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「存在しない」「いや、実はありました…」~行政文書の隠蔽とは別の、もう1つの攻防

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 厚労大臣が国会で「なくなった」と答弁した調査原票が同省地下で見つかり、森友問題で財務省が決裁文書を改ざんし、さらには防衛省が陸上自衛隊のイラクでの日報の存在を確認しながら1年も大臣に報告せず……。各省庁での公文書の隠蔽・改ざんが次々と明るみに出て、大きな衝撃を与えている。

 ところが、こうした問題について、冷めた口調でこう語る人がいる。

「我々の業界では、こういうことは前から何度も行われているので、最近のニュースを見ても少しも驚きません」

「庁舎をひっくり返して探した」はずが…

 発言の主は、鴨志田祐美弁護士(鹿児島県弁護士会)。鴨志田弁護士は、日弁連人権擁護委員会の「再審における証拠開示特別部会」部会長を務める。発言の「我々」とは、冤罪からの救済を訴える人たちのために再審に取り組む弁護士たちを指す。鴨志田弁護士自身も、先月3度目の再審開始決定が出された「大崎事件」の弁護団事務局長を務めている。

シンポジウムで発言する鴨志田弁護士
シンポジウムで発言する鴨志田弁護士

 再審請求の手続きの場で、「こういうこと」は、どのように起きているのか。

 4月7日に東京・霞が関で行われた「法制化へ向けて―再審における証拠開示シンポジウム」(日弁連主催)では、様々な再審請求事件に取り組む弁護士たちが、あるはずの証拠を「ない」と言い張る検察官との攻防を報告した。そこからいくつかを紹介する。

 たとえば、大崎事件(報告者:泉武臣弁護士)。

 第1次再審請求審では鹿児島地裁が再審開始決定を出したが、検察側の即時抗告を受けた福岡高裁宮崎支部がそれを取り消した。第2次再審請求審で、弁護側は未提出の証拠の開示を再三求めたが、検察側は「第1次再審請求審で開示した以上の証拠は存在しない」と回答。その際、担当検察官は「検察庁をひっくり返して探した」とも言っていた。

 警察にも照会したが、「証拠は保管していない。過去にあっても、検察庁に送っている」との回答だった。

 鹿児島地裁は、その後検察に何の働きかけもせず、再審請求を棄却。その決定の中で、検察、警察の回答について「疑わしい点は特に見当たらない」とした。

 ところが、両回答はいずれも事実に反することが、後に判明する。

くり返される「ない」→「あった」

 第2次請求の即時抗告審で福岡高裁宮崎支部は、弁護側の熱心な要請に応え、文書で証拠開示勧告を行った。弁護側が求めている証拠の有無を調査して、現存する証拠のリストを作って開示するよう、検察側に指示したのだ。

 その後、検察から五月雨式に213点もの証拠が開示された。そのうち30数点は、警察で保管されていたものだった。開示された証拠の中には46本のネガフィルムがあった。これについて、検察官は「20本ほど500枚しか印画できなかった。その余は、経年劣化していて、ケースからフィルムを取り出すだけで壊れるかもしれない。フィルムを毀損しなければ印画できない」と説明したため、何が写っているのか確認できなかった。

 そして、一連の証拠開示の後、検察官は「大崎事件に関する証拠はもはや(捜査機関に)存在しない。不見当ではなく不存在である」と述べた。「見当たらない」のではなく、「存在しない」と言い切ったのである。

 しかし、これも後に事実でないことが明らかになる。

3月12日に福岡高裁宮崎支部で地裁の再審開始決定を支持する決定が出された。
3月12日に福岡高裁宮崎支部で地裁の再審開始決定を支持する決定が出された。

 第三次再審請求審で、弁護側は粘り強く46本すべてのネガフィルムの開示を求めた。その結果開示されたネガフィルムは、検察官が言っていた500枚だけでなく、ほぼ全コマ約1240枚がプリントできた。

 ただ、開示されたのは45本だけで、連番で番号がふってある中で21番が抜けていた。弁護側がその開示を求めると、検察官の回答はこうだった。

警察署に確認したが、21番はない。ネガフィルムケースは他の事件に流用することもあるから、欠番があっても不自然ではない

 そこで裁判所が、再度の探索と保管状況の報告を求め、「あれば開示勧告をするから、そのつもりで準備するように。ない場合は、不存在である合理的理由を付して文書で提出するように」と迫った。

 すると、検察官の回答はこう変わった。

21番ありました。そのほかにも17本分のネガフィルムがありました

 この17本は、なんと警察署の写真室の戸棚から見つかった。本気で写真を探すなら、真っ先にチェックする場所ではないのか。そのネガフィルの中には、原口さんに有利な証拠となる、近隣住民による現場再現写真も含まれていた。

高裁決定を喜ぶ原口さんだが、検察側はさらに特別抗告したため未だ再審は始まらない。無実を叫び続けて39年、原口さんはすでに90歳。
高裁決定を喜ぶ原口さんだが、検察側はさらに特別抗告したため未だ再審は始まらない。無実を叫び続けて39年、原口さんはすでに90歳。

 こうした調査の後、検察側は「大崎事件の証拠は金輪際存在しない」とする報告書を提出したが、果たしてどうなのだろうか……。

「あってはならない事態」と裁判所も怒る

 シンポジウムでは、検察官が「ない」と言っていた証拠が、後から「発見」されたケースが他にも報告された。

 1984年に滋賀県日野町で酒店経営の女性が殺害された「日野町事件」(報告者:石側亮太弁護士)では、裁判所の求めに対して検察側が「存在しない」と回答。これに対し、弁護団が大崎事件の例を挙げてさらなる探索を迫ったところ、指紋・掌紋を採取したゼラチン紙が、県警鑑識課の倉庫内から「発見」された。これまた、最初に探すべき場所からの「発見」である。

 こうした検察の対応に対し、裁判所は次のように不快感を示したうえで、再度の調査と報告を求めた。

「裁判所が存否確認及び存在する場合の開示を求めた証拠物の一部につき、検察官が『不存在』と回答した証拠物が後に発見された経緯について、本来あってはならない事態であって、遺憾である

「本件事案の重大性や裁判所が開示を求める当該証拠の重要性に鑑み、未開示の証拠が思わぬ保管場所に存在するのではないかとの疑念が生じたことは否定できない」

 そして、あちこちの事件で同様の対応がくり返されていることで、検察は無辜の救済に結びつく証拠を出し渋っているのではないか、という疑念も招いている。 

裁判所の決定に従わない検察

 さらに、検察官が裁判所の指示に従わないケースも報告された。

大阪地検
大阪地検

 同居していた10代の親族の少女に対する強姦などの罪に問われ、懲役12年が確定して服役中の男性について、その後少女が被害証言が虚偽であったことを告白した事件(報告者:山本了宣弁護士)だ。検察の補充捜査で、少女には性被害はなかったことを示すカルテが見つかって、男性は釈放され、再審で無罪となった。

 この事件では、少女の母親が調書の中で「病院で検査を受けさせた」と述べていたことから、弁護側が控訴審の段階で、診療記録があるはずだと指摘。検察側に証拠開示を請求した。だが、捜査機関の手抜かりで、病院での捜査は行われておらず、診療記録は警察や検察にはなかった。弁護側は、病院名を知るため、少女や母親の証人尋問を求めたが、大阪高裁は応じなかった。

 こうした経緯もあり、真相解明を求めるべく、弁護側は再審請求の段階で捜査機関が保管する全証拠の開示を求めた。これを受けて大阪地裁は、「本件について捜査機関が保管する一切の証拠の一覧表(=リスト)」を弁護人に「交付せよ」と命じた。「勧告」より踏み込んだ、書面による正式な「決定」だった。

 ところが、検察側はこれを拒絶。しかも、何ら異議申立の手続きをしないまま、意見書で「本件決定は、訴訟指揮に関する裁量権を逸脱したものであり、応じられない」「一刻も早く請求人を不安定な地位から解放すべき」などと主張するだけだった。裁判所は「遺憾である」と述べ、弁護側も厳重抗議をしたが、検察庁に乗り込むこともできず、対抗する手段はなかった。

大阪地裁・高裁
大阪地裁・高裁

 この男性は、無罪確定後、国や大阪府を相手取って損害賠償請求訴訟を起こした。訴状の中で男性の弁護団は、法的な不服申立もせず、裁判所の訴訟指揮に従わない検察官の対応を、「訴訟法規から逸脱する程度は甚だしく、その違法性は一層明白である」と批判している。

進化から取り残される再審請求審

 検察は多くの証拠の中から、自分たちの主張を裏付けるものだけを裁判所に提出しているため、それ以外の証拠はお蔵入りの状態。そうした「検察官未提出証拠」の中に、確定判決の有罪認定を根幹から覆す決定的な事実が潜んでいて、それが開示されたことで再審につながった布川事件や東電OL殺害事件などのケースもある。

 ただ、再審請求審における証拠開示は、法律で明文の規定がないため、裁判官の対応は、人によってまちまちだ。このような意識のばらつきは、そのまま再審を開始するかどうかの判断に直結する。しかも、裁判所の勧告が出ても検察側があるものを「ない」と言い、命令にすら従わない事例まで出る事態は、ひどすぎるのではないか。

冤罪に取り組む弁護士、研究者、支援者らが集まった日弁連のシンポジウム
冤罪に取り組む弁護士、研究者、支援者らが集まった日弁連のシンポジウム

 今、国会で問題になっている公文書が、作成した役所のものでないのと同様、捜査機関が集めた証拠は、警察や検察のものではない。では、誰のものか?それは、真実を発見し、裁判所が正しい事実認定をするために、検察側も弁護側も双方が利用できる公共の財産と言うべきだろう。

 だからこそ、刑事訴訟法の改正が重ねられ、通常の裁判では公判前整理手続の段階で弁護人への幅広い証拠開示が認められるようになり、検察官手持ち証拠のリストの開示も可能になった。だが、再審請求審に関しては、そうした法改正もなされず、制度の進化から取り残されている。

法律改正で現状の改善を

 役所が、自分たちの都合で公文書を隠蔽してはならないように、捜査機関が自分たちの都合で証拠を隠してならないのはもちろん、裁判所から探索の指示が出ても探すべき所を熱心に探さないといった対応もあってはならない。また、裁判官の”当たり外れ”によって、証拠が開示されたりされなかったりという”格差”が甚だしいのもよくない。

 今の法律であれば、当然開示される証拠が、法改正以前に起きた事件だからと、開示されないというのも、「不運」では済まされないのではないか。

 捜査も裁判も、人間の営みである以上、間違いは起こりうる。大切なのは、そうなった時に、できるだけ速やかに救済が行えるようにすることだ。

 現状を改善するためには、再審請求審で、できるだけ広範な証拠開示が行われるような制度作りが望ましい。少なくとも、通常審であれば開示されるはずの証拠群の開示を義務付け、証拠のリストの作成や開示を求められるようにすべきだろう。

 法改正が急がれる。

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ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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