Yahoo!ニュース

ルポ「ヨルダン川西岸」(第一部「ヨルダン渓谷」)・2

土井敏邦ジャーナリスト
隣国ヨルダンの山々を背景に農作業するヨルダン渓谷の農民(筆者撮影)

                 【ルポ「ヨルダン川西岸」】

                〈第一部「ヨルダン渓谷〉・2

【家屋破壊】

 2016年10月、ヨルダン渓谷の町アウジャの現場を訪ねたとき、辺り一面が瓦礫だった。長さ100メートルはありそうなその広さから、破壊された建物の大きさが想像できる。数日前に突然やってきたイスラエル軍によって破壊されたのだという。アウジャ町の農民、ジャミール・スレイマンは当時の様子をこう証言した。

イスラエル軍に破壊されたアウジャ町の倉庫の瓦礫(筆者撮影)以下同様
イスラエル軍に破壊されたアウジャ町の倉庫の瓦礫(筆者撮影)以下同様

 「破壊の前に、私たちにも弁護士にも何の警告もありませんでした。イスラエル軍がブルドーザーや装備を持って来て驚きました。私たちの倉庫を破壊するというのです。私たちアウジャ住民は集まり倉庫の中に入りました。『5分以内に出て行け!』と言われ私たちが出て行った後、軍は残った住民を攻撃し始めました。住民が建物から出ると、軍は催涙ガス弾や音爆弾を投げ始めました人々は家まで追われて殴られ、家の中で5人負傷しました。子供がガスで窒息してしまうと思い、外に出ました」

 家は礎石も全て破壊されていた。

 「1~2年は再建できなくするためです。この倉庫は全部で100万シェケル(2,700万円)

相当の建物でした」

 破壊された理由は何だったのか。

 ジャミールは「恣意的な措置です」と答えた。

 「私たちはアウジャ町当局が発行した証明書類を持っています。建築許可をイスラエルから得る必要はありませんパレスチナ政府の管轄下ですから。イスラエルとは関係ありません。」

ジャミール・スレイマン
ジャミール・スレイマン

 ここヨルダン渓谷の町アウジャは、1993年のオスロ合意によって、こ近くのエリコ市と共に「A地区」つまり行政権も警察権もパレスチナ自治政府にある完全な「パレスチナ自治区」とされた。それなのに、なぜイスラエル側が家屋破壊する権限があるのか。

 「オスロ合意以降、イスラエルはその決定の何一つ守っていないのです」とジャミール・スレイマンが言った。

 ヨルダン渓谷の北部の丘に暮らす遊牧民、ハイール・ビシャーラートの家の近くから西側に、ヨルダン渓谷と他の境界に近いイスラエル軍の「ハムラ検問所」が一望できる。ヨルダン渓谷から西岸北部の大都市ナブルスへ向かうには、この検問所の厳しい検査を経なければならない。南西方向の丘陵にはユダヤ人入植地が、さらに東側の山腹にはイスラエル軍の基地が遠望できる。そんな周囲の光景から、ハイールの家がイスラエルの軍事的見地から、重要な位置にあることがわかる。

ハイール・ビジャーラート
ハイール・ビジャーラート

 「私はここに8戸の家を持っていて、息子たちが その家族と住んでいました。イスラエル軍が来てその8戸の家を破壊したのは2006年のことです。息子8人は52人の家族と共に追い出されてしまいました。

やがて私は8戸を建て直しました。しかしまた破壊されました。破壊の理由は「ここは『軍事閉鎖地域』で、人が住むことは禁止だから」とのことでした。隣の山に移り住むことも禁止です」

 ヨルダン渓谷北部のハディディーヤ地区で暮らす遊牧民、アベッド・ビシャラット(アブ・サケル)の家は前夜にイスラエル軍によって破壊されたばかりだった。破壊跡に大きな石が積み上げられている。

アブ・サケル(アベッド・ビジャラット)
アブ・サケル(アベッド・ビジャラット)

 「ただ破壊するだけでなくこのような岩を上に置いて再建できなくするのです。イスラエル軍がブルドーザーで運んで来ました。

家だけではありません。鳥や家畜の小屋、子どもが食べるパンを焼くための窯さえ壊すのです。ユダヤ人入植者は私を出て行かせるために羊に毒を盛りました。羊を放牧している場所に毒入りの草を置いたのです。私たちは何も知らずに放牧に行き羊が食べてしまいました」

 イスラエル軍はこの地域を「軍事閉鎖地域」にしている。しかしこのアブ・サケルの住処から500mほど先に、ユダヤ人入植地がある。

【土地接収】

 ヨルダン渓谷の東北部、ヨルダンとの国境沿いになだらかな丘陵が広がる。東側に見える山並みはヨルダンである。手前には国境の緩衝地帯を示すフェンスが連なり、そのフェンスに沿って、ヨルダン渓谷を南北に貫く国道90号が走っている。

 この周辺の土地一帯を所有する農民、サーレフ・スレイマンが言った。

 「フェンスの向こう側も私の土地ですが、所有者の私は入れません。フェンスと道路の間にある、300メートル先のあの井戸が見えますか?その500メートル先にも他の井戸があります。このフェンス沿いに、16基の井戸を所有していますが、国道の向こうには私は入れません『軍事閉鎖地域』だというのです」

サーレフ・スレイマンは国境沿いの土地を接収され、そこに入植者が耕作している
サーレフ・スレイマンは国境沿いの土地を接収され、そこに入植者が耕作している

 「イスラエル軍がある朝、突然やって来て『軍事閉鎖地域』に指定します。道路の左側、つまり国境と反対側にナツメヤシ畑を持っていますが、先日、イスラエル当局から伐採するという通告がありました。しかし私には、この通り、1967年に占領される前にヨルダン政府が発行した土地所有の証明書があります。イスラエルは誰が所有者かわかっていながら、『軍事閉鎖地域』という名目で接収しようとしています」

 サーレフは一枚の航空写真を取り出して見せた。

 「枠内が立入禁止です。その黄色の部分は耕作できません。ここ(道路のこちら側)に約1,500ドナム(150ヘクタール)、道路の向こう側に約4,500ドナム持っています。不動産の権利証もあります。それでも『軍事閉鎖地域』にしてしまうんです」

 「補償金は受け取りません。土地を返してもらわないと。(パレスチナの)国家になれば戻るかもしれないが、一生実現しないでしょう」

 「土地所有者の私は立入禁止のフェンスの向こう側、ヨルダンとの国境であるヨルダン川近くまでの土地でユダヤ人入植者が働いています。そこで彼らはナツメヤシやスイカ、大麦や小麦を育てています。『軍事閉鎖地域』は 私もイスラエル人も立入禁止のはずです。しかし入植者たちは『軍事閉鎖地域』に作物を植え、地主の私は何も作れません」

 サーレフは1970年からイスラエルの裁判所に訴えて続けているが、「軍事閉鎖地域」が解除されて、土地が戻る可能性は薄い。

【遊牧民の追放】

 遊牧民、アブ・サケルが住むヨルダン渓谷ハディディーヤ地区には、1967年の占領以前は、300家族、2000人以上が暮らしていた。人びとは夏の住処と冬の住処の間を自由に移動し、いつも水源の近くで暮らしていた。

 しかし占領後、イスラエルはこの一帯を「軍事閉鎖地域」に指定し、住民の立ち入りを禁止した。遊牧のためにその地域に入る人たちを軍事法廷に送り、罰金を払わせた。アブ・サケルによれば、それは当初、10ヨルダン・ディナール(14ドル)程度だったが、やがて100倍の1,000ディナールまで跳ね上がった。

土地から追放するためイスラエル当局は様々な手段を用いる
土地から追放するためイスラエル当局は様々な手段を用いる

 それでも住民を追い出すことができなかったイスラエル当局は、1972年以降、次の作戦に出た。

 「家畜の群れをヘリコプターやジープから撃つ作戦です。また私たちを追い出すために、

雨で子供たちが濡れないように、小屋にかけていたビニールさえ没収しました。

 イスラエルの裁判所は、子供たちの雨よけに作ったビニールのテントを16日間で32回 も破壊命令を出しました。朝に作ったものは午前の10時に壊され、夕方に再建すると夜9時には壊されました。

 ハディーディーヤに住むパレスチナ人は『違法』だとイスラエルの裁判所は判決が下しました。しかしそれは皮肉なことでした。祖父も父も自身もハディーディーエ出身で、土地を所有するパレスチナ人は『違法』なのに、500m先に入植者に住むロシアから18年ほど前にやって来た入植者は『合法』で、政府は彼らのために家、プール、道路さえ作るのです。

 さらに皮肉なことは、私たちのこの緑の身分証もイスラエル民政局が発行しており、パレスチナ人である私のここの住所が記されています。それにしても、なぜパレスチナ人が自分の土地に住む許可が必要なのでしょうか」

 アブ・サケルによれば、この地域でイスラエル軍の基地とユダヤ人入植地の占める土地は全体の10%ほどで、残りの30%は空き地の「軍事閉鎖地域」、そして60%は「自然保護区」とされている。

 「本来『自然保護区』は環境や生物、そして人間に優しい場所のはずです。しかしイスラエル当局は、毎年5月、新緑の季節になると軍と入植者が草木を燃やすのです」

 ヨルダン渓谷北西部、検問所の近くに住む遊牧民、イハール・ビシャーラートもイスラエルから土地を離れることを促された。

 「イスラエル当局はまず家畜、次に水タンクを接収し、ベドウィンが住む土地を接収しようとしています。これほど生活が大変なのに、なぜ他の場所に移らないのかって?イスラエル軍や関連当局が私のところにやって来て『200万ドル払うから、ここから出て行ってほしい』と言いました。私はこう答えました。『断固 拒否します。私はこのオリーブの木の下で永久に眠りたい』と。なぜならここはパレスチナの土地だからです。自分の土地を売る者は、“名誉”を売ることになります」

 パレスチナ人の水源と土地を接収するイスラエルの目的は何なのか。

 「家族がいて 学校に通っている子供たちがいるとしましょう。土地は収入源になります。その土地に水がなく、しかも接収される。それによって何が起こるか想像してください」とナツメヤシ農家のイブラヒム・デークが言った。

水源と土地の接収の理由を語るイブラヒム・デーク
水源と土地の接収の理由を語るイブラヒム・デーク

 「どんな生活になるでしょうか?子供を養い 教育し育てるために、男たちはユダヤ人入植地で働くしかなくなります。

 イスラエルはヨルダン渓谷の占領で二つのことを進めました。

 一つは、土地を接収し入植地に変えていくこと。そしてもう一つはそれから水源を奪うことです。

 目的は二つあります。一つは住民を追い出すこと。しかしパレスチナ人は、どんなに悪い状況でも出て行かない決意を固めています。イスラエルも“追放”は容易でないとわかっています。

 そこで二つ目の目的は、私たち農民を入植地の労働者にすることです。入植者たちは入植地労働の賃金を上げています。赤字の農業より、他の収入源を探すよう仕向けているのです」(続く)

 (注)写真はすべて筆者撮影

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

土井敏邦の最近の記事