阪神タイガース・矢野燿大監督をもっともよく知る男、清水雅治ヘッドコーチにとって“喜ばせたい人”とは
■矢野燿大監督の懐刀・清水雅治ヘッドコーチ
「お゛ーぃっ!」「わ゛ーっ!」
試合前練習中、フリー打撃でケージから外野に打球が飛ぶと、ひときわ大きな声がグラウンドに響きわたる。
巷で開催される「大声コンテスト」なら間違いなく優勝だろうというくらい、とにかくデカい声だ。
その声の主は阪神タイガースの清水雅治1軍ヘッドコーチ。
「当たってケガしてほしくないからね。無防備で当たるより、声をかけることで違うから。選手に対してケガしてほしくない気持ちから、つい声が大きくなる」。
そう言って優しく微笑んだ。選手への溢れる愛を感じさせる。
矢野燿大監督就任にともなって、矢野監督から直々に要請を受けた。
「いずれまた一緒のユニフォームを着たいな」―。かつて同じ釜の飯を食った先輩後輩は、お互いにそう思っていた。
「でもヘッドって聞いて、最初は『無理!』って即答したんだよ(笑)。なぜかって、ピッチャーのことはまったくわからないから、総合的に見られるかなっていう不安があって。でも、『そこは僕がやりますんで』って。そうやって折れてくれているのに、自分の言い分だけ言うのも…と思って引き受けることにした」。
これまで4球団(西武―日本ハム―ロッテ―楽天)で守備・走塁コーチを務めてきた。しかし「ヘッドというのは全然違う」という。
ヘッドとして気をつけているのは「それぞれの担当コーチに任せているので、僕が先に言ってしまうとそれに合わせて教えようとしてしまうので、僕が先走ることのないようにしている」と、それぞれのコーチの指導を尊重することだ。
「我々コーチも日々勉強だし、一緒に伸びていかないとと思っている。今はエラーとか結果に結びついていないこともあるけど、各担当がいろんなことをやってくれているから、僕からはあまり言わないようにしている」。
前に出ないようにしつつ、その目は常に全体を見渡している。練習中も一ヶ所に留まらず、あちこち動く。
「同じ場所から見るだけじゃね。違う角度からも見ておきたいから」と、打撃、走塁、守備に広い視野で目を光らせている。そしてその間、次々と選手に声をかける。
清水ヘッドの持論は「ヘッドが目立ったらダメ。選手や監督がのびのび、イキイキとやってくれていたら僕の価値がある」だ。
「僕は何もしていないから。12球団で一番、仕事してないから(笑)」と何度も強調する。もちろんそんなわけはなく、チームにとってもっとも頼りになる存在だ。矢野監督にも思い立ったことは進言する。
■矢野ガッツのルーツ
今年のタイガースはタイムリーなどが出るとガッツポーズで盛り上がる。打った選手もベンチにいる選手も、そして矢野監督はじめ首脳陣も、だ。リードされている状況でも明るく盛り上がるから、見ているほうも逆転するだろうという期待感が湧く。
今や「矢野ガッツ」という名称で、グッズ発売にまで発展している。
そもそもは清水ヘッドのアイディアからだ。今年3月、清水ヘッドは「侍ジャパンシリーズ2019」のメキシコ戦で内野守備・走塁コーチを務めた。その際、相手のメキシコ選手たちに目を奪われたという。
「すごく一生懸命にやっててね。オリックスにいたメネセス(ジョーイ・メネセス)が4番で、打ったらベンチで大騒ぎだった。一体感あるなという感じで、こういうのって野球に必要だなと思った。自分もそう。ヒット打ってベンチで喜んでくれたら嬉しいもん。そういうのが輪になって力になるから」。
この提案がすっかり定着し、今やタイガースの象徴のようになっている。そして喜びだけでなく、悔しさも出せと清水ヘッドは言う。
「喜怒哀楽を出してくれていい。僕も出す。それでチームが同じ方向を向ければいい」。
こういう雰囲気は、選手も非常にやりやすいようだ。
「選手に萎縮させたくない」と、清水ヘッドは言う。「昔の人からしたら『甘い』と言われるけど、昔と今とは選手自体が変わってきている。上下関係なく育ってきてるんで、僕らが歩み寄らないと」。
成長途上の若い選手が多いチームだ。いいときばかりではない。ミス、失敗もある。
「叱るというより、次に失敗しない、同じ失敗をしない方向にもっていくようにと考えている。連敗しているときも空気は悪くないんだけど、『なんとかしよう』という気持ちが焦りになる。焦らず準備させるよう楽な状態にもっていきたいと思っている」。
そしてこうも続ける。
「僕らができるのはサポート。やるのは選手。そこは勘違いしないようにと思っている。選手と一緒にヘコみすぎないようにと、それは意識している」。
■「言葉は波動」
清水ヘッドは矢野監督と同じく、本をよく読むという。「昔は休みはパチンコだったのが、全然行かなくなった。部屋で読書したりね。『アドラー心理学』とか、『言葉の伝え方』とか、いろいろ買い込んでいる」。もちろん、遠征の移動中にも本を手に取る。
「監督がすごくアンテナを張られているので勉強になる。監督直々に『こうしてください』というのはないけど、『こういうのもありますよ』とアイディアをくれる」。そういう情報交換も活発に行われている。
矢野監督からの話で心に残っているのが「言葉は波動」だという。
「たとえば同じ3つの容器に水を入れて、それぞれに『うまそう』『まずそう』と声をかけて、1つは無視をする。すると腐り方が違う。長くもたせるためには波動。声をかける、いい言葉をかけることが大事だということ」。
そこで清水ヘッドがたいせつにしている言葉があるという。「『ありがとう』が一番いいね。それは意識してかけるようにしている。特にバッティングピッチャーには必ず言うようにしている。こういう些細なことからやっていこうと。言われて『なに?』って嫌な気持ちになる人はいないから」。
もちろん声かけは選手にもあてはまる。練習中もどの選手にもまんべんなく声をかけている。しかもいつも笑いがともなっている。
「栗山さん(北海道日本ハムファイターズ・栗山英樹監督)からも同じように言われたよ。『伝え方が大事。感情論より言葉だよ』って」。
さまざまなタイプの選手がいる。「とくに素直な選手が伸びる。だから、いかに素直にさせるかなんだなぁ」。心を開かせ、しっかり言葉をかける。
18年の指導者歴を誇るが、その中で自身も変わってきたという。
「僕も西武のころは厳しかったと思う。日ハムに行って変わってきた。ましてやここにきて…。僕もけっこう喜怒哀楽が激しいタイプだけど、感情論で話してもしかたない。試合中は意外と顔に感情が出てると思うけどね(笑)」。
しかし試合後はいつも穏やかだ。どんなにボロボロに負けた試合でも、必ず足を止めて報道陣の質問に答える。感情や言葉を荒げることはいっさいなく、質問が途切れるまで真摯に対応する。
■いつも一緒にいた
若いころはいつも一緒にいた。清水ヘッドが中日ドラゴンズに入団したのが1989年。遅れること2年、1991年に“矢野輝弘選手“が入団した。
「ずっと一緒だった。お互いに呑まないし、遊びに行ったりもなくて、食事にはよく出かけた。マンションも同じで、僕が1階、監督が2階で、ウチによく来られてごはん食べて…。キャンプも当時は2人部屋だったんだけど、それも一緒。年間通じて女房より一緒にいる時間が長いなって、そういう話をよくした(笑)」。
1997年オフ、別れが訪れた。矢野監督がタイガースにトレードになったのだ。
「そのころの阪神は弱かったからね。近くに来たときはメシ食いながら『強くしたい』と言っていた。でも正捕手として活躍して優勝して、僕にしたら羨ましいという気持ちもあった」。ポロリと本音を覗かせた。
やがてお互いに引退し、清水ヘッドは2003年から(2002年はコーチ補佐兼選手)、矢野監督は2016年から指導者の道を歩んだ。
「目指しているところは1軍の監督だと思っていたから、2軍の監督をされてからというのがベストだと思っていた。下でバッテリー、野手、すべて見て、自分のやりたいことを形にして、2~3年やって上の監督にというのがベストだと思っていたら、1年で…」。
急転直下の展開になった。まさか自身の運命もこうなるとは…!
先輩後輩から、ヘッドコーチと監督になったが、変な意地やプライドはまったく持たず、懐刀として仕えている。
「監督のほうが(年齢は)4つ下だけど、教わることがたくさんある」と学ぶ姿勢をもって接している。「31年目、ここへきてさらに勉強だから」と、あくまでも謙虚だ。
そして「監督がおっしゃった」「監督が○○される」などと、矢野監督について話すときは必ず敬語である。年齢は関係なく、お互いにリスペクトし合っているのが伝わってくる。
■清水ヘッドが喜ばせたいのは・・・
7月7日は清水ヘッドの55歳の誕生日だった。誰よりも早く「お誕生日おめでとうございます」と声をかけたつもりが「ありがとう。2番目に言われたよ」とニッコリ笑顔を返された。
では、いの一番にお祝いの言葉を贈ってくれたのは、もしかして…
「監督です!」。やはりそうだろうな。
矢野野球には3つのテーマがある。「超積極的」「あきらめない」そして「誰かを喜ばせる」だ。
最後に清水ヘッドに訊いてみた。誰を喜ばせたいか、と。
答えはもちろん「監督」だという。「ウチの監督の笑顔って、最高でしょ。勝ったときのあの笑顔」と目尻を下げる。
「喜ばせたいのは監督。監督が喜べばファンも喜んでくれる。喜ばせたいね、招ばれた以上はね」。
監督とヘッドコーチ―。ほかの人にはわかり得ない特別な絆で結ばれたふたり。ふたりの喜ぶ顔を何度でも見たいと願う。
(撮影はすべて筆者)