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”世界のオオノ”が都響次期音楽監督に!「傷ついた祖国に貢献したい」

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
記者会見で音楽監督就任に至る思いや抱負を語る大野さん
記者会見で音楽監督就任に至る思いや抱負を語る大野さん

世界中のオペラ劇場やオーケストラで大活躍の指揮者・大野和士さん。東京都交響楽団の次期音楽監督に就任することが決まり、6月14日にホテルオークラで就任披露の記者会見が行われた。大野さんは、「2011年3月11日以降、人間として音楽家として何ができるかという考察を重ねていきながら、『傷ついている祖国に対し、より貢献したい』『そのための時間を割きたい』という思いが切々と迫ってきた」と、東日本大震災後の心境を吐露。また、都響との共演を重ねる中で、「音楽的により深い表現を求め、人々に届けたい。それもまとまった声として届けたい思うようになった」と、音楽監督を引き受けた思いを語った。

内戦のクロアチアでの経験と重ね合わせて

東日本大震災の後は、住まいのあるブリュッセル(ベルギー)や仕事の拠点であるリヨン(フランス)などで、現地の日本人が行うボランティア活動に参加したり、チャリティコンサートを行った。さらには、帰国して被災地に音楽を届け、津波に襲われた大船渡市や気仙沼市の現場にも立った。

大きな衝撃を受けながら、その時大野さんが思いをはせたのは、かつて内戦のさ中のクロアチアで、ザグレブ・フィルの音楽監督を務めていた時の経験だった。多くの人が傷つき、亡くなった。音楽家たちも内戦当時は命の危機に直面し、親しい者を喪った。大野さん自身も、練習中に空襲警報が鳴り、防空施設に駆け込んだこともある。

さらに、こんな経験をした。車で海岸沿いを移動中、道路に爆弾投下による穴がぽっかり開いていて、立ち往生。中には数人の遺体も見えた。この光景は、どうしても忘れられない。

それから歳月を経て、クロアチアは再生。大野さん在任中は若かった音楽家たちは成長し、今では幹部となって楽団を支え、様々なプロジェクトにも取り組む。かつての戦争は、セルビア人とクロアチア人との戦いだったが、今ではセルビアのオーケストラとの合同演奏会も行われた。時はただ流れるだけでなく、その間に人々は成長する。

「それを、今の私自身が、今の日本で感じていきたい」(大野さん)

音楽の力を、継続して

年末恒例の『第9』の演奏会。2011年の都響の指揮者は大野さんだった。福島のジュニアオーケストラのメンバーを招待した。演奏を聴きながら、子供達も引率の先生も感動の涙を流し、そして喜んだ。その姿を見て、大野さんは「音楽が何らかの力を与えられるなら、それを継続してやっていこう」と心に誓った。

大野和士さん
大野和士さん

大野さんは、コンサートホールに足を運べない人たちに音楽を届けようと、多忙な中で日本に帰るたびに、若い歌手を連れて、病院や福祉施設を訪問。大野さんがピアノ伴奏やトークを行う。震災以降、被災地で同様の活動を行うなど、地道な活動を続けている。

都響の音楽監督就任は2015年4月。この年は、都響の創立50周年となり、ヨーロッパの演奏会も企画されている。これも大野さんが指揮をする。「日本の文化の最先端を披露すべく、(楽団員と)力を合わせたい」と大野さん。

音楽監督としては、「今まで以上のレパートリーに挑戦したい」と力強く宣言。「世界(の音楽シーン)で何が起きているのか、都響の演奏会に来れば分かる、というようにしたい。と同時に、たとえばワーグナーを理解するには、この曲を聴いておいた方がいい、というような曲も伝えたい。『知られざる名曲』と『知っておくべき名曲』をシリーズ化していくべく、企画を進めている。物事はいろいろな角度から見ることで感受性は膨らんでいく。いろんなことに挑戦したい。一つのオケがどれだけ多様な発信ができるかやってみたい。広角打法でいく」

フランス国立リヨン歌劇場首席指揮者であり、他のオペラハウスやオーケストラの客演の予定もあって、多忙な大野さんだが、都響についても年に10公演ほど、自身が振るつもりでいる。

コンサートマスターとの信頼関係

記者会見には、オーケストラのメンバーを代表して、ソロ・コンサートマスターの矢部達哉さんも出席した。矢部さんは、大野さんが以前、都響指揮者を務めていた頃に、入団。大野さんが指揮したバルトーク《オーケストラのための協奏曲》が矢部さんの都響デビューだった。以来、数々の共演を重ねながら信頼関係を築いてきた矢部さんは、「この日が来ることを一番待ち望んでいたのは、間違いなく僕」と喜びを隠さない。

コンサートマスターの矢部達哉さん
コンサートマスターの矢部達哉さん

「大野さんが日本を離れ、(ドイツ・バーデン州立歌劇場音楽総監督として)カールスルーエに行った時は、世界に羽ばたいて欲しいと応援したが、モネ(ベルギー王立歌劇場音楽監督)、リヨンと(転進して)、まだ待たされるのか…という気持ちだった。(音楽監督就任は)不謹慎かもしれないけれど、放蕩息子の帰還という感じ。僕は家でずっと待っていて、いつになったら帰ってくるのか…と思っていたら、やっと帰ってきてくれることになった。ただ、放蕩息子というのは普通は無一文になって帰ってくるが、大野さんの場合、欧米で経験を積み、たくさんの音楽的な財産を持ち帰ってくれる。彼の立派な右腕になれるよう、がんばりたい」

「世界のオオノ」を隣にして「放蕩息子」にたとえるところからも、2人の間の信頼の深さや相性の良さが伺われる。オペラ公演の可能性を聞かれた大野さんは、「矢部さんが《トスカ》を弾きたいというので弾かせてあげたい」と。すると矢部さんは、「《春の祭典》を、大野さん指揮でピットの中で演奏したい」と応じるなど、二人のやりとりは和気藹々にして実に前向き。

大野さんは、6月18日(火)に行われる都響の定期演奏会でブリテン《戦争レクイエム》を指揮する。来年のシリーズにも大野さんは登場する予定とのこと(詳細は秋に発表)。

左から山巻毅・都響常務理事、矢部さん、大野さん、国塩哲紀・都響芸術主幹
左から山巻毅・都響常務理事、矢部さん、大野さん、国塩哲紀・都響芸術主幹
ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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