地方創生のカギは学校教育にあり 郷土愛を育てる新たな取り組み

(ペイレスイメージズ/アフロ)

 2月23日、三重県伊勢市で、第9回伊勢市総合計画審議会が開催された。

 ただいま伊勢市は、2018年度から2029年度にかけて市政運営の基本的な方向を示す「第3次伊勢市総合計画」を立案中である。計画は、市の行う政策や事業の根拠となる最上位計画、という位置づけである。総合計画は、基本構想、基本計画、実施計画の3つからなり、市の目指す将来像である基本構想にしたがって、基本計画と、その実施計画がつくられる。

 ようするに、長期のビジョンに応じて大まかな戦略が策定され、それを実施するための施策がつくられていく、ということである。審議会は、計画に関する重要事項について調査・審議するために存在する。いってみれば、今後の伊勢市の方針となる試案をつくるための、きわめて重要な機関だ。ちなみに審議会では、筆者の所属する皇學館大学現代日本社会学部の新田均学部長が、会長を務めている。

 これまでの流れについては、伊勢市のホームページをご覧いただければ、およそ掴むことができる。計画において最も重要となるのは、伊勢市の独自性をあらわすビジョンだ。よいビジョンは、それを目指すための施策が選択できるものとなっている。ご存知のように伊勢は、神宮が中心となり、歴史的・文化的遺産が育まれてきた地域である。いわば神宮は、地域住民の誇りであり、よりどころである。そのような前提のもと、まちの将来像は「つながりが誇りと安らぎを育む 魅力創造都市 伊勢」と定められた。少し長いが、よいスローガンだと思う。

 ところで同日の審議会では、教育を中心に議論が進められた。教育分野の基本計画において、目指す姿は「郷土を愛し、夢と意欲を持ち未来を切り拓く人づくりのまち」と定められたが、学校教育における課題(今後やること)においては、郷土愛の観点が抜け落ちていたためである。たしかに郷土の「学習」の観点はある。だが、たんに知識を習得するというだけでは、郷土愛は育まれない。日本史の丸暗記が愛国心を育まないのと同じように、である。

 そうはいっても、学校教育において郷土愛を育むというのは、たしかに難しい。計画に盛り込むことが躊躇されたのも、やり方によっては逆効果となってしまうことが懸念されたためであろう。そのため筆者は、具体策を考えてみた。みんなのつながりによって、伊勢がよいまちになればと思った次第である。

郷土愛の教育はアウトソーシングせよ

 審議会に参加したある職員のいうように、たしかにいまの学校には「郷土愛」を育むための科目がない。これに対し、新田会長が応答するように、だからこそ様々な教科や学校生活の中で郷土愛を育むことができる、ともいえるだろう。しかし学校の先生たちは、きわめて多忙である。加えて郷土愛も、となれば、疲れ果ててしまうだろう。愛とは本来、心からわき上がるものであるから、そのような教育環境で教えられる「郷土愛」は、押しつけがましいものとなってしまうかもしれない。

 かといって、先生たちの負担を減らすために、教育における重要事項の一つを削るわけにはいかない。人間は社会的動物である。社会の一員として自己の能力を発揮することで、よりよい社会が形成され、ひいては自らもよき生を送ることができる。しかし地域社会は、愛着とか愛情といったものがなければ、維持できない。たんに身の安全とか自己利益のためということでは、責任をもって地域を維持発展させていこうという動機は薄れてしまう。地域に衰退の色がみられれば、すぐさまその地から離れてしまうことだろう。

 郷土愛を育むのは学校でなくともよいのでは、という意見もあるだろう。これについては、子供たちの主に所属する場所は学校であるという事実によって覆される。子供たちの仕事は、学ぶことだ。そのための主な機関である学校において郷土愛を育むことは、少なくとも現状においては、妥当であろうと思われる。

 しかし問題は、あまりにも学校が社会から独立して運営されていることだ。そのため先生たちは、子供たちの成長という重大な仕事に関して、責任を負いすぎている。かねて子供を育てる役割は、地域社会もまた担っていた。地域社会が衰退したことによって、教育機能が学校現場に集中している。それを先生たちだけで運営しようというのだから、無理が生じるに決まっているのである。

 学校がやるしかないのが現状だ。よって解決方法は、アウトソーシングである。すなわち、外部資源の有効活用である。郷土愛、地域愛を育てる仕事は、地域の人たちに委ねるのである。たしかに先生たちは、国語とか社会といった教科においても、郷土愛を養う必要があるだろう。しかし、それらの教科だけで完結させることはできない。愛というのは、知識ではなく、心である。心は動かされることで、育まれる。人と人とがつながること、営みを共有することで、心は動かされ、愛が醸成されるのである。つまりは、郷土のうちで生きること、生きていると実感することが、郷土愛を育むのである。

 小中学校の教員には子供の教育に専念させよ:教員勤務実態調査まとめのなかで、先生たちを授業と生徒指導に専念させるべきだと述べた。先生たちを解放し、抱いていたはずの大望を取り戻すためである。郷土愛を育むための取り組みもまた、先生たちにではなく、外部に委ねたほうがよい。よい心で教育をする先生たちでなければ、よい心をもった子供たちは育てられない。

学校というつながりの場

 これからの学校は、地域のつながりの場として機能させていくべきであろう。したがって文科省は、地方創生のための予算の一部を、学校運営に移したほうがよい。学校に、地域とのつながりを担う専任の職員を設け、教員とは異なる彼らがコーディネーターを務めるのである。あるいは学校という領域を、建物としてではなく、地域全体として捉えるように視野を広げていくべきである。

 すでに安倍内閣において教育提言を行う教育再生実行会議は、第六次提言において、教育機関を核とした地域活性化を目指すこととした。すべての学校がコミュニティ・スクール(保護者や地域住民がともに運営する学校)を目指すことを、方針として掲げているのである。国家の方向性からいってみても、たしかに学校教育において郷土愛の育成を目指すことは、妥当といえよう。

 だからこそ学校は、及び腰になることはない。学校における郷土愛の育成は、地域の人たちに任せてしまおう。学校として、地域と連携する方針を明確にしてしまえばよいのである。とりわけ伊勢の話でいえば、よき日本人を育むことを目指す大学である皇學館大学がある。本学としても、子供たちとかかわることで学生の心を育成する機会が得られることは、喜ばしい限りである。

 学校には、変革が求められている。大人になったときに国や地域を、自らの手で担う意思をもった子供たちを育てる機関となるための変革である。そのため郷土愛は、学校教育において育てるべきである。しかしそれは、地域とのつながりの中で育てるのである。学校の先生たちを解放するためにも、子供たちの教育のためにも、地域とのつながりを強化することが望まれる。