Yahoo!ニュース

悩んだ時はSOSを!~若い世代の命を自殺から守るための取り組みが始まった

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
東京都足立区立第6中学校で行われた特別授業「自分を大切にしよう」

「みなさん、こんな気持ちになることはありませんか?」

 東京都足立区の第6中学校の音楽室で、2人の保健師が1年生約100人に優しく語りかけた。

「今の自分に自信がもてない」「自分なんてどうでもいい人間だと思う」「他の人がうらやましい」「他の人と比べて自分はダメな子だと思う」「自分がいることで、誰かに迷惑をかけている気がする」「『消えてしまいたいと思う」「イライラがずっと消えない」……

 そして、イライラしたり、辛い思いをした時のストレス解消方法のあれこれを伝授していく。

「でも、一番のお勧めは信頼できる人に話すことです。では、あなたの信頼できる人って、どんな人かな?」

特別授業「自分を大切にしよう」

 これは、同区が行っている特別授業「自分を大切にしよう」の一コマだ。いじめ対策と連動した自殺予防教育として、2014年に始まった。区内の小中高校に、保健師を派遣し、悩みがある時や友達が悩んでいる場合に、どのようにしてSOSを出していくかについて、子供たちに伝えていく。

 最後に、内閣府の『いのち支える(自殺対策)プロジェクト』のキャンペーンソングにもなった、ワカバの『あかり』のDVDを流す。

 それまでうつむきがちだった生徒もちらほらいたが、曲が始まると一斉に顔が上がり、じっと画面を見つめていた。

 受講した生徒に感想を聞くと、女子生徒の1人は「苦しんでいる人も多いけど、助ける人もたくさんいることが分かった。小学校の時にも、この授業を受けたけど、また聞けたので考えをまとめることができた」と感想を語ってくれた。男子生徒の1人は、「友達が悩んでいた時、なんて声をかけたらいいか分からなかった。そのことには触れないで、一緒に家に帰ったりしたら、いっぱい喋ってくれるようになった」と自分の体験を教えてくれた。

若者の死因トップは「事故」ではなく「自殺」

 今、このようなSOSの出し方教育が注目されている。

 それは、昨年10月に神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が発見された事件の衝撃が大きかったからでもある。

 この事件は、被害者は15歳から29歳の若者で、うち8人は女性。ツイッターで自殺願望と思われる投稿をした後に、自殺志願者を装った男から自宅に呼び寄せられ、殺害されたとみられる。

 さらに、今年に入ってまもなく、よく似た事件が起きた。八王子市の新聞配達員の男が、ツイッターに「死にたい」とつぶやいた少女を呼び寄せ、殺害しようとするなどして殺人未遂、強制性行などの疑いで逮捕されたのだ。

 生きづらさを抱えた若い人たちが、どこにもそれを相談せず、SNSにはき出した思いが被害につながった。

 加えて、若者の自殺の多さがある。

 日本での自殺者は、一時は毎年3万人を超えていたが、先日発表された警察庁の速報値によれば、8年連続で減少した。そんな中でも、若年層の自殺は、実数では中高年に比べて減り方が鈍い。昨年1月から11月までの暫定値を前年同期と比較すると、60代は8.1%、50代も2.7%減少しているのに、20代はわずか0.2%減にとどまり、20歳未満の未成年はなんと6.0%増加しているのだ。

 2017年版自殺対策白書によれば、15歳から39歳までは死因のトップが自殺。たとえば、20~24歳で亡くなった人のうち50.1%は自殺で、死因の半数を占めた。「不慮の事故」は17.4%。先進7カ国で若者の死因の1位が自殺なのは、日本だけだ。

厚労省『平成28年版自殺対策白書』より。15歳から39歳まで死因のトップは「自殺」
厚労省『平成28年版自殺対策白書』より。15歳から39歳まで死因のトップは「自殺」

 また、20歳以上を対象にした厚労省の自殺対策に関する意識調査(平成28年)で、「最近1年以内に自殺を考えた経験」を問うたところ、「ある」と答えた人は、20代が最も多く7.5%いた。「自殺せずに生きていればよいことがある」と思えるかどうかを聞く問いに、「そう思う」と答えた20代は、平成20年の62.3%から平成28年には36.9%と激減している。

「促進要因」>「阻害要因」となるように

 生きずらさを抱えている人は、どういう時に、自ら命を絶つ選択を実行してしまうのだろうか。

 NPO自殺対策支援センター・ライフリンクの清水康之代表は、「人が生きていくときには、『生』を促進する要因と逆に阻害する要因が常に働いていて、『促進要因』より『阻害要因』が大きくなった際に、自殺リスクが高まります」という。

ライフリンクの清水康之さん
ライフリンクの清水康之さん

 「促進要因」には自尊感情、将来の夢、信頼できる人間関係、仕事や趣味、地域や社会に対する信頼、様々な問題に対処するライフスキルなどがあり、「阻害要因」としてはいじめ、失業や就職活動の失敗、借金、生活苦、過労、人間関係の破綻や孤立などが挙げられる。

 中高年に比べ、若い世代の場合は、端から見て阻害要因はそれほど大きくないことが多い。また、日本よりはるかに困難な状況にあって、阻害要因が多いと思われる途上国などで、自殺率が日本よりずっと低かったりもする。そこから、清水さんはこう考える。

「日本の若者の自殺が多いのは、『促進要因』が小さくしぼんでしまっているからではないか」

 自殺対策と言うと、自殺の原因となりうる「阻害要因」をいかに取り除くかに関心が集まりがち。それももちろん大事だが、多少の「阻害要因」があっても生き抜けるよう、「促進要因」を育んでいくという発想が、これまで欠けてはいなかったか。

 「促進要因」の中で、清水さんはライフスキルと自尊感情の2つに注目する。

「1つは、悩みや問題を抱えた時に、どこに相談したらいいか分からないこと。もう1つは、自己肯定感の低さ。それで、『私なんか、いなくていいんじゃないか』『相談なんてしたら迷惑をかけてしまう』と思ってしまい、そもそも助けを求めようという行動がなかなかできずにいる」

 この2つが相まって、1人で悩みや問題を抱え込んでしまう人たちが、どうやって辛い時にはSOSを発信できるようになるかが課題だ。

「せっかく地域に相談窓口や支援策があっても、問題を抱えた若い人たちがなかなかたどり着いていない。いざという時にどうすればいいか、知っているのといないのでは、安心感が違う。誰も相談する人がいないのに比べて、生きる促進要因となりうると思います」(清水さん)

 改正自殺対策基本法が、これを後押しする。本年度から都道府県、来年度から市町村にも自殺対策計画の策定を義務づけ、学校において「困難な事態、強い心理的負担を受けた場合等における対処の仕方を身に付ける等のための教育・啓発その他自動・生徒等の心の健康の保持に係る教育」を行うよう努めることになった

とりあえず「明日は生きていける」ように

 足立区の場合、平成26年からいじめ対策と連動した自殺予防教育を開始。冒頭に紹介した特別授業「自分を大切にしよう」はその柱だ。

 担当の同区こころとからだの健康づくり課の馬場優子課長は、言う。

「若い人たちの漠然とした不安、生きづらさには、何が効くのか手探り状態なんです」

教師を対象にした研修会で特別授業について語る馬場優子課長
教師を対象にした研修会で特別授業について語る馬場優子課長

 実は馬場課長には苦い経験がある。

 以前、子供たちに命の大切さを伝えようと、高校生を対象に「赤ちゃんだっこ」の授業を行った。本物の赤ちゃんを抱いて、その重みと温かさを実感したうえで、自分にもこのような時期があったことや、お母さんとお父さんが大事に育ててくれたことに思いをはせて、命の大切さを考えてもらおう、という狙いだった。

「でも、感想文を読んでみると、『お母さんに大事に育ててもらった覚えがないから、私なんてダメだ』という子がいたんですね。その子には、この授業は苦しい思いをさせるだけでした」

 その経験から出発して、模索の末に、この授業にたどり着いた。

「とりあえずは1人で悩みを抱えていないで、信頼できる大人に話してもらえるようにしよう、と。それで、『明日は生きていける』と思ってもらえればいい」

 しかし、悩みを話す、というのはそう簡単ではない。

「特に、死にたいとか生きているのがしんどいという悩みを、知っている人に話すのは実は結構大変。とりわけ自己肯定感の低い子は『そんなことを言ったら嫌われてしまうんじゃないか』とためらってしまう。だから匿名が保たれるところでつぶやいてしまうんでしょう。それが誰かに拾われれば、気持ちを分かってもらえてうれしい。でも、とんでもない人に拾われてしまう危うさもある。だから、ちゃんと話を受け止める人は身近にもいるんだから、ということを伝えたい

 身近な人に相談をすると、迷惑をかけるんではないか、と心配する子もいる。

「日本では、人様に迷惑かけてはいけないと育てられる。でも、身近な大人は、子供を助けることを迷惑だなんて思わないと分かって欲しい。むしろ自分は選ばれた大人だと、この子が頼ってくれる、だからがんばろうと思う大人はいるんだよ、と」

 授業では、身近な大人3人に相談してみることを勧めるほか、様々な相談機関の情報も提供する。授業を行った保健師が、「それでも相談できる相手がみつからなかったら、私に連絡して下さい」と伝えることもある。

 同区では、このような授業をすでに区内の小中学校で85回実施した(1月23日現在)。

広がる「SOSの出し方教育」

足立区では保健師が特別授業を行う。東京都は来年度から、教師や保健師、カウンセラーなどのチームティーチングによる授業を計画している
足立区では保健師が特別授業を行う。東京都は来年度から、教師や保健師、カウンセラーなどのチームティーチングによる授業を計画している

 こうした取り組みは、広がりを見せ始めている。東京都教育委員会は、来年度から都内のすべての小中高校、特別支援学校高等部で、SOSの出し方を伝える授業「自分を大切にしよう」を始める。

 各学校で教師を中心に、養護教諭、スクールカウンセラー、地域の保健師がチームを作って授業を行い、保健体育や道徳の時間を当てることを想定しているが、具体的には各学校に任せる。

「いじめ対策は大事だが、子供の自殺の原因はそれだけではない。家庭での虐待もあれば、思春期特有の悩みを抱えている子もいる。そうしたストレスの結果が、自殺や自傷行為という形で出る子もいれば、周りへの暴力として現れる子もいる。なので、『自殺対策』に限定せず、まずは今の危機的な状況にSOSを出して、様々な問題行動を防止することが狙いです」(建部豊・指導企画課長)

 そのため、授業では「自殺」という言葉はあえて使わない方針。

子どもが手元に置いておきやすいよう工夫されたグッズを作っている自治体も。お守りの中には、様々な相談窓口が記されている
子どもが手元に置いておきやすいよう工夫されたグッズを作っている自治体も。お守りの中には、様々な相談窓口が記されている

 教材として、DVDとワークシートを準備中。DVDは前後編合わせて17分くらいの長さにとどめる。できる限り児童・生徒同士の話し合いの時間を多くとれるようにする。『あかり』の歌も活用する。ただし、授業の成果はあまり欲張らない。

「この曲を聴いて、悩みを持っているのは自分だけじゃないと感じて、一歩踏み出そうと思ってくれれば、それだけでも成果。自分が辛い時にどうするか、友だちが辛そうな時にどうするか、という2つのテーマが授業の両輪にして、まずは身近なところで信頼できる大人を探そうと伝えたい」(斎藤一裕・主任指導主事)

SNSを使った悩み相談も

 それでも、身近な人に相談しにくい場合はどうするか?

 自治体によっては、SNSを使った相談にも取り組んでいる。長野県教育委員会は昨年、自殺予防週間が始まる9月10日から2週間、LINE株式会社と連携協定を結んで、LINEを使った相談を実施した。10人の相談員が午後5時から9時までの4時間対応し、短い言葉のやりとりを何度も重ねながら、相談に乗る。相談者1人について、平均70往復のやりとりをし、平均1時間弱を要した。

「子供にとって、自分の悩みを整理して打ち明けることは難しく、じっくり聞いていかないと、(相談員が)把握できませんから」と同県心の支援課の竹内正樹企画官。

長野県が行ったLINE相談のリハーサル風景。関西のカウンセリングの専門家が相談に当たった
長野県が行ったLINE相談のリハーサル風景。関西のカウンセリングの専門家が相談に当たった

 2週間の間に547件の相談を受け付けた。この他、10人の相談員がすべて対応でふさがっていて、相談を受けられなかった人もいる。それを含めて、アクセス数は1579件に上った。

 同県では、 いじめ、不登校など学校生活に関する悩みの相談に乗る電話窓口も24時間体制で設置している。平成28(2016)年度の相談件数は259件だった。LINE相談へのアクセスは、わずか2週間で、その6倍に上った。

「今の子供はあまり電話を使わず、電話相談にはあまり馴染みがないのかもしれない。LINEでの相談は、『勉強ができない』とか『恋愛で悩んでいる』などといった身近な相談が多かった。このように、深刻化する前の早い段階での悩み相談に、今まで対応できていなかった。悩みの芽に早めに対応すれば、問題が深刻化するのを防ぐことができるかもしれない」(竹内企画官)

最近は電話相談よりも……
最近は電話相談よりも……

 同県では、恒常的にSNSを使った相談体制を作ることを検討している、という。

LINEなどのSNSの方が、子どもには馴染みがあって相談しやすいようだ
LINEなどのSNSの方が、子どもには馴染みがあって相談しやすいようだ

 同じようにSNSを利用して、子どもたちのSOSを受け止めようという取り組みを考えている自治体は他にもあり、文部科学省は本年度の補正予算で、「SNSを活用した相談体制の構築事業」に2 億円を計上。20自治体を対象に助成する。来年度に予定していたものを、座間市の事件を受けて前倒しした。来年度予算でも5カ所の自治体に合計5000万円の補助を行う予定。

 ライフリンクの清水さんは、こうした動きが様々な自治体に広がっていくことを期待する。

「小さい頃に、誰かに相談して『あなたも悪い』と責められたり『気にしすぎ』などと言われた経験があると、やっとの思いで相談しても、かえって辛い思いをするなら、もう大人への相談なんてすまい、となってしまう。逆に、子ども時代に悩みにちゃんと対応してもらった経験があれば、大人になって危機に直面した時にも、適切にSOSの発信ができて、支援につながれる可能性が高まるのではないか」

 

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

江川紹子の最近の記事