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「慣例化」した歳末死刑執行と抗議から考える~このままの制度でいいのか

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
東京拘置所の死刑執行室

 御用納の前日となった26日、法務省は2003年に福岡市で一家4人が殺害された強盗殺人事件で死刑が確定していた魏巍死刑囚(40=中国籍)死刑を、福岡拘置所において執行した。今年は、8月に東京、福岡の各拘置所で1人ずつの執行が行われており、3人目。現在の森雅子法相にとっては、初めての死刑執行となった。

「慣例化」する年末の執行と抗議

 第2次安倍政権になって以降、12月に総選挙が行われて特別国会が御用納の日まで続いた2014年と、11月に執行があった16年を除いて、毎年12月の国会終了後に死刑が執行されている。7月にオウム真理教幹部13人の刑を執行した昨年でさえ、10月の内閣改造後で就任した山下貴司法相の指揮で、12月27日に2人を執行した。この時期の死刑執行は、もはや「慣例化している」という声もある。

 執行があると、死刑廃止を求める団体が、必ず抗議行動を起こす。これも「慣例化」している。今回も、アムネスティ・インターナショナルや監獄人権センターなど死刑制度に反対する6団体が合同で記者会見を開き、抗議の声を挙げた。これとは別に、日本弁護士連合会が「死刑執行に強く抗議し、直ちに死刑執行を停止し、死刑制度の廃止を目指すことを求める会長声明」を発表した。これも、いつものことである。

死刑判決を出した裁判員・裁判官には抗議せずの不可解

 私が解せないのは、こうした死刑廃止を求める組織は、執行の時に必ず抗議行動をするのに、裁判で死刑判決が出されたり、それが確定した時には、通常そのような声を挙げないことだ。

 司法が判決を確定させれば、行政機関たる法務省がそれを執行することになる。刑事訴訟法にこう書かれている。

第471条 裁判は、この法律に特別の定のある場合を除いては、確定した後これを執行する。

第472条 裁判の執行は、その裁判をした裁判所に対応する検察庁の検察官がこれを指揮する。

出典:刑事訴訟法

 同法は、死刑の執行についても定めていて、原則として確定から6か月以内に法務大臣が命じ、それから5日以内に行わなければならない(同475,476条)。

 命を奪う究極の刑罰である以上、執行の段階でも極めて慎重でなければならず、多くのケースで執行の時期は法が定めるより、はるかに遅れるのが現実だ。とはいえ、司法の決定を、行政機関の長が、自身の思想信条に基づいて実施しない、という超法規的対応が、法治国家で許されるわけはないと思う。

 とすれば、個々の死刑に対して抗議をすべき相手はむしろ、死刑判決を下した裁判官や裁判員や、それを確定させた裁判所であるべきなのではないか?

 しかし、死刑判決が出されたり、それが確定した時に、そうした団体が抗議に押し寄せたり、記者会見で裁判官や裁判員を非難する声明を発表した、という話は聞かない。

この二者択一でいいのか

 

 もう1つ、疑問がある。

 死刑を巡っては、制度の存廃以外にも、考えなければならない課題や問題点がいくつもある。にもかかわらず、死刑を巡る論議となると、まずは「死刑廃止」を求める主張が強く展開されるために、死刑存置を前提に現行制度を是正するという方向での議論は置き去りにされる。

 死刑廃止か、さもなければ現行のままか、という二者択一で、果たしていいのだろうか。

執行を巡る不透明

 たとえば、再審請求中の死刑囚の執行をどうするか、という問題。

 アムネスティによれば、今回、執行された魏死刑囚は再審請求中だった、という。昨年、一斉に執行されたオウム幹部らにも、一度目の再審請求中だった者が何人もいた。

 かつて法務省は、再審請求中の死刑囚の執行には抑制的だった。ただ、法律上は、刑の確定から半年を過ぎての再審請求は、執行の妨げにはならない。最近は、再審請求中でも執行するケースが相次いでいる。

 再審請求の中には、実際に冤罪の可能性があるものから、関与の程度についての認定に不満を持つもの、さらには執行を先伸ばしする意図としか思えないものまでが混在している。法務省によれば、現在未執行の確定死刑囚112人のうち75%にあたる84人が再審請求中という。

 再審請求中は必ず執行回避するようルール化すれば、真に反省して刑を受け入れた数少ない者が次々に執行され、冤罪でもない者が再審請求を繰り返して生きながらえることもありうる。釈然としない。

 一方、再審請求をまったく無視して確定した順番に執行していけば、冤罪で執行される人が出かねない。

 袴田事件の袴田巌さんは33年4か月にわたって、死刑囚として在監。2014年に再審開始決定が出て釈放された(抗告審で再審開始が取り消され、現在最高裁で係争中)。再審請求審の法整備は未だなされておらず、再審開始のハードルは極めて高い。そんな中、再審を求めていることが考慮されていなければ、袴田さんも執行されてしまったかもしれない。

袴田巌さんと姉の秀子さん
袴田巌さんと姉の秀子さん

 法務省は、冤罪の可能性がある人については除いて執行しているつもりかもしれないが、その選別が正しいのか、検証は不能だ。執行された人は冤罪だったとして再審請求がなされているケースもある。

 まずは、再審法を整備して、冤罪が速やかに救済される仕組み作りが何より大事だ。

 死刑に関しては、そもそも法務省がどういう基準で、執行の順番を決め、その時々の被執行者を選んでいるのか、さっぱり分からない。

 こうした不透明さに加え、ひとたび死刑が確定すると、外部の人との面会や手紙のやりとりなどが著しく制限され、被害者すら面会が困難になるなど、死刑囚の処遇を巡っても問題が指摘されている。

裁判員裁判だけで確定させてよいか

 あるいは、死刑判決を1審の裁判員裁判だけで確定させていいのか、という問題もある。

控訴取り下げを巡る大阪高裁の決定

 先日、大阪府寝屋川市の中学1年男女2人が殺害された事件で、本人が控訴を取り下げために1審の死刑判決が確定した山田浩二死刑囚について、大阪高裁が取り下げ無効の申し入れを認める決定をした。

 決定では、「死刑判決に対する不服に耳を貸すことなく、直ちに確定させてしまうことに強い違和感と深いちゅうちょを覚える」とし、「今回に限り、審理を再開・続行するのが相当」と判断した。

 山田死刑囚は今年5月、拘置所職員との些細なトラブルで頭に血が上り、自暴自棄となって控訴を取り下げた、という。その際、裁判員の中には、「高裁でも審理してもらった方が、精神的には楽だったかもしれない」(5月22日付読売新聞大阪版)と複雑な胸の内を明かした人もいた。

大阪高裁
大阪高裁

裁判員裁判だけで死刑執行

 裁判員裁判で裁かれた死刑囚が初めて執行されたのは2015年12月。アパートの大家など3人を殺害したとして、横浜地裁の裁判員裁判で裁かれた津田寿美年死刑囚は、裁判で「命で償う」と述べ、死刑を覚悟していている様子だった。弁護人が控訴したが、自ら取り下げて1審で確定させた。

 それでも、彼が執行された時の裁判員の心の負担は大きかったのではないか。執行が報じられた際、他の死刑事件の裁判員経験者らは、次のように述べて、1審で死刑が確定した裁判員の心中を案じていた。

「(自分たちの場合は)裁判官と同じ判断だったことで、ようやく自分の判断は間違っていなかったと思えるようになった」

出典:2015年12月19日付朝日新聞

「上級審が同じ判断なら救いがあるが、裁判員の判決がそのまま死刑執行につながるのは素人として、ものすごく恐ろしいとも感じる」

出典:同日付毎日新聞

 寝屋川市の事件は、検察側が最高裁に特別抗告したので、最終的な司法判断はまだ出ていない。ただ、死刑の場合は、被告人の意向に拘わらず、必ず控訴審を開き、高裁で職業裁判官によるチェックをする制度にした方がよい、という声もある。命を奪う究極の刑であって、慎重のうえにも慎重な判断が必要なことや、裁判員の負担を軽減するためだ。

「善悪二項対立」より「より少ない悪」の発想を

 また、死刑にも執行猶予の制度についても、もっと議論されてもいいのではないか、と思う。これが導入できれば、執行数を減らす可能性があるだけでなく、執行対象者が決まるプロセスも、今より透明になるだろう。

 あるいは、死刑の言い渡しが現在の基準でいいのか、という課題も議論すべきではないか。

 このように、考えなければならない課題はいくつもある。

 死刑廃止派は、死刑制度を廃止すれば、こうした問題は議論することなく解決する、というかもしれない。しかし、死刑の「制度」を廃止するということは、今後、たとえばオウム真理教教祖のような人物が再び現れ、彼らがやった以上の(たとえば数百人に及ぶ死者を出すような)大事件を起こしても、死刑にはしない、ということだ。今の日本で、そういう合意はできるだろうか。

 日弁連など、死刑廃止を求める団体は、来年4月に京都で行われる国連犯罪防止刑事司法会議(コングレス)や、さらにはオリンピック・パラリンピックまで持ち出し、「国際社会のメッセージ」や日本に対する「国際評価」を強調して、死刑制度の廃止を求める。

 けれども、被害者尊重の潮流がさらに強くなっている昨今の日本で、民意を無視して死刑廃止を断行する政府が現れる可能性を期待するのは、現実的ではないと思う。

 だからといって、今の問題点を全く改めないままでいいのか。

 死刑廃止を求める諸団体の中でも、日弁連などは、会内に様々な意見を持つ会員がいるはずだ。死刑廃止論者にとって、制度の存置は「悪」なのだろうが、実務家集団としては、理念に陥りがちな「善悪二項対立」より、「より少ない悪」を目指し、現実を少しでも変えていくべきではないのか。

 来年、せめてコングレスやオリ・パラが終わった後にでも、ひとまず死刑制度は存置する前提で、法や制度の改善につながる議論も始めて欲しいと思う。そうした議論の中で、制度そのものについても、今以上に考える人たちが増えていくのではないか。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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