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パレスチナ人の二重の悲劇

土井敏邦ジャーナリスト

(ガザ空爆で被害を受けた住民)
(ガザ空爆で被害を受けた住民)写真:ロイター/アフロ

【「2014年ガザ攻撃」の悲劇の繰り返しか】

 5月10日から始まったハマスのロケット弾攻撃とイスラエル軍による空爆の応酬は、5月21日、双方が「停戦」に合意した。これによって国内外のメディアに久しぶりに大きく取り上げられた「パレスチナ・イスラエル問題」の報道は潮が引くように消えていくだろう。しかし戦闘は終わっても、エルサレムの入植地問題も、ガザの問題も何も解決されないままである。

 今回の事件の直接的な原因はすでにメディアで報じられているように、東エルサレム・シェーフ・ジャラ地区でパレスチナ人家族が「1948年以前にユダヤ人が所有していた」ことを理由にユダヤ人入植者に強制退去させられること、それに抗議するパレスチナ人をイスラエル当局が弾圧し、治安部隊がイスラム教の聖地アルアクサ・モスクを襲撃し多数負傷者を出したことが引き金となった。

 「1948年以前にユダヤ人が所有していた」ことで強制退去ができるのであれば、1948年前後にイスラエルがパレスチナ人から奪った土地や家も返還されるべきであるが、その権利はユダヤ人にだけしか適応されない。ヨルダン川西岸でのパレスチナ人の土地収奪と入植地拡張、イスラエル国家の人種差別主義、「パレスチナのユダヤ化」という植民地主義を象徴する実例である。

 一方、ハマスは「アルアクサ・モスク襲撃への報復」としてイスラエルにロケット弾を撃ち込んだとされる。しかし実際は、“パレスチナ”が世界から忘れられているなか、その存在感を国際社会に示すために、「アルアクサ・モスク襲撃」を絶好の機会と捉え、イスラエルへのロケット弾攻撃を開始したのではないかという見方もある。

(「朝日新聞」(2021年5月21日夕刊)
(「朝日新聞」(2021年5月21日夕刊)

 「停戦」が発表された今、私が最も恐れているのは、2014年夏のガザ攻撃直後からガザ地区住民を見舞った惨劇が再び起こるのではないかということだ

 イスラエルによるガザ攻撃によって約2100人の死者、1万人を超える負傷者を出し、約2万戸の家が破壊され数十万人が避難民となる甚大な被害を受けたガザ住民が、その後イスラエルによる封鎖政策の強化、復興支援の停滞、経済の悪化による失業と貧困に、7年経った今なお苦しみ続けている悲惨な現状が一層深刻化するのではないかと懸念である。

 言うまでもなくガザ住民の窮状の最大の責任はイスラエルの軍事攻撃と封鎖政策にある。しかし同時に、ガザ地区を実効支配するハマスの責任も重大である。

 2014年夏のガザ攻撃で家や生活手段を失った住民にハマスは十分に復興支援をしてこなかった。破壊された家々の復興はカタールやアラブ首長国連邦など湾岸諸国からの支援に頼った。「戦争の被害には補償をする」という被害住民へのハマスの約束は守られず、多くの住民がハマスへの失望と怒りを外国人ジャーナリストの私にさえ吐露した。ハマス側は支援ができないのはガザ攻撃で被害を受けたための財政難のためと説明した。

 しかし今回、ハマスらは約4400発近いロケット弾をイスラエルに撃ち込んだといわれる。「えっ!住民を経済支援できないほど財政難に苦しんでいると説明していたハマスに、これだけのロケットを製造する資金があったんだ!」というのが私の率直な驚きだった。そして「あの甚大な被害から7年が経った今も立ち直れない多くのガザ住民たちは、このロケット弾攻撃をどう見ているのだろうか」と思った。

【「ハマス」観の食い違い】

 「朝日新聞」(5月21日朝刊)は「ガザ衝突 ハマスの存在感」「イスラエルに抵抗・難民救済 市民からの支持」という見出しで、「ハマスは軍事施設だけでなく、人々を助けるためにあらゆる投資をしている」「福祉部門からの支援を受けてきた」「軍事に資金を費やして何が悪いのか。イスラエルも米国から最新鋭兵器を得ているのではないか」といったハマスを支持する住民の声を紹介している。

 しかしその記事の内容は、私がガザ地区の友人から得た情報とは全く異なる。ガザ地区中部の街で暮らすその友人は5月20日、メールでこう報告してきた。

「『住民の反応を知りたい』というあなたの要請を受けて、私は知り合いの10人にSNSの『メッセンジャー』で、『あなたはハマスのロケット弾攻撃を支持しますか?』という質問状を送りました。この結果、3人が『支持する』で、残りの7人は『支持しない』という答えでした」

 「当初は、ハマスのロケット弾攻撃を支持する声は大きかった。しかしそれは日を追うごとに減少しています。イスラエル軍の空爆によって拡大する甚大な建物やインフラの破壊を目にしたからです。だからロケット弾攻撃を支持する人は減っています。今は大多数の住民がロケット弾攻撃に反対しています。しかしその意見を表現できません。あらゆるラジオ局やメディアはハマス情報機関にモニターされています。だからハマスの行動を批判できないのです。もし批判しようとすれば、ハマスはその人を『イスラエルのスパイ』とみなします」

 「住民は他のことでもハマスに怒っています。この攻撃が始まってから今まで5万人が住居を逃れ、国連の学校に避難しています。その避難民たちがハマスに怒っています。ハマスは避難民に食べ物など何の支援もしないからです。また知識人たちはハマスの報道に怒っています。事実を報じないからです。ハマスのテレビもラジオもこの戦争について“嘘”、“誇張”、“宣伝”を伝えていると考えています」

【2014年ガザ攻撃後の「ハマスへの失望」】

 2014年夏、51日続いたガザ攻撃の最中、私は1ヵ月間、凄まじい攻撃の被害の取材の一方で、イスラエル軍の攻撃の引き金となるロケット弾を発射したハマスに、被害住民がどういう思いを抱いているのかを聞いて回った。すると意外にも、ハマスを非難する声はほとんど聞かれなかった。家を失い避難している住民さえ、「ハマスは我われの“尊厳”のために闘ってくれている」と言うのだ。それが本音なのか、それともハマス当局からの弾圧を恐れ、外国人ジャーナリストへのハマス非難の発言を控えたのか、その時は判断できなかった。

 最も攻撃が激しかったガザ市東部で自宅を爆撃で破壊されたある青年は私のインタビューにこう答えた。

 「この停戦はもちろん勝利です。検問所を開放するというハマスの要求にイスラエルは従わざるをえないでしょうから。この戦争でハマスの人気はもちろん上がります。多くの住民が家が破壊されたにも関わらずです。自由と尊厳があれば、我われも生きていけます。家より尊厳が大切です」

(2014年で破壊されたガザ市シュジャイーヤ地区/写真・土井敏邦)
(2014年で破壊されたガザ市シュジャイーヤ地区/写真・土井敏邦)

 それから1年3ヵ月後、私はその青年を再訪した。カタールの支援で家の再建中だった。「私たちは騙された」。彼は開口一番に言った。「戦争が終われば全てよくなるとハマスに言われました。それは全て嘘だった。彼らの約束は何も守られなかった」

 「あの戦争は尊厳を守るためという考えは変わったのか?」と問うと、青年は答えた。

 「戦争後、私たちの尊厳は失われました。戦争によって尊厳と名誉が回復されるとハマスは言っていたのに、必需品を哀願して回ることになってしまった。援助組織をたらい回しにされ、私たちを乞食へ変えてしまった。ハマスは私たちに嘘をついた。こうなったのはハマス政府のせいです。怒りを感じます。住民のことを全く考えていません。政府が守ろうとしているのは権力とガザの支配です。あの戦争に責任があるのはイスラエル政府とガザの政府の両方です。でも人前ではこんな発言はできません。逮捕され投獄されますから」

【ある被災家族の戦後】

 避難場所のガザ市内でサイード一家(仮名)と出会ったのは攻撃の最中だった。イスラエルとの国境に近いガザ地区北部の町で、サイード一家約80人が5階建ての家で暮らしていた。しかしイスラエル軍の地上侵攻が始まった直後、家のバルコニーにいた2人の男性家族が近くの戦車から顔面を銃撃され、即死した。家族は近くの国連の学校に避難し、休戦時期に戻ると、5階建ての家は完全に破壊され瓦礫の山となっていた。

 1年3ヵ月後に再訪すると、一家は数軒のコンテナ・ハウスで暮らしていた。そのコンテナはハマス政府からの支給ではなく、賃貸料を要求された。長男モハマド(仮名)は妻と9人の子の11人家族。近くのコンクリート工場で不定期に働く薄給では、生活はままならない。ハマス政府からは家を破壊されたことへの見舞金も支援もなく、貧困に喘いでいた。妻のアマル(仮名)はこう訴えた。

 「最大の問題は貧困です。子どもたちが『よそでは鶏肉を食べているのに、ウチにはない』と泣きます。子どもに与えられるものがありません。子どもたちに将来なんてありません。生活は地獄のようです。生きていても、いいことはありません」

 そのアマルは2014年のガザ攻撃をこう言い切った。

「あの戦争の責任は誰にあるかって?もちろんハマスですよ。ハマスがロケット弾を撃つからイスラエルが報復したんですよ」

 夫のモハマドは2014年のガザ攻撃を振り返り、こう語った。

 「戦争中、私はハマス政府を支持していました。政府の勝利を祈っていたんですよ。多くの死傷者が出て家を破壊されても、私たちは最後までハマスを支持し続けました。しかし戦後、政府は私を失望させました」

 「前回の戦争で最悪の状況になりました。私はイスラエルとガザ政府の両方に怒っています。戦争の責任はガザ政府にもあります。背後にハマスがいて、ガザで起こること全てハマスに責任があります」

 モハマドがハマスに怒りを抱くもう一つの要因は戦後のハマスの支援のやり方だった。

 「ハマス政府は戦争が終わるや否や私たちを見放しました。一方でハマスのメンバーで家を破壊された者には一人当たり7300ドルを支援しました。しかし他の住民には支援しませんでした。私はもう、ガザ政府が支援してくれることは期待していません。しかし海外から政府に多額の支援が届いています。何千万、何億という支援金が入っていると聞いています。しかし住民は全くその支援金を手にすることができませんでした」

 それから4年後の2019年夏、サイード一家はかつての家があったベイトハヌーン町に、国連の支援で家を建てていた。しかし家の中には家具はほとんどなかった。家長のモハマドはコンクリート工場でセメントの粉塵によって片目を失明し、もう片方の目も視力がどんどん落ち、失業した。長男は23歳、次男は20歳、三男は19歳。いずれも働ける年齢だが、仕事はない。2014年ガザ攻撃以後、経済はマヒ状態から回復できず、イスラエルの「ガザ封鎖政策」の強化で物資や人の出入りも困難な中、経済の悪化は歯止めがかからない。その状況では若者には仕事などなかったのだ。失業した父に代わり、11人家族を支えなければならない長男は毎日、片道10キロの道を歩き仕事を探すのだが、見つからない。絶望し自殺さえ考えることもあると長男は私に打ち明けた。収入のないサイード一家は極貧状態に陥っていた。

【若者の絶望と自死】

 21歳の青年がガソリンを被って焼身自殺したのは2014年ガザ攻撃から4年経った2018年5月だった。ファトヒは大学卒業後、仕事を探したが見つからず、理髪店を開業したが客がほとんどなく廃業した。それでも祖父の勧めで結婚した。やがて妻は妊娠し、生まれてくる子どもを養うためにファトヒは必死に仕事を求めた。しかし毎年3万人近い大学新卒者の中で就職できるのは200人にも満たないといわれるガザ地区で仕事は見つけようがなかった。妻の出産を間近に控えた5月の夜中、絶望したファトヒはガソリンを被って火を付けた。4日後、病院で息を引き取った。ファトヒの死から3日後、長男が誕生し、ワタン(祖国)と名付けられた。

(焼身自殺したファトヒ・ファルブ/写真・家族提供)
(焼身自殺したファトヒ・ファルブ/写真・家族提供)

 ある慈善組織のスタッフによれば、ガザでの自殺と未遂の件数が上昇してきたのは2014年のガザ攻撃でイスラエルの封鎖がさらに強化され、失業者が急増し劣悪な経済状態によって生活状況がさらに悪化してからだという。2018年には自殺者は一日当り 2~3件になっていた。

 「ある閾値を超えると急激に水が溢れ出すように、現在のガザの貧困の度合いは、人々の限界を超えています。こうした人間としての基本的な人権さえ奪われているのがガザの現実です。それが自殺を誘引するのです。選択肢もなければ、出口もありません」とそのスタッフは語った。

 忘れてはならないのは、ガザ住民の大半がイスラム教徒であり、イスラム教では「自殺」は禁止されている。にも拘わらず、自殺者が急増するほどガザ住民の絶望感は深刻な状況になっていた。

【ガザ脱出】

 ガザの現状に絶望した若者たちの多くが、ガザ脱出を目指している。

「誇張はしたくないですが、ガザの若者の95%がガザ脱出を願っています」とガザの20代のジャーナリストが私に語った。「私たちジャーナリストもガザを出ることを考えています。愛国心がないからではありません。ガザの指導者たちが、私たちを脱出しか選択がない状況に追いやりました」

 しかし脱出を試みた若者たちの中には挫折する者が多く、中には命さえ失う者もいる。

2014年ガザ攻撃の直後、若いパレスチナ人家族がガザを脱出してエジプトからヨーロッパへ密航を試みたが、地中海で船が沈没し乗客430人のほぼ全員が命を失った。その悲惨な事件は「ガザ脱出の悲劇」の象徴である。

 ガザ市内で暮らすローア・ハジラス(25歳)は、ガザ地区のエリート校であるイスラム大学工学部をトップで卒業した。しかし就職先はなかった。夫モハマドも同じ工学部を卒業したが仕事がなくタクシーの運転手をしながら糊口を凌いだ。2歳の娘の母親だったローアは次の子を宿していた。

(密航中に行方不明になったローア・ハジラス/写真・家族提供)
(密航中に行方不明になったローア・ハジラス/写真・家族提供)

 ガザ攻撃の直後の2014年9月、ガザには希望はないと判断した若い夫婦は、ヨーロッパのベルギーへの移住を決意した。ローア夫妻はガザを正式な手続きで出国し、アレキサンドリア港から事前に密航ブローカーに一人当たり2000ドル(22万円)を支払って手配した密航船に乗り込んだ。乗客の中にはヨーロッパへ向かうガザのパレスチナ人が少なくなかった。出航から4日後、定員の2倍近い乗客を乗せた船は地中海で消息を絶った。奇跡的に生存し救出されたのは7人だけだった。その中にはローアの家族はいなかった。

 「『普通以上の生活を望まない』というのが娘のモットーでした」と父親のモハマド・ハジラスは言った。

 「『私たちは普通の生活ができるように大学を卒業したのに、ガザには希望はない』と娘は言いました。夫婦は生活状況を改善するために移住を決めたんです。戦争の破壊によって状況はさらに悪化し、失業者に近い将来に仕事が見つかる見通しはなかった。だから私は移住に賛成しました。将来を築きたかった二人を止められませんでした」

 先の慈善組織のスタッフは言う。

 「ガザ脱出には危険が伴います。ガザでの『死』つまり 苦しい現実から逃れようとして、同じ『死』にたどり着くのです。ガザではそれを生む現実が続いているのです」

【国境デモ】

 5月15日はパレスチナ人が故郷を追われた「ナクバ(大破局)」を象徴する記念日で、2018年はその70年目に当たった。その年の3月末からハマスはガザ住民に「帰還のための大行進」を呼び掛けた。イスラエルとの国境にデモ行進し、投石などでイスラエル軍と対峙するデモである。これに対し、国境を警備するイスラエル軍は実弾を発砲し、デモ参加者たちに多数の死傷者が出た。19年3月までの1年間に死者約200人、1万5千人の負傷者を出した。

(国境デモ/写真・PCHR提供)
(国境デモ/写真・PCHR提供)

 このデモは「奪われた土地を奪還し、故郷へ還るため」とハマスは宣伝したが、実際に参加した住民の中には、「絶望的な現実から逃避するため、自殺に代わる“殉教”(パレスチナの大義のために闘い死ぬこと)の場を求めて」参加した者、または「負傷することでハマス政府から補償金を得るため」にデモに加わったという証言を私はたくさん聞いた。

 ガザ地区中部の難民キャンプで暮らす40歳の主婦は、国境デモに参加し足を負傷した。参加の理由を「二度と帰らないつもりで、殉教を願って参加しました。殉教すれば見舞金が出ると聞いたからです。夫は仕事がなく 厳しい生活状況です。デモにいた人たちの多くは同じことを言っていました」

 「故郷を取り戻すためのデモではないのか?」と問うと、「生活苦、厳しい状況のためです。土地が取り戻せるわけはありません」と答えた。

 しかし国際メディアは「故郷への帰還をめざすパレスチナ人のデモに対し、イスラエル軍は武力で制圧し多くの犠牲者が出ている」という図式で大々的に報じた。しかしその背景には、「撃たれて負傷し、補償金を手にするために」または「絶望して“殉教者”になるために」デモに参加する若者が出てしまうほどの深刻な貧困問題があることはあまり伝えられなかった。

【ハマス側の言い分】

 ハマスは、イスラエル側から大々的な報復を受けると知りながら、なぜロケット弾攻撃をするのか。なぜその製造に費やす金を貧困にあえぐガザ住民の救済に使わないのか――2019年8月、私はハマスの幹部の一人でスポークスマンのガジ・ハマド(当時・社会福祉省副大臣)に聞いた。

(ハマスス・ポークスマン、ガジ・ハマド/写真・土井敏邦)
(ハマスス・ポークスマン、ガジ・ハマド/写真・土井敏邦)

(Q・なぜミサイルに使う金を、貧しい人たちを救うために使わないのですか?)

 占領下にあるとき、あなたはどうしますか?もし日本が占領下にあったら、どうする?闘うはずです。私たちには二つの道があります。パレスチナ人に未来を与え、尊厳を与えるために占領と闘う。私たちが生きているのは、ただ食べたり飲んだりするためだけではありません。パレスチナ人はもう70年も占領下にあるんです。私たちの向かう方向は、占領と闘い、占領を終わらせること、自分たちの故郷で自分たちの国を建てることです。占領下で奴隷のように生きるわけにはいきません。すべての人が飢えてパンを求めているのではありません。彼らは“自由”に飢えているのです。自由と尊厳があれば、なんでもできます」

(Q・ロケット弾攻撃など「軍事行動」は効果的だと思いますか?)

 大きな抑圧の中にあるとき、どうすればいいんですか?すべてが封鎖され、抑圧下にあり、侮辱されたら、どうすればいいんですか?99%の人がエレツ検問所を越えられない。10万人の大卒者がいる。何もすることがない。人びとは苛立っています。私たちは国際社会の注目を引き付けるためにあらゆることをやっています。「ガザに深刻な悲劇が起こっている。どうにかしてほしい」と。このトンネルには出口がなく、何の展望もないのです。私たちはこのパレスチナ人の惨事を終わらせたいのです。

(Q・この住民の貧困にハマス政府は責任を感じませんか?)

 ハマスはこの問題を解決しようと試み、PA(ヨルダン川西岸の自治政府)との和解を主張しています。2017年には権力をPAに移譲することになっていた。すべての大臣席も移譲することになっていたのです。しかし彼らは拒否した。そんな状況で、ガザ住民を法もなく、政府もない状態で放置できますか。ガザのセキュリティーを誰がコントロールしますか。今の状況に対して我われは責任はありません。もしパレスチナ人を統合できれば、今の状況を改善できます。

 一方、西岸でPAのアッバス(大統領)は何をしていますか。彼は25年もイスラエルと和平交渉をしているがいったい何を得たか。何もない。入植地も検問所も増え、さらに土地没収が進み、さらに人が殺されている。彼らは何を待っているのか。

(Q・逆にあなたに聞きたい。いわゆる「武装闘争」でハマスは何を得たんですか?)

 成果を得るのはとても難しい状況です。成果を得るために必要なのはパレスチナ人の統一です。統一し、政治的なビジョンを持ち、一つの政治的な戦略を持てば、それでイスラエルに圧力を加えることができます。しかしイスラエルが今、我われを分離させています。我われをコントロールしやすいからです。

(Q・この分離の責任は誰にあると思うか?)

 この分離は全ての組織に責任があります。

(Q・ハマスもですか?)

 全ての組織です。

【パレスチナ報道の盲点】

 5月21日の「停戦」によって、また“パレスチナ”はメディアの報道から消え、国際社会の関心も失せていくことだろう。メディアが関心を持つのは、「爆撃」「破壊」「死傷者」のようなセンセーショナルな“直接的な暴力”であり、「停戦」後に住民に起るイスラエルによる“封鎖政策”の強化、ハマス政府の無策による貧困と絶望のなかで、住民が真綿で首を絞められるように殺されていく“構造的な暴力”ではない。しかし何年もの間、日常的に続くという意味では“直接的な暴力”以上に、確実に住民の生活と精神を蝕んでいく“暴力”である。それをメディアがきちんと伝えなければ、“表層的な現象”の報道が繰り返されるだけで、深い“パレスチナ報道”とはなりえない。

 もう一つの問題は、「パレスチナ・イスラエル報道」を「パレスチナ」対「イスラエル」という二項対立で、単純化して伝える報道のあり方だ。確かにこの問題は複雑で、一般の日本人に「わかりやすく」伝えるために、単純化するしかないというメディアの判断があろう。しかしこれまで書いてきたように、「ガザのパレスチナ人」には一枚岩で描けない要素がある。それはガザ地区だけではなく、ヨルダン川西岸においても民衆と自治政府と一括りに「パレスチナ」と描くことは危険である。とりわけ1993年の「オスロ合意」以後、それは顕著である。

【ガザの小さな“叫び声”】

 一方、この記事のように、パレスチナ内部の問題に言及すると、「パレスチナ支援者」の間からは、「それは『占領』『封鎖』『植民地主義』といったイスラエルの加害性を薄め、見えなくしてしまう」「『イスラエルもパレスチナもどっちも悪い』という議論になってしまう」と批判する声が出てくる。

 しかしそれは、「どの“視点”から伝えるか」である。

 私は36年間、「パレスチナ・イスラエル」と関わり続け、試行錯誤の模索の中で、いま自分に課していることがある。それは、この複雑化したパレスチナ問題を伝えるとき、“底辺の民衆の視点”から絶対に目を逸らさないということである。つまり「パレスチナ」「イスラエル」と一括りして伝えるのではなく、地べたを這い、底辺で呻吟する民衆の声を愚直に拾い集め、その声にならない“小さな声”を伝え続けることである。

 自ら命を絶たざるをえない、危険を知りながらガザから脱出しなければならないほど、貧困と絶望の中で苦しむガザの民衆に、「問題の根源は、イスラエルの占領と封鎖政策と植民地主義にあるのだから、それを解決するのが先決だ」と言うことは、「餓死しようとしている人に向かって、『社会の構造に問題があるから、それを解決するまで待て』と言い放つ」ようなものだ。「生き続ける」ことさえ困難になっている現在のガザの人びとにいま緊急に必要なことは「パレスチナの大義」でも「パレスチナ国家」でもない。「今日一日、安心して眠る場所があり、食べ物があり、ミサイルの攻撃に怯えることなく安心して暮らせる」ことだ。そういう最低限のことさえままならないのが今のガザの現実なのである。

 あるパレスチナ人が私に言った。「イスラエルの占領時代に戻りたい。あの頃はイスラエルでの出稼ぎの仕事があり、生活は安定していた」と。「占領からの解放」のためにあれほどの犠牲を払ってきたパレスチナ人に、こういう言葉を吐かせてしまう為政者とはいったい何なのか。

 「政治の役割は二つある。国民を飢えさせないこと、そして、絶対に戦争をしないこと」。少年時代に太平洋戦争を体験し、戦後の貧困と混乱の中を生き抜いてきた俳優、故・菅原文太が遺したメッセージである。

 ガザ地区を実効支配する前は、貧困層を救済する清廉な慈善組織として民衆の高い支持を得てきたハマスが、14年間、ガザ地区を実効支配するなかで、菅原文太が言う「政治の役割」を完全に放棄してしまっているように私には見える。

 パレスチナ問題の根源は言うまでもなく、イスラエル建国に伴うパレスチナ人の故郷喪失、占領、そして植民地主義によるパレスチナ人の土地と資源の収奪である。しかし今、パレスチナ人は“二重の悲劇”に見舞われている。一つは世界有数の軍事大国であり植民地主義国家に隣接してしまったこと。そしてもう一つは、個人や組織の私利私欲に走らず、パレスチナ人全体の将来を見通す透徹したビジョンを持った指導者、為政者を欠いてきたことである。

 この記事を、イスラエル側は「ほら、ガザ住民を苦しめているのはイスラエルではなく、ハマスなのだ」と宣伝する材料に使うかもしれない。またハマス側は、この記事の「証言者探し」を始め、ガザで私と関わった人物や団体を追及しようとするかもしれない。その危険を危惧し、一旦公開したこの記事を、一時「非公開」にした。

 しかし、このガザの現状と民衆の“声”はどうしても伝えなければならないと考え直した。それがガザの市井の人びとの小さな“叫び声”を聞いてしまったジャーナリストの“責任”だと思うからである。

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ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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