学生のドタキャン率は高かった。よってコース予約などは、基本的に行わないようにしている。経験上、20人の集まりの場合、だいたい3~5人が来ないと思うようにしている。しかもドタキャンした輩は何の悪びれもないから、タチが悪い。

 よくないと指摘すると、ドタキャンしてはいけないとは聞いていなかったと言う者までいる。ダメに決まっているのだが、どうやら本気でそれがわからないようなのだ。そういう人たちだから、常識的にやってはいけないことをし、SNSにアップしたりもする。そもそも善悪の基準がないから、反省もできない。

 禁止事項を明文化せよと言う人もいる。しかし、すべてのルールを教え込むことは現実的に不可能である。当然やってはいけないことまでルール化していては、膨大なルールが必要になってしまう。おそらく六法全書よりも分厚いルールブックが出来上がるだろう。そのようなルールをすべて覚えることなどできない。だいたいヤカラどもは、漫画すら読まない。

 彼らはどうやら、自分の行動が他者を困らせることが想像できないようだ。インターネットは便利だが、人の顔が見えないという難点がある。したがって、電話やネットでの予約をしたときに、食事を一生懸命に作っている人や、自分の店を切り盛りしている人がいることが頭に浮かばない。人が困っている顔がみえないため、悪いことをしたという「認識」がなされないのである。せいぜい、キャンセル料がかかることによる自己の不利益ぐらいしか、頭をよぎることはないだろう。

道徳教育をしなければ日本が滅びる

 ビジネスは約束によって生じるのだが、そこには暗黙の約束も存在する。もしもこのまま約束が共有できなくなれば、日本ではビジネスを行うことはできず、したがって国が滅びていく。さもなければ、がんじがらめのルールに縛られた、ギスギスした社会ができあがってしまう。

 社会における善悪の基準を教え、また子供たちの心に根づかせるための教育、道徳教育が必要である。しかるに、いまの学校現場で道徳教育はできるだろうか。最も多感な時期に教育を行う中学校では、57%もの教員が過労死ラインを超えている。徳育は生徒一人ひとりと向き合うことで行われるものだが、そのようなことをしている時間は現場の教員にはないのだ。

 だとすれば、教員の責任から外れたところで行う必要があろう。家庭に任せることが第一だが、そもそも両親が道徳心を育んでいないケースがある。かねてそういった場合に効果を発揮したのが、地域のつながりであった。親が教えられなくても、地域の大人が教えられる。かくして人は、社会のなかでまっとうな人間として育ってきたのである。日本には、自助のみならず、共助の精神があった。ムラとか世間のなかで、そういった精神を保ってきたのが日本の歴史である。

前にも述べたが、再度主張したい。道徳教育は、地域の大人にアウトソーシングせよ。大人と一緒に様々な活動に参画していくなかで、他者の立場を理解し、人のつながりを意識し、道徳心を育むことができるようになる。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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