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「ぜひ勇気をもって相談を」「摂食障害を甘く見てはいけない」~執行猶予判決を受けた原裕美子さんが語る

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
判決言い渡し後に林大悟弁護士に付き添われて記者会見する原裕美子さん

 執行猶予期間中に万引きをしたとして窃盗罪に問われていた元女子マラソン日本代表の原裕美子さんに対し、前橋地裁太田支部(奥山雅哉裁判官)は3日、再度の執行猶予を付けた「懲役1年、保護観察付き執行猶予4年」の判決を言い渡した。

前橋地裁太田支部
前橋地裁太田支部

 原さんは、現役選手時代から摂食障害に苦しみ、その影響で強いストレスにさらされると万引きをくり返し、昨年11月に栃木地裁足利支部で懲役1年執行猶予3年の判決を受けていた。今回の判決は、原さんが積極的に治療を行っている更生意欲を汲み、その後の治療によって一定の安定が得られており、ストレス状況も改善しているなどとして、「もう一度、社会内で更生する機会を与えるのが相当」とした。

 判決言い渡しの後の説諭の中で、奥山裁判官は「社会内で更生する姿をみんなに見せて、よい影響を与えて欲しい」と述べ、「あなたには努力をする才能がある」と励まし、原さんが涙を流す場面もあった、という。

 その後原さんが記者会見を開き、今の心境や立ち直りへの決意に加え、若いアスリートを指導する指導者たちにも、「もっと知識をもって。私と同じような苦しみを、まだまだ先のある子供達、選手たちにしてもらいたくない」「摂食障害を甘く見てはいけない」などと語った。

 以下詳報する。

ずっと隠し、裏切ったことを謝罪

【冒頭発言】

 本日は、お忙しいところ、そして私のためにお集まりいただき、ありがとうございます。また、実業団選手として競技を始めて以来、摂食障害となり、数年後には万引きが始まり、それをずっと隠し通してきたことを心から……。応援していただきました多くのファンの方や、私を一生懸命取材して下さった取材陣の方々、また私をずっと実業団選手としてサポートし続けて下さった京セラ株式会社の役員、職員、ユニバーサルエンターテイメントの役員、スタッフの皆さん、こういうたくさんの皆さんに、私は嘘をつき、裏切ってしまいました。今さらになりますが、直接ご挨拶できなくて大変申し訳ないんですが、こういう形で一刻も早く私の言葉で謝罪させていただきたいと思い、この場を用意していただきました。ありがとうございます。そして、本当に申し訳ありません。申し訳ありませんでした。

会見の冒頭立ち上がって謝罪する原さん
会見の冒頭立ち上がって謝罪する原さん

判決を最初に伝えた相手は……

――判決の感想を。

 ……裁判官の「懲役1年」という言葉を耳にしてから、ずっと何も考えられなくて。執行猶予がついたというのもよく分からず、「懲役1年」と聞いて、私を支えてくれた人の顔しか思い浮かばなかったし、また家族や私を支えて下さったたくさんの方を傷つけるようなことを言われているんだろうな、私がしてきたことは大変なこと、許されないことだったんだという気持ちしかないです。

――判決の時、法廷で涙を流す場面もあった

 実は「懲役1年」と言われて、そのまま刑務所に連れていかれるんだと思いました。「長くなるので座って下さい」と言われている間、力が抜けてしまって。途中で裁判官の声が明るくなって、私が立ったのにどこにも連れていかれなくて、「これから何を話されるんだろう」と思いました。最後に、裁判官の個人的な意見(説諭)を耳にした時に、私がしたことはやはり絶対に許されるべきではないんですけど、裁判官も私を応援して下さっている、と。裁判官がお話してくださった言葉の意味は、これからの自分の人生で、自分に与えられた使命なんだと感じました。だから一層、私はこの病気をしっかり治療し、ほんの少しでも私が前に進むことで、同じ病気で苦しんでいる方々その周囲にいる方々に勇気を与えられ、この病気の認知度が高まり、この病気で苦しんでいる方を少しでも減らし、今苦しんでいる方々の苦しみを少しでもやわらげることができるなら…。私はのこされた人生を、全力でそのように生きて行きたいと思いました。

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――判決受けた後、誰かに伝えたか。その理由も。

 まず一番に、今お世話になっている会社の社長に電話しました。ただ、「電波の届かない所に……」となっていたので、職場に電話をして直属の上司につないでいただきました。その理由は、私が退院して、こんなに明るくなれたのは、今働かせていただいている会社の存在っていうのがすごく大きいんです。そこの会社の方は私の過去をすべて知って雇って下さいました。まだ裁判中でどうなるかも分からないのに、仕事をさせて下さって、普通に給料もいただいて……。普通に接して下さっていることが、すごくうれしくて、毎日毎日笑顔になれる時間で、どんなに嫌なことがあっても、会社の扉をあけるとみんながいると思うと、毎日を乗り越えられた。私がこんなに元気に回復したのは、いろんなお陰ですが、会社の存在は大きくて、その方たちにいち早く報告したい。そして「これからもよろしくお願いします」と伝えたくて、電話しました。

職場でパソコンに向かう
職場でパソコンに向かう

ストレス要因は「片を付けました」

――前回の窃盗はどういう気持ちでやったのか

 その半年以上前、ある男性と結婚式を挙げました。私の誕生日に籍を入れさせて欲しいと私の両親の前でもされていたので、ずっと待っていたんですが、前日に電話がかかってきて、それ(入籍)がなくなりました。それ以降も待ち続けていたんですけど、心を許せる先輩に相談したら、「それはおかしい。一度家に帰った方がいいよ」と言われ、実家に帰りました。それが17年4月25日。信じていた人から裏切られた。訳も分からず、説明もされず、突然そういうことを言われた。結婚式にはたくさんの方が来て下さって、中には私が幸せに結婚生活を送っていると思っている人がたくさんいるのに、そういう生活を送れていない。なんて言えばいいんだろう。あと式にかかった費用。私が苦しい練習にも耐えてがんばってきた結果である400万円というお金をだまし取られてしまった。それがすごく辛かった。

 スポーツジムに通っていたんですが、接してくれる仲いい友達と一緒の時間が幸せな時間だった。できることなら終わって欲しくない。ずっとその友達といたい。家に帰った途端、結婚で騙されたつらいことがグルグル頭の中を回って、食べ吐きせずにいられない。食べ吐きするとその間は辛さを少し忘れられる。やりたくないのに万引きしてしまった。やめたいのにやめられない。あの時生きていることもすごく辛くて、だけど自分が死んだら、周りで苦しむ人がいる。死ねない。だけど家に帰ると地獄のよう。

 ある時、ジムが終わってコンビニに飲み物を買いに行った。コンビニの扉を入った時に化粧水が見えて、「そういえば化粧水が必要だったんだ」と思った瞬間、これを盗ったら捕まる、捕まったらこの苦しみから解放される、早く楽になりたい、早くこんな苦しい生活から逃れたい。それしか考えられなくて、その先にどんなに苦しむ人がいるのか、どれだけ多くの人に迷惑をかけるのか、そういうことが全く考えられない。自分が苦しい毎日から解放されたい、それだけで本当に身勝手な行動を取ってしまって、申し訳なかったと思います。

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――それで捕まってどういう思いだった?

 留置場では食べ吐きできないし、万引きもできない環境で、その2つに関してはやめられてよかった、と思った。事件について報道されたと知り、家族も……後々に知ったことですが、家の周りが大変なことになっている、仕事にも行かれない、母もおかしくなってしまった、夜も寝られない、と。私が自分が楽になりたいと思ってやったことが、ずっと私を応援して下さった方々への大きな裏切り、もうすごくがっかりした方もいらっしゃったはずです。私のせいで生活を失ってしまった家族が近くにいて、本当に自分勝手なことをしてしまったな。楽になりたくてやったはずなのに、全然楽になれない。

 落ち着いて考えれば、そんなの間違っていると分かるんですけど、お店にいた時はそこまで考える余裕がなくて、ただ楽になりたい。それしか考えられなかった自分の愚かさというか、できることならあの時間にタイムスリップしてやり直したいなと思いますが、それは実際無理なので、これから今日、裁判官が私に与えて下さった、これからの時間の中で変えていくしかないと思っています。

――コーチとの金銭トラブルもストレス要因になったと聞いているが。

 昔のコーチがランニングクラブを立ち上げていて、私がユニバーサルには戻れないと分かった時に、「一緒にやらないか」と誘われました。ある時、新しく会社を立ち上げるから出資して欲しいと言われました。私はそのコーチは心から信頼していたので、400万円出資しました。しばらく経ってから、「ほかにも倍くらい出資している人がいる。もうちょっと出せないか」と言われて300万円出しました。まもなく呼び出されて「打ち合わせに行くんだけど、駅で置き引きにあっちゃって50万円なくなった。50万円貸して欲しい」と言われた。え?と思ったけど、自分も助けられてきたし、困った時はお互い様と思い50万円出しました。それから「あと30万貸して欲しい」と言われ貸しました。合計780万円を渡したんですけど、最初の400万円は契約書みたいなものを渡されましたが、会社として動いていると思っていたら、登記すらされていない。私も含め、出資された方と調べたら、架空の会社の給料として、私が出した380万円が使われていた。給料未払いも続き、交通費の立て替えも渡されず、そういうもの500万円くらい。

 それが戻ってこないと分かってから、万引きがひどくなり、万引き刑を受けました。

――そうしたトラブル、ストレス要因はすべて片付いたのか。

 はい。自分の中で、これをずっと引きずっていたら同じことの繰り返しになるし、自分にとってよくない、家族にとってもよくない。気持ちに片を付けました。

 結婚トラブルも、和解で解決しました。

治療して、今は買い物を楽しめている自分がいる

――どういう治療をしているのか。

 

 私が通っている病院では、条件反射制御法という治療を行っています(中略)。すごく効果があったのが疑似万引き。お店のようなところで万引きをします。バッグにモノを入れてお店を出ようとしたところ、警備員役の看護師さんに取り上げられる。万引きをいくらやっても得にならない。万引きをやって成功すると報酬をえられることになるのでくり返したくなる。取り上げられることで報酬にならないのでやっても無意味、それを何百回もくり返す。

――今の治療を選んだのは

 私は実業団時代に違う病院に行ったことがありました。そこの治療法は私には合わなくて、病院に行ってももうダメだと思っていたが、人に勧められて今回の病院に。

――通院は?

 月に一回通院しています。陸上の大会も最近はお手伝いさせていただいているんですが、そういうことも「どんどんやった方がいいよ」と背中を押してくれる会社です。

――これからは?

 通院を続けます。

どんな質問にも、自分の言葉で答えた
どんな質問にも、自分の言葉で答えた

――今は万引き衝動はないのか。

 

 今はないです。逆に、それまでなかった、買い物を楽しめる自分がいて。退院して一月くらいは施設の方と買い物していたんですが、「もう大丈夫だろう」と言われて1人で行くようになって、それからです。「この品物はあっちの店の方が安いな」とか「これを買ったら何を作れるかな」とか考える自分がいて、実家にいた時は防犯カメラの位置とか人の目とか、そういうものが気になって普通に買い物ができていなかったんですけど、そういうことがなくなって買い物を楽しめている。

――就職の経緯

 退院後、自立支援の施設に入ったんですが、主治医からも林先生からも、「うちに籠もるんじゃなくて、外に出た方がいい」とアドバイスをいただきました。じゃあ、仕事をしてみたいということから相談したところ、施設長の知り合いの方を通して、今の人材派遣の会社を紹介していただいた。そこで派遣されている社員の給与計算を行っています。

心に毒を抱えたまま1人で悩まない

――栃木の件で判決受けた時と、今では、自分はどう違うか。

 前回の時は、執行猶予3年と言われ、この3年を大事にしなきゃいけない、と。まだ、自分の刑の重さを心底感じられてなかったのかもしれません。ただ、今日、これからの生活、自分の体なんだけど自分1人じゃないと思いました。今まで応援して下さった方々を裏切ってしまった、その方々に報いるためにも、これからの生活を少しずつ前進させていくことで、裁判官もおっしゃっていましたが、同じ病気で苦しんでいる方々が前向きに生活できるようにかわっていけると思うので、みんなのために、私はこれから1日1日を大切に生活していきたいと思います。

――弁護人として傍らで見ていて、前回と今回で原さんに変化は感じるか

【林弁護士】感じております。一番大きいのは、1人じゃない、ということ。1人で抱え込むのをやめて、いろんな方、たとえば主治医、支援者、私や家族に、気持ちを伝えられるようになった。心に毒を抱えたまま1人で悩んでいると、万引き行為に逃げてしまうこともあるわけだが、そういうストレス、不安を抱え込まずに人に頼れるようになったのは大きい

――自分でもそれは感じているか。

 はい。2月9日に捕まって、留置場にいた時間、保釈していただいて入院治療をさせていただいて、今日にいたる時間。何がいけなかったのか、なぜ同じことをくり返してしまったのかをしっかり見つめ直してきました原因を1つずつ突き詰めていった中で、自分の苦しさを周りに伝えず貯め込んでしまったのがよくなかった、というのが分かって、1つずつそういう原因をなくしていこう、できるところから(自分を)変えていこうと。

――具体的には?

 昔から、ちっちゃなことを貯め込んで一日中考えてしまうようなことがあった。退院後、大切な仲間を傷つけてしまった。一番近くで応援してくれた人に謝りたい。施設で気の許せる子に相談したら「そう思った時がチャンス。手遅れになる前に電話した方がいいよ」と言われて、それまで貯め込んでいた心の重さが消えた。それ以来、自分で貯め込んでいちゃいけない、心を許せる人に話を聞いてもらうだけでも気持ちが楽になる、相談することは相手にとって迷惑じゃないんだと知りました。

体があっての人でありスポーツ選手だから

――選手時代、どのように体重管理されていたのか。

 私がいた頃の京セラ陸上部は徹底管理がされていました。1日4~6回体重測定があり、食べないでやせる指導もあった。監督の前に座らされ、カロリーを計算した食事を出されているんですが、「これは食べちゃだめ。これは食べていい。これは半分残して」と言われる。好きなものも食べられなくなる。周りでは食事以外のものをおいしそうに食べている人もいる。私は日に日に食べ物に対する執着が強くなっていきました。食べちゃいけないと分かっている分、食べたくなってしまう。

 自分も速く走るためには体重を減らさなきゃと分かっているんです。それ以上に強く言われる。自分でもこうしようと心がけているのに、目の前で、言葉は悪いですが、人としてというより、ペットをしつけるような厳しい毎日を続けていく中で、それまでは走るのが好きで好きでたまらなかった私が、走ることは仕事だから仕方がない、怒られないために走るということでしかなくなっていて、とにかく苦しい、きつい、やめたい、でもやめるわけにはいかない。

北海道マラソンで優勝した時の原さん
北海道マラソンで優勝した時の原さん

――女子選手を育てる指導者、今苦しんでいるアスリートに伝えたいこと。

 私は中学2年生から指導者に出会ってたくさんの心の大切さを教わってきました。走る指導も教わったが、それ以上に心の大切さを教わり、成長させていただきました。

 けれども近年、昔よりも体重管理を中学校、小学校からしているチームも多くなっている。その場だけでなく、選手の先を見て指導して欲しい。体重管理もそうだが、親も子どもも「速くして下さい」と結果を求めてくるんです。指導者も結果を出さないとクビを切られてしまうので、すぐに結果を出すような強い練習をさせてしまうんですけど、そこでやらせすぎると、息の短い選手になってしまう。長い目で見て接して欲しい。体重管理も、もっと指導者として知識をもって、私と同じような苦しみを、今の、まだまだ先のある子供達、選手たちにしてもらいたくない

 2年後にオリンピックがありますが、その先の大会にもはばたけるよう大切に育てて欲しいと思います。

 あと、摂食障害を甘くみないで欲しいと思います。好きなものを食べられるってすごく幸せなんですが、度を過ぎると私みたいになってしまうし、摂食障害になることで、自分の頭の中がおかしくなってしまうんです。そうなると、善悪の判断ができなくなってしまったり……自分の病気なんですけど、ひどくなってくると自分だけじゃ終われなくて、周りにいる人たちまで巻き込んでしまう、本当に恐ろしい病気なので、摂食障害と知ったら、勇気を持って誰かに相談するとか、何かアクションを起こして、それ以上自分や周りの人を傷つけないようにして欲しいなと思います。

子どもたちに自分と同じ苦しみを味わわせたくない、と原さんは言う
子どもたちに自分と同じ苦しみを味わわせたくない、と原さんは言う

――スポーツ界に言いたいことは?

 結果を求められるのはスポーツだけじゃないと思いますが、結果のために自分の体を犠牲にするようなことをしてもらいたくないし、そうはさせないで欲しい。

 昔と比べて、私が当時欲しかったのは、練習を指導してくれる指導者と体のメインテナンスをしてくれるトレーナーのほかに、心のケアをしてくれるトレーナーが欲しかった。体があっての人であり、体があってのスポーツ選手なので栄養面も重要視して、トータルで選手を見て欲しい。

知りたかったのは治る過程

――今後はどうしたいか。

 判決を聞いて、なんで実刑じゃないんだ、と思う方もいるはずです。私は今回与えていただいたチャンスを、しっかりと刑の重さも自分の中に大切に持って、一番は私と同じ苦しみを持つ同じ病気の方々へ、私が少しずつ元気になって病気を克服する姿を見ていただいて、苦しんでいるのは自分だけじゃないと知っていただきたいのと、「こうすれば自分も治るかも知れない、やってみよう」と少しずつ前向きに変わってもらいたいので、私はこの病気を絶対治すし、本人だけじゃなく、周りにいる人たちにも元気を与えられたら、今まで摂食障害と共に暮らしてきた20年近くは自分にとって無駄ではなかったと思える。私がやらなきゃいけないことだと思います。みんなのために。

 あとは、自分自身が摂食障害をかかえて、それが病気だと知った時、テレビでも摂食障害について「治りました」と言っているのを見て、私はどのようにして治ったのか、その過程を知りたかったのに一切やってなかった。私は、「治りました」じゃなくて、その過程を伝えて、1人でも多くの人を救いたいし、もう1人もこういう思いで苦しむ人を増やしたくないので、自分にできる限りのことをやりながら、この病気について伝えていきたい。

当事者は少しの勇気を、周囲は真剣な受け止めを

――今、苦しんでいる人や社会の人たちに伝えたいこと。

 前回の夏の事件で、私がやったということを全国に知られた事実があっても、私は必死で自分のことを隠して、いつ報道されるのかと怯えながらいたし、これまでと同じ生活を送るには名前を変えなきゃいけないと思って、毎日毎日隠すこと、人に見られないこと、引っ込むことしか考えてなかったんです。だけど、「前に出た方がいいんだよ、自分で打ち明けた方が楽になるよ」と弁護士にアドバイス受けて、最初は「え?」と思った。最初はすごく勇気が必要でした。でも、言ったことで変わったのは、私を応援して下さる方がいるんだということを知った。大勢の方の前に出る機会がありました。その時、私が全然知らない方がこんなに応援してくださっているんだと、すごくうれしくて、私はこういう人たちのためにも絶対に治さなきゃと強く誓うことができたし、人前に出ることが怖くなくなった。病気のことを打ち明けたことで、日々サポートして下さる会社の方と出会えた。勇気を出して自分のことを語ってよかったなと思います。

 だから、今、病気で苦しんでいる人に、自分の体験だからこそ強く言えるんですが、今、自分で抱え込んですごく辛いと思うんですが、ほんのちょっと勇気を出して、信頼できる人に打ち明けて欲しい。そうしたら前に進んでいくことができると思います。ほんのちょっとの勇気を出して欲しい。

 相談された方は、その人は勇気をもって声に出してくれたので、適当にあしらうことなく、真剣に受け止めて、大切に接して欲しいなと思います。

どん底を体験して分かったこと

――今の自分は二度と万引きはしない、か。

 はい。どん底まで落ちたからこそ――仕事をするって当たり前のことだと思うんですけど――その当たり前のことがこんなにも幸せなんだと思うことができました。私のことを、今の会社の方は全力で応援して下さる。そんないい人だから、私は裏切りたくないし傷つけたくない。そのために治療もきちんと続けて、もう誰も苦しめたくない。その思いで治療を続け、再犯しないことを心に強く持ち続けて生きていきたい。

職場で上司と談笑。この上司に真っ先に判決を伝えた
職場で上司と談笑。この上司に真っ先に判決を伝えた

(会見での問答の順番は、分かりやすいようテーマ毎に入れ替えた)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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