Yahoo!ニュース

ルポ「ガザは今・2019年夏」・14「絶望する若者たち(下)」

土井敏邦ジャーナリスト
「多くの若者が結婚もできないでいる」と訴えるモハマド(2019年8月/筆者撮影)

――若者たちの群像――

 若者の失業率が60%を超えるといわれるガザ。大学を卒業しても仕事につけず、将来への展望も描けず、貧困と絶望に苦しむ若者たちはどういう思いを抱きながら日々を送っているのだろうか。ガザ北部ベイトラヒヤ町で数人の若者たちに集まってもらい、その思いを聞いた。

【モハマド・アブゼル(24)】

「ベイトラヒヤ町に住んでいます。ガザ市内のアズハル大学でジャーナリズムを学びました。63歳になる父は失業中で、(自治政府から)3ヵ月ごとに自治政府(ヨルダン川西岸)社会福祉省からの1200シェケル(3万6千円)の支給を受けています。足りない分は借金です」

大学の卒業証明書が発行されないモハマド(2019年8月/筆者撮影)
大学の卒業証明書が発行されないモハマド(2019年8月/筆者撮影)

 

「私は大学在学中に、大学へ行く交通費を稼ぐために、午前中に仕事をしていました。ベイトラヒヤ町の農場で朝5時から昼12時まで働きました。夏は暑いです。しかも仕事は毎日あるわけではありません。日当は20~25シェケル(600~750円)、交通費ぐらいにしかなりません。

 午後から大学に通っていました。しかし仕事がない時は、ベイトラヒヤ町からガザ市内への交通費が払えず、大学へ行けませんでした。

 授業料は大学に借金し続けて、700ドルほどになってしまいました。そのために大学を修了しても卒業証明書を発行してもらえませんでした」

「大学を卒業したら、メディア関係の仕事に就き、パレスチナで何が起こっているのか、その現状、人びとの苦しみや痛みを伝えたいと思っていました。自分に書いたり、話をしたりする才能はあるという自信はあります。

 いま、ソーシャルメディアで、ガザで起きていることを伝えるボランティアをしています。今ガザで起こっていることを世界に発信する助けになることは何でもするつもりです」

「もちろんチャンスがあれば、ガザを出て勉強を続けたいです。でもできません。今の経済状態では難しいんです。大学卒業証明書もないのに、どうやって海外で仕事を得られますか。ガザを出られるのは、経済的に余裕がある人や政治指導者たちといい関係のある人たちです。貧しい住民はガザを出るのは難しいんです」

【ムスタファ・エベイド(21)】

「父はかつてイスラエルで働いていたんですが、第二次インティファーダ以後、仕事がありません。兄は27歳ですが、失業中です。

 僕も働きながら、大学に通っています。大学でジャーナリズムを専攻したかったのですが、母が反対しました。ガザではいつも戦争があり、政治状況もよくないので、ジャーナリズムは危険だというのです。実際、戦争中にたくさんのジャーナリストが亡くなっています」

試験会場から追い出されたムスタファ(2019年8月/筆者撮影)
試験会場から追い出されたムスタファ(2019年8月/筆者撮影)

「私の夢は、大学を卒業したら、海外に出て、さらに勉強を続けることです。修士号や博士号を取ったら、ガザに戻ってきます」

「国境デモ『帰還のための大行進』に参加した若者の半分ほどが負傷し、痛みを忘れるために飲み始めた鎮痛剤の中毒になっています。『アトラマール』という薬の中毒です。

 友人の中には睡眠薬の中毒になった者もいます。ただ眠り続けるためです。

 そのドラッグは販売者たちが若者たちの間に配り、薬をただで提供するという条件で、周囲の若者たちに販売するように頼むんです」

〈一年後〉

「今年、大学を中退させられました。経済的な理由です。

 それは試験期間のことでした。試験を受けにいくと、大学側から『君は授業料を払っていないから、試験は受けられない』と言われ、教室から追い出されました。家には授業料を払う金がなかったんです。

 それで働こうとしました。しかしいい仕事はなく、路で荷物を運ぶポーターの仕事を始めました。でも事故で鉄の棒が手に刺さってしまい、手の神経を切断してしまいました。自由に動かすことができず、仕事ができなくなってしまったのです」

「ガザではチャンスがないので、ガザを出るしかありません。たぶん来年は私はここにはいないと思います。海外に出ているはずですから」

 

【ビラル・ハボブ(21)】

「僕も大学でジャーナリズムを勉強し、この夏に卒業しました。しかし2008年から10年間でのジャーナリズム学部の卒業生は1万5千人もいます。だから仕事を見つけるのがとても難しいんです。

 もしある政治組織に所属していれば、ジャーナリストとしての仕事を見つけることは比較的簡単ですが、考え方や社会観、世界観はその組織の考えに取り込まれます。

 中には仕事を求めて欧州に出る者もいますが、大半は失業中です」

「ガザの現状はイスラエルだけでなく、パレスチナ側にも責任がある」と語るビラル(2019年8月/筆者撮影)
「ガザの現状はイスラエルだけでなく、パレスチナ側にも責任がある」と語るビラル(2019年8月/筆者撮影)

「僕はジャーナリズム学部を卒業しても、それと関係のない仕事をしています。今はリサイクルの仕事、個人教師、そして父親の仕事である衣服店の手伝いもしています」

「今日のガザの状況には複数の政治組織に責任があると思います。

 人道や平和を主張する国際社会も、ここで起こっている不正義に責任があります。中でもイスラエルの支援国であるアメリカなど西欧社会の責任は重大です。ガザの現状の一番の責任は、イスラエルの“封鎖”なんですから。

 パレスチナ人自身にも責任があります。パレスチナ政府のひどい分裂を受け入れてしまっているんですから。この分裂状態を解消するために街頭に出て声をあげるべきです。

 しかし最も重い責任はパレスチナを支配している為政者たちにあります。ガザとヨルダン川西岸の為政者たち全てにです」

【モハフ・ヒジャージ(21)】

「僕は社交的で読書が好きで、様々な問題のセミナーやフォーラムによく参加します。だから大学でジャーナリズムと広報を専攻しています。でも将来、仕事としてその道にこだわっていません。工場やレストランで働くことも考えています。近々、ジャバリア難民キャンプのレストランでウェイターとしてアルバイトすることになっています」

 

「ガザを出ることも考えました。しかし実際に海外に出た友人たちと接触してみると、彼らが決して幸せではないことを聞きました。ガザを出る時に抱いていた自分たちの夢を何一つ達成していなんです。しかも用意した金を使い果たし、現地の言葉もわからない。私の友人で海外に出た者たち全員が、「海外に出る考えは捨てて、ガザに留まれ」と私にアドバイスします。

 出ていった友人たちの半分は、ギリシャの難民キャンプに留まっています。その中の何人かと連絡を取り合っていましたが、今はその連絡も途切れてしまいました」

ガザ脱出した友人から『ガザに留まれ』と忠告さらえたモハフ(2019年8月/筆者撮影)
ガザ脱出した友人から『ガザに留まれ』と忠告さらえたモハフ(2019年8月/筆者撮影)

「もちろん私も絶望感を抱きます。でもいろいろなことで時間を過ごすことで、その感情を忘れようとしています。例えば外出すること、友人と会うこと、ジムに行ってスポーツをすることなどです。とにかくこの暗い空気から抜け出すためにいろんなことをやるんです」

「もちろんガザに深い愛情を抱いています。もし私がガザの外に出たら、ガザが自分にとってどれほど重要だったか感じることでしょう。しかしここに住んでいる今、ガザに対するほんとうの気持ちを素直に表現できません。

 それでもなぜ、自分はそんなにひどいガザに留まりたいと思うのかというと、私は“疎外感”が私にとってもっと耐え難いと思うからです。ガザがこれほどひどい状況で、いろいろな腐敗があっても、家族と友人たちの間で暮らせるんです。もし海外では、家族もいない状態で、そこでの不正義や侮蔑に直面しなければならないんです」

【モハマド・ヒジャージ(33)】

「大学の修士課程を終えて以来、ずっと職探しをしています。ガザ政府の職員試験を4年間、またUNRWA(パレスチナ国連難民救済事業機関)の試験を3年間受験しました。2013年から2年間、失業手当をもらうことができました。でも職は得られませんでした。大学卒業生の数は多い一方で、仕事の機会が少ないからです。それはパレスチナ政府の分裂とガザのひどい状況のためです。

 最初に失業手当を数ヵ月もらった者は、再度もらうことはできません。

 ガザ政府は、莫大な数の大卒者を吸収できません。もちろんパレスチナの分裂が直接的な影響を及ぼしています」

「私たちの年代は20代の時に、2007年にガザ地区で起こった自治政府(PA)とハマスとの内戦、パレスチナの分裂、イスラエルによる封鎖の強化などの激動期を過ごしています。その状況は今も続いています。だから私たちの仲間たちは、自分たちの人生の計画や夢をかなえることはできませんでした。そのために生活のための最低限のものさえ手にすることが難しい状況になりました。

 多くの若者たちが結婚できないでいます。安定した仕事もなく、家もない。これがガザの若者たちの現実です。生活の最低限の必要さえ満たせないのです」

「多くの若者たちが、自分自身の妻や子どもたち、さらに両親や兄弟・姉妹に対する責任感のために、精神的な葛藤に苦しんでいます。彼らは家族の必要だけでなく、自身の必要さえ満たせないのですから」

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

土井敏邦の最近の記事