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坂本弁護士一家殺害事件とTBSビデオ問題~麻原はいつ殺意を抱いたのか

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 「なぜTBSのことを書かないのか」「TBS問題に触れないのはあまりに不自然だ」……。昨日、「坂本弁護士一家殺害事件から30年~事実や教訓を正しく後世に伝えたい」のタイトルで記事をアップして以来、こういうツイートがたくさん寄せられている。中には、私が真実を隠し、TBSを擁護していると疑っている人もいる。

 この記事は、坂本弁護士一家の人となりや、突然命を奪われた理不尽さを伝え、そして本件は教祖麻原彰晃こと松本智津夫の指示によって起きたことを社会が記憶しておくために書いた。特に、麻原の指示について、実行犯らの証言を詳しくお伝えすることに多くを割いたため、事件に至る詳細なプロセスは省いている。それだけだ。

ビデオ問題が坂本事件を招いた、のか

 TBSが、坂本弁護士らのインタビュービデオをオウム真理教関係者に見せたことは、報道に携わる者の倫理に反し、強い非難に値する。このことが、麻原の中で坂本弁護士に対する敵意を形成するのに、何の影響も及ぼさなかった、とまでは言い切れない。

 ただ、これが事件に直結したかというと、そうとは言えない。中には、「TBSがビデオを見せたから坂本弁護士は殺された」と強固に信じている方もいるが、事件に係わった者たちの証言から、そのような筋書きは浮かんでこない。

 ついでに言えば、私がTBSを庇い立てる義理はまったくない。

 けれども、せっかく問題提起をいただいたので、これを機に、坂本弁護士事件とTBSビデオ問題、さらに麻原が坂本弁護士に殺意を抱く時期について、裁判などで明らかになったことをまとめておくことにしたい。

オウムとメディア

「利用するもの」から敵対的存在へ

 

 坂本事件が起きる1ヶ月ほど前、週刊誌『サンデー毎日』が「オウム真理教の狂気」と銘打った連載を開始した。信者の親たちの訴えや元信者の証言などを元に、この教団の問題性をえぐる企画だった。

 それまで、麻原にとってメディアは「利用するもの」だった。オカルト雑誌『トワイライトゾーン』での執筆や週刊誌『プレイボーイ』に掲載してもらった”空中浮揚”写真などで信者が増え始め、1988年2月にはNHK『おはようジャーナル』が宗教に惹かれる若者たちを特集した際、好意的に取り上げてもらった。番組には、出家直前の井上嘉浩なども登場している。

「サンデー毎日」への抗議行動

 『サンデー毎日』の記事で初めてメディアに批判された麻原は、信者を率いて編集部に乗り込み、連載中止を求めた。教団の街宣車が毎日新聞社が入るビル周囲で「でっち上げをやめろ」と叫び、ビル内のトイレなどにビラをべたべたと張って回った。

 坂本事件の実行犯の1人でもある早川紀代秀は、麻原から同誌編集部のある毎日新聞ビルを爆破するように指示されたこともあった。同じく実行犯の1人岡崎一明によれば、それは村井秀夫の発案で、爆弾を積んだトラックをビルの地下駐車場で爆破する、という大胆なものだった。ただ、当時のオウムには爆弾の製造技術はなく、下見をしただけで終わった。

テレビでも

 同誌の連載が始まって、他にもオウムを取り上げるメディアが出て来た。テレビ朝日系列のワイドショー「こんにちは2時」(1989年10月11日放送)では、麻原らオウム幹部と「オウム真理教被害者の会」(現在はオウム真理教家族の会)の永岡弘行代表ら信者の親たちを対決する番組を生放送した。その最中に、まだ信者だった永岡代表の息子が女装してスタジオ内に入り込み、いきなり父親を批判した。番組サイドや永岡代表にしてみれば、まるで不意打ちだった。早川によれば、これも麻原の発案だったという。

ラジオでも

 ラジオでも、文化放送の「梶原しげるの本気でDONDON」が、10月9日、16日と続けてオウム問題を取り上げた。1回目の放送では、麻原が自由に話した後、レギュラーコメンテーターのほか宗教評論家が質問を浴びせた。オウム側は、特に宗教評論家を出したことが気に入らなかったらしく、番組に抗議を行った。それを受けて、2度目の番組が企画された。2回目には、麻原、一般信者、広報担当だった上祐史浩幹部のほか、1回目にも出演した宗教評論家、そして坂本弁護士、木村晋介弁護士も出演した。教団の一方的な宣伝にするわけにはいかない、というのは、ラジオ局として当然の番組構成だった。

 しかし、オウムはそれが気に入らない。この2回目の放送についても、文化放送に抗議し、謝罪を要求。チーフプロデューサーの自宅周辺にも名前入りの中傷ビラがまかれた。文化放送は、宗教評論家や坂本弁護士をまじえた討論番組を提案したが、オウム側は「それでは謝罪にならない」と拒否した。

問題の経緯

メディアへの取材売り込み

 そんなメディアとの攻防の中、オウムは「水中クンバカ大会」なるイベントを企画した。信者が、水中にどれだけ長く潜っていられるかを競う催しだった。これも修行の1つで、すぐれた修行者ほど長時間呼吸を止めることができる、とされた。

 麻原は、この様子がテレビで放送されれば、よい宣伝になると考え、売り込みを指示した。早川によれば、彼が政治記者に知り合いがいたTBSの担当となり、上祐が、高校時代の後輩がアナウンサーとして活躍していたフジテレビを受け持った。これも麻原の指示だった。

「交渉してこい」と麻原の指示

 結局、10月26日に行われた催しの取材にやってきたのは、TBS「3時にあいましょう」のクルーだけだった。スタッフとの雑談の中で、番組では教団以外の人のインタビューも流す予定であることを聞いた早川は、話の雰囲気から、「少なくとも教団を称賛するインタビューではない」と察知した。上祐に確認すると、「〔教団外の人のインタビューと抱き合わせであることは〕全然聞いてない」という返事。「これはまずい」と思い、麻原に報告した。

 麻原は、「そんなのは、ろくなインタビューじゃない。すぐに外してもらえ。行って交渉してこい」と命じた。早川、上祐に加え、「出家」前だったが幹部扱いされていた青山弁護士が同行した。

「見てくれと言われた」と早川証言

 その時の状況を自分の弁護人から聞かれて語った早川の被告人質問を、当時の傍聴メモから再現する。

――最初はどういう話になった?

「番組のプロデューサー、TBS社員のディレクター、下請け会社のディレクターに会いました。『水中クンバカを放送していただくのはありがたいが、それにインタビューをくっつけるというのは事実ですか』と聞くと、『そうです』と。それで、どういうインタビューなのか、という話になりました」

――あなた方は何といったのか。

「〔批判的なインタビューをつければ〕批判の方が全面的に出ることになる。バランスがとれたものではなく、教団を叩くことになる。『そうではなく、クンバカだけにしてもらいたい』と。

――TBS側は何と?

「『とりあえず、どういう内容のVTRが見てみたらどうですか。〔見て〕これで気に入らないなら、教団の反論インタビューをとる、ということでどうですか』と言われました」

――TBSは「見せられへん(弁護人は関西弁)」と渋っていたのに、あんたたちが執拗に言うので仕方なく……と言っているようだが。

「それはウソですね。我々だって、批判してるビデオなんて見たくないわけですよ。執拗に『見せてくれ』なんて言うわけない」

――あんた方が渋っているとTBSは?

「『そう言わずに、反撃のインタビューを受けて下さいよ。見ないと反論できないでしょう?見て下さい』と。我々の更なる反撃でバランスを取らせて下さいと言ったのはTBSで、我々から言ったわけじゃない」

「明日の番組はやめます」と

 早川証言を続ける。

――見たビデオは?

「見た順番に(「サンデー毎日」編集長の)牧さん、永岡さん、それから坂本弁護士です」

――麻原に報告するメモは作った?

「三者三様にメモして〔電話で〕報告しました。3人の報告を受けた後、上祐さんを通して、『そういう内容なら、反撃インタビューではダメだ。クンバカだけ〔放送を〕やるか、それとも放送中止か、だ』と言われました」

――それをTBSに伝えたか

「はい」

――TBSが社内的に検討をした場面はあったか

「ありました。全員がいったん我々との交渉を中断されて戻ったという場面が何回かありました。12時すぎまで、我々は〔TBSの〕ビルの中にいました」

――結局、TBSの回答は?

「『とりあえず明日の番組はやめます』ということははっきり言っていただいた。私たちとすれば、水中クンバカだけやる、というのがベストでしたが、〔批判的なコメントと〕抱き合わせはやめる、というのは言っていただいた」

――3人のインタビューは、「サンデー毎日」の記事に枝葉をつけたような感じか?

「枝葉もありません。どこを強調するかは違っても、内容は『サンデー毎日』の焼き直しでした。〔ビデオを〕見て『また、牧さんが出ている』と思った。『サンデー毎日』の連載は〔抗議をしても〕止まらないし、これを報告したら、グルは激怒して、下手したら『ポアしろ』と言われるんじゃないかな」

「牧さん、危ないな」

 

 早川は、「ビデオを見た時、『牧さん、危ないな』と思った」という。殺害指示が出るのでは、と予感したらしい。

 オウムにとって最大の敵は牧編集長だった。事実、麻原が村井を通じて実行犯の1人中川智正に塩化カリウムを用意させたのは、牧編集長を殺害するためだった。

 また、早川はオウム批判の広がりを懸念した。

「内容ではなく、取り上げるマスコミがどんどん違ってきたな、と」

 内容は「サンデー毎日」の連載記事の域を出ないが、媒体の数が増えていることを気にしたのである。

「この件は事件の要因ではない」

 TBS側が同局関係者などに事情を聞いてまとめた報告書では、早川証言と異なっている部分がある。たとえば、放送中止を決めたのは、早川らが帰った後、としている。これについて早川は、重ねて「事実と違う」と反論している。

 そのうえで、ビデオ内容を報告した時点では麻原は坂本弁護士に対して激怒している様子はなかった、と述べ、TBSの一件は「事件の要因になっていない」と言い切った。

坂本弁護士がビデオの中で語ったこと

 ちなみに、このビデオの中で、坂本弁護士が述べていたのは、実に冷静で穏当な内容である。

〈もちろん、信仰の自由とか信教の自由とかいうのがありますからね。端で見ていて、どれほど異様なものであったとしても、それはその人たちの自由ですし、信じることは自由だと思うんです。

 けれども、やはり〔宗教も〕社会の中でやっているわけですからね。社会的ルールみたいなものもあるでしょうし、そこから起きるいろんな嘆きとか悲しみとか、そういったものにも目を向けていくのが宗教だと思うんですよね。

 オウム真理教はその点、超能力を得たいとか真理を究めたいとかいう子供さんたちの気持ちには沿っているのかもしれないですけれども、置き去りにされるお母さんとか、(他の)子供さんとか、同級生とか、その人たちの嘆きとか苦しみに目を向けようとしない。そこら辺に1つの問題があるんじゃないかな、ということ。

 それから、やはり宗教っていっても、本当に真理を求めているのと、宗教ということに藉口して、要するに金儲けをすることというのは、別個だと僕らは考えるわけですね。

 〔問題なのは〕後者の部分ですね。宗教を利用したインチキ商法になっているとすれば、やっぱり社会的に断罪されるべきだと思うんですよ。それには詐欺など法律に引っかかってきますから。

 オウム真理教というのは、前者の部分でも、社会の枠をかなり逸脱しているとということもありますし、後者の宗教に藉口しているんじゃないか、要するに金儲けじゃないかという部分についても、今まで調べた範囲では、かなり疑惑というか、どうかなという部分が多々出て来ている。

 そういう面については、やはり弁護士として、法律問題だと考えざるをえないということなんですね〉

麻原が敵意を強めるきっかけはいつか

「被害者の会を組織したのは坂本弁護士だ」

 では、麻原はいつ頃から、坂本弁護士への敵意を強めていったのだろうか。

 それを考える上で大事なポイントは、10月28日に開かれた、被害者の会の第1回総会だと思う。この総会に、教団幹部が自分の配下の親を潜り込ませたとして、状況を麻原に報告した。それによって、麻原は被害者の会が坂本弁護士の指導とイニシアチブによって結成されたことを知った、と見られる。

 その後、30日までの間に開かれた「大師会議」と呼ばれる幹部会議で、麻原は「被害者の会を組織して、大きくしたのは横浜法律事務所の坂本弁護士だ」と不満を述べた。この会議では、一連のオウムへの批判に対する対策が話し合われた。

 そこで、「サンデー毎日」の連載に対抗して、『「サンデー毎日」の狂気』という反撃本を出すことが決まり、さらには青山弁護士が被害者の会に信者の側から内容証明を出すなど法的な防御を提案。さらに麻原が、上祐幹部と青山弁護士に対して、坂本弁護士の事務所に行って抗議をしてくるよう命じている。

3人で横浜法律事務所へ

 実際に、彼らが横浜法律事務所に行ったのは、10月31日夜8時。この日、青山弁護士は、「サンデー毎日」でオウムに批判的なコメントをした別の弁護士に会う予定だった。29日の日曜日に、青山弁護士がこの弁護士の自宅に電話を入れて、面会を申し込んでいた。それほど急いで会いたかった相手なのに、31日当日になってキャンセルし、事務所に坂本弁護士との面談の申し込みをしている。麻原の指示はすぐに実行する青山の忠実さを考えれば、対策会議が行われ、坂本弁護士への面会の指示が出されたのは、30日の夜だろう。

 青山弁護士らの横浜法律事務所訪問には、早川も同行している。早川は、やはりオウムに批判的な記事を掲載した『週刊大衆』に対して3人で抗議に行き、その後に横浜にも一緒に行くよう、麻原から命じられた。

 横浜法律事務所で主に坂本弁護士と話をしたのは青山で、途中から上祐が加わった。早川は、事務所の入り口付近の棚に並んでいたパンフレットを読んだり、所属弁護士の詳しいプロフィールなどが掲載された事務所の冊子を一冊抜き取ったりしている。これには、坂本弁護士の家族構成も載っていた。

「彼らは恫喝に来た」と坂本弁護士

 話の詳細は分からないが、親と信者の面会や100万円で教祖の血を飲む儀式に参加した元信者が返金を求めていることなどが話題になった。雰囲気は険悪だったようだ。別れ際、上祐が「こちらには信教の自由がありますから」と捨て台詞を吐き、それに坂本弁護士が「人を不幸にする自由は許されない」と反論するのを、事務所の事務局員が聞いている。

 その後、一緒に居酒屋に行った同僚弁護士らによれば、坂本弁護士は次のように言って憤慨していた。

「向こう〔青山弁護士〕が会いたいというから、和解を申し入れてくるのかと思ったら、そうではなくて恫喝しに来たんですよ。『被害者の会が活動を続けるなら、こちらも対抗措置を取る。〔オウムの中にいる〕子供を使って、〔被害者の会に所属する〕親を訴えさせる』と言ってきた」

いきり立つ幹部

 その日の深夜、麻原ら幹部の前で、青山、上祐の2人がいきり立って報告をした。その場にいた岡崎は、上祐の様子を次のように証言している。

「上祐は、『坂本弁護士は宗教的な話をしても全く聞く耳を持たずに話になりませんよ。私に対しても、親が帰れと言えばかえらなければいけないんだと、そういうことを言ってますよ。どう思いますか」と言って怒っていました」

急なターゲット変更

 それでも、当時のオウムにとって最大の敵は牧編集長だった。中川は、11月2日深夜の謀議でも、当初は牧編集長を殺害する、話が出ていた、と述べている。ところが、牧編集長は行動が不規則で、自宅に帰らないこともあって狙いにくい、という話になり、立ち消えに。そこで麻原が突然、「坂本弁護士はどうか」「今一番問題なのは坂本弁護士だ」と言い始めた。

 以下は、前回も引用した、坂本弁護士を狙う理由説明について麻原が説明する場面の岡崎証言である。

「坂本弁護士にこれ以上悪業を積ませてはいけないんで。坂本弁護士は法的手段をもって今後徹底的に〔オウムを〕たたくよ、被害者の会も大きくなる、このまま放っておいたら大変なことになる。だからポアしなければいけないんだよ。先日、青山弁護士とマイトレーヤ〔上祐史浩〕が話し合いに行ったけれども、全く話にならんかった。だから、こう決めたんだと、そのように言っておりました」

麻原のこらえ性のなさが引き金を引いた?

 以上のような経緯から、私は以下のように推測する。

 批判的なメディアには、片っ端から抗議に行った。その最大の火元は「サンデー毎日」であるとして、同誌編集部や牧編集長を攻撃しようとした。けれども批判は止まず、むしろ拡がり、牧編集長の攻撃もうまくいきそうにもない。そんな状態に、こらえ性がない麻原は、すぐに結果を求めた。自分たちを窮地に追い込んでいる誰かの命を奪い、それによって状況を変えたくてたまらなかったのだろう。

 その後は、前回の記事で書いたように、坂本弁護士1人を帰宅途中で狙う前提で準備が進められ、途中で一家全員を対象にするように変更となった。ここにも、今すぐ結果が欲しいという、麻原のこらえ性のなさが出ている。

TBSの責任とは

 こうした経緯を見れば、TBSの一件があったから坂本一家が殺害された、という単純なものではないことが分かる。ただ、被害者の会に関する報告や青山弁護士らの面談と、麻原が次第に坂本弁護士への敵意を募らせていくうえで、TBSビデオでの坂本弁護士のコメントも何らかの影響を与えた可能性は否定できない。

 そもそも、敵対する相手に許可なく取材ビデオを見せたことは、取材倫理に悖るのは言うまでもない。そのうえ、見せたことを坂本弁護士に伝えず、教団からの抗議の後、取材結果を放送せずに済ませたことも問題だ。さらに、事件後もその事実を秘匿し続け、強制捜査が始まって早川のメモや供述によって、捜査機関に事実が発覚した後も、TBSはビデオを見せたことを否定した。せめて、事件直後に明らかにしていれば、警察の捜査を促す材料になったのに、と思う。

 TBSは、その後検証番組を作り、社長が放送を通じて謝罪した。

 坂本事件の発生から30年。ビデオ問題についてTBSが事実を認める最終報告を出して23年が経つ。この問題をリアルタイムで経験した社員は、もう数少ないだろう。

 この一件を、「できれば消したい過去の汚点」で済ませず、若い社員にも語り継いでもらいたい。この問題を忘れずにいること。それがTBSの会社としての責任だと思う。

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ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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