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ルポ「ガザは今・2019年夏」・10「電力危機で喘ぐガザ住民(上)」

土井敏邦ジャーナリスト
電気が断たれ人口呼吸器が止まれば、この子の命はない(2017年7月/筆者撮影)

――ガザ攻撃と内部対立がもたらした電力不足―

【日常生活に不可欠な“電気”】

 私たちの日常生活に電気がなかったら、どうなるだろう。

 2019年9月、台風15号による大規模な停電で、千葉県内で甚大な被害が出た。クーラーが使えず熱中症で老人が死亡した。停電で絞った牛乳が冷却できず、廃業した酪農家もいた。多くの住民が停電による物的、精神的な甚大な被害に苦しんだ。

 この台風による千葉県の大規模で長期にわたる停電によって、私たちの日常生活で電気がいかに不可欠なものになっているかを改めて認識させられることになった。

 千葉県の停電は1ヵ月ほどで一部を除き、ほぼ解消された。しかしガザ地区では、この電力危機が何年も日常的に続いている。

【人工透析器械を手動で回す】

 ガザで停電による被害がとりわけ顕著になったのは、2014年夏の「ガザ攻撃」の時期だった。イスラエル軍による空と陸からの激しい空爆と砲撃によって、2200人を超えるガザ住民が犠牲になり、約2万戸が破壊され、数十万人が避難民となった。

 50日近く続いたこの攻撃を生き延びた住民を苦しめたのが、停電だった。

 イスラエル軍の攻撃が続いていた8月半ば、私がガザ市最大のシェファ病院を訪ねたとき、深刻な事態に陥っていた。当時、1日3~4時間しかない電気を、病院は発電機で補っていた。

 それは病院の「人工透析室」を撮影していた時だった。病室の中では20人ほどの患者たちが透析治療を受けている最中に、突然、患者たちの人工透析の器械から警報音が鳴り出した。停電の警報だった。

「あと2分で器械が停止します」と看護師が言った。器械の掲示板には「(警告)内部電気の蓄電喪失」の英語の文字が出ている。

  

「急に電気が切れたら、どうなりますか?」と私は看護師に聞いた。

「このポンプが動かなくなり、チューブの中の血液の流れが止まります。血液が凝固し血栓症を起こす可能性があります」と看護師が答えた。

停電によって人工透析器が停止した(2014年8月/筆者撮影)
停電によって人工透析器が停止した(2014年8月/筆者撮影)

「この10分ほどの間に、もう4回くらい発生しています。これは器械にとっても問題です。電気が発電機の電気に切り替わる時に、電流が不安定になります。電子回路や電源ユニットがやられて故障の原因になります」 

 ちょうどそのとき、1台の透析器械が内蔵電池も切れ、停止した。

 看護師の一人が医師に向かって叫んだ。

「先生!器械が止まっていますよ。手動で回さないと!」

「手動で回すんですか?」と私が聞くと、その看護師が答えた。

「看護師たちが全員、透析の器械を手で回すためにやってきます」

【発電所の破壊】

 当時のエネルギー担当当局によれば、2014年の「ガザ攻撃」前はガザ全体で必要な電力が300~380メガワットだったが、実際に供給できたのは54%でしかなかった。最大の供給源はイスラエル側からの送電で58%、次がガザ内の発電所で29%、そしてエジプト側からの送電が13%だった。 

 2014年夏のガザ攻撃の最中、イスラエルはガザの火力発電所の燃料貯蔵タンクを爆破し、さらにイスラエル側からの送電線の大半を破壊した。そのため一時期、ガザ全域で完全な停電状態だったが、その後、送電線の一部が回復し、日に3~4時間の電力を回復した。

イスラエル軍に爆撃された発電所の燃料タンク(2014年8月/筆者撮影)
イスラエル軍に爆撃された発電所の燃料タンク(2014年8月/筆者撮影)

【停電で100年前の生活に】

 なぜイスラエル軍はガザの発電所を爆撃したのか。

「ガザ住民を困難な状況にし、住民を水や電気を求めるのに精一杯にし、非人間的な状況に押し留めておくためだと思います」と語ったのは、ガザ発電所の責任者ラフィック・アブマリハ所長だった。

住民を100年前の生活に押し戻すためにイスラエル軍は爆撃した」と語るアブマリハ所長(2014年8月/筆者撮影)
住民を100年前の生活に押し戻すためにイスラエル軍は爆撃した」と語るアブマリハ所長(2014年8月/筆者撮影)

「電気がなければ他の生活の基本的なものが手に入らなくなります。まず水が汲み上げられなくなります。食料の保存もできない。生活の基本的な必要物資が手に入れることが難しくなります。ガザ住民は100年前の生活に戻らなければなりません。

 このガザ攻撃の被害は殺戮や負傷だけではなく、この電力危機が人びとの生活を月単位、年単位で苦しめ続けることになります」

【ガザ内部の対立による電力不足】

 ガザの電力危機がさらに深刻化したのは、2017年夏だった。今回はイスラエルによる直接の破壊や妨害によるものではなく、パレスチナ内部の問題が主要な原因だった。

 2017年4月、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府(PA)は、ハマス政府に政治的な圧力を加えるため、イスラエルにガザへの電力供給を減少するように要請し、これまでPAがイスラエルに支払ってきた電気料金の額を縮小した。

 そのためイスラエルは6月からこれまでガザに供給してきた電力の約42%をカットした。しかもガザ内の発電所もイスラエルやエジプトからの燃料補給が急減したため、ガザ全体で必要な電力の十数%しか供給できなかった。これによってガザ地区では1日2~4時間しか電気がない状況に陥ってしまったのである。

【停電に直撃される病院】

 2017年7月、ガザ市のある小児病院の集中治療室(ICU)に入ると、赤ん坊のように小さい1歳半の男の子がベッドに横たわり、いくつものチュウブにつながれていた。のど元につながれた人工呼吸器の太いチュウブは、自力で呼吸ができないこの子にとって“命綱”だ。もし電気が止まったら、人工呼吸器は止まり、この子の命も途絶える。

「この子は脳の機能がマヒし、この人工呼吸器でなんとか生存しています」と担当の医者が説明した。「この人工吸引器は電気がなければ動きません。その電気が止まれば、手動でこの子の呼吸を支えなければなりません」

重症の患者たちは停電で命の危機にさらされる(2017年7月/筆者撮影)
重症の患者たちは停電で命の危機にさらされる(2017年7月/筆者撮影)

 実際、突然の停電時に発電機への切り替えに手間取って人工呼吸器が機能せず、一時、この子は危篤状態に陥った。医者と看護師たちがICU室に駆け付け、酸素吸入などの緊急処置でやっとこの子の命はつながった。

「生き延びられるだろうか?」と問う私に、付き切りで看護する女性の看護師が言った。

「そのために私たちは全力で看護しているんですよ。この子だって人間なんです」

 病院長のモハマド・セルミアは「ガザ地区の封鎖が強化された2007年以来、現在の状況はこの10年間で最も深刻な事態です」と言う。

「電気は集中治療室や人工透析室、内視鏡検査室などには欠かせません。電気が使えるのは日に4時間ほどしかないので、現在、20時間ほどは発電機に頼っています」

 その時は、燃料のディーゼルはWHOなどから補給されていたが、イスラエルの封鎖によって燃料のディーゼル油の供給が途絶えたり、発電機が故障したら、さまざまな医療器具は使えなくなり、多くの重症患者たちが命を失うことになりかねない状況だった。

【高層アパート住民の“地獄”】

 30度を超える猛暑の中、1日2~4時間しか電気のない生活。発電機や充電器も買えない貧しい庶民や高層アパートの住民にとっては地獄のような日々だ。

 市内中心部にある12階建てのアパートの5階で暮らす老夫婦を訪ねた。 

 まずエレベーターが使えないため、外出する時は5階まで階段を昇り降りしなければならない。老人の脚には過酷だ。

 停電中の昼間、部屋の中に入ると、暑さと湿気で汗が噴き出してきた。しかしエアコンはおろか扇風機も使えない。

 台所の水道蛇口を開けても水は出てこない。

ポンプで水を屋上に上げられず断水した高層アパートの住民宅(2017年7月/筆者撮影)
ポンプで水を屋上に上げられず断水した高層アパートの住民宅(2017年7月/筆者撮影)

 1日2~4時間の電気ではポンプで屋上の水タンクまで汲み上げる水量が限られ、50世帯が暮らすこのアパートの全家族には行き渡らないのだ。そのために住民は水不足に悩むことになる。

 台所の水が出ないこともしばしばで、食器を洗うこともできない。トイレを流すのも電気が戻るのを待たなければならない。シャワーは家族順番を決めて数日に一度が精一杯だ。

【下水放流で遊泳禁止になった海】

 電力不足でほとんど機能不全に陥っているのが下水処理である。

 ガザ市に隣接するビーチ難民キャンプは地中海に面している。その海岸の一角から、錆で褐色に変色した太い鉄のパイプが海水に突き出て、そこから勢いよく下水が放流されている。あたりに下水の強烈な悪臭が漂い、長くそこに留まっていられない。本来、ブルーであるはずの海面も100メトールほど先まで黄土色に変色している。下水による海の汚染状況は一目瞭然だ。

電力不足で処理されず海に放流される下水(2017年7月/筆者撮影)
電力不足で処理されず海に放流される下水(2017年7月/筆者撮影)

 その下水放流パイプの近くに住む男性は、かつて海辺にカフェを経営していた。しかしこの下水の悪臭のために客が店に寄り付かなくなり、閉店した。

 処理されない下水の海への放流はここだけではなく、数十キロにおよぶガザ地区全体に広がっている。そのために、ガザ政府当局は、海岸の50%以上を「遊泳禁止」に指定した。しかし住民はそれでも海辺で暑さを凌ぐために集まってきて、泳ぐ者も後を断たない。

遊泳禁止を告げる看板(2017年7月/筆者撮影)
遊泳禁止を告げる看板(2017年7月/筆者撮影)

 ガザ海岸を管理する担当部門の責任者モンゼール・ショブラックはこう語る。

「電気の問題が出てきた2、3カ月前から、私や街の市長たちも『海で泳いではいけない』と呼び掛けているのですが、どうしても住民は海辺に群がり海に入ってしまうんです。貧しい住民たちは、他にレクリエーションの手段がないんですから」

 電力危機で家に電気もないため暑さを凌ぐ手段もなく、テレビやパソコンなど娯楽手段も奪われた貧しい住民は、海辺で涼み、海水で暑さを凌ぐしか楽しみがないのである。

下水で汚染された海で泳ぐ住民(2017年7月/筆者撮影)
下水で汚染された海で泳ぐ住民(2017年7月/筆者撮影)

【イスラエルの海を汚染させないための電気供給】

 大半の下水処理場が、電力不足のために処理できず、そのまま海に下水を放流するなか、イスラエルとの国境に近いガザ地区北部ベイトラヒヤ地区の下水処理場には例外的に16時間送電され、下水処理ができるようになっている。

「イスラエル側から下水を海へ放流することを禁止されているんです」と所長のラジーブ・アルアンガハがその理由を語った。つまり国境に近いベイトラヒヤ地区で海が下水で汚染されると、それがイスラエル南部にまで広がり、イスラエルの海が汚染され海岸が「遊泳禁止」になることをイスラエル当局は恐れ、この処理場に特別に電力を供給しているというのである。

「イスラエルに近いこの下水処理場では16時間も電気がある」と語るアルアンガハ所長(2017年7月/筆者撮影)
「イスラエルに近いこの下水処理場では16時間も電気がある」と語るアルアンガハ所長(2017年7月/筆者撮影)
ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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