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星野源が安倍首相の動画投稿に反応したコメントで「言わなかったこと」とは?

星野源のインスタグラム・アカウントより

新しい動きを反映して、昨日の記事に追記する

 昨日投稿した記事「星野源は安倍首相に「政治利用」されたのか? 音楽と政治を「分離」したがる日本人の病理とは」が、少なくない反響を呼んだ。とはいえ文中に記したとおり、あの原稿は昨日(12日)の夕刻に書いて発表したものだった。しかし同日の深夜に星野源サイドで動きがあった。ゆえに、その発表内容を踏まえ、ここに追記をおこないたい。

 ネット上などにその後に流通した「星野のコメントへの反応」についても、ここでいくつか紹介する。前回記事を未読のかたは、上記リンクからご参照いただければ幸いだ。

 では整理してみよう。昨夜から本日にかけて、星野源サイドと安倍首相サイド、双方に動きがあった。星野サイドは前述のとおり。首相サイドというか政府側は、菅義偉官房長官が13日午前の記者会見で、件の動画は「いいね、35万超」を集めたと、その反響の大きさを誇示したことが報道された。

 とはいえ、じつは僕は、星野源の昨夜のコメント内容には、とくになにも感じ入ることはなかった。事前にほとんど予想できた内容のうち、ごく一部を「当たり障りなく」希釈しただけのように思うほかなかったからだ。ある種、政治家なんかがよくやる「本質をずらした答え」をなぞってみたかのような。ともあれ以下、彼のそのコメントを引きながら寸評を加えてみたい。

星野源のコメントを批評する

 昨夜(12日深夜)、星野源が自身のインスタグラム・アカウントのストーリーズにひとつの投稿をした。安倍首相による動画投稿以降の騒ぎを受けての、初のコメントがそこにあった。こちらがそれだ。

星野源のインスタグラムより
星野源のインスタグラムより

 ご覧のとおり、残念ながらこのコメントは、多くの人々が抱いた疑念に正確に、的確に答えてくれるような種類のものではなかった。前回の記事に書いたとおり、僕は終始、人気アーティストとしての彼の社会的責任を問うていたのだが、そうした観点から鑑みてみると、100点満点で20点ぐらいだったろうか。

 星野のコメントはこうだった。

「ひとつだけ。安倍晋三さんが上げられた“うちで踊ろう”の動画ですが、これまで様々な動画をアップして下さっている沢山の皆さんと同じ様に、僕自身にも所属事務所にも事前連絡や確認は、事後も含めて一切ありません」

なぜ邪推を招く、隙間だらけのコメントになったのか?

 さて、批評を始めよう。まず最初に指摘しなければならないのは、ここだ。コメント内で星野は(主語は曖昧にぼやかされているのだが、おそらく)安倍首相サイドから「事前の連絡・確認も事後の連絡・確認もなかった」としているだけだ。つまりここは「(首相側から、直接的な)連絡はなかった」と述べているに過ぎない。

 だから逆に、意地の悪い見方をすると、星野が「事前になにも知らなかった」とは書いていない、ことになる。「安倍首相が動画を投稿することを『事前に知らなかった』」とは、彼は一切書いていない。たまたまか、わざとか、書いてはいない。

 それゆえ、たとえば以下のような可能性は、完全には排除できないことになる。

 たとえば「以前、星野源やスタッフと安倍首相とその側近らが一同に会した機会に『どちらからともなく』首相が投稿したら面白いね、という話になっていた」とか。あるいは「第三者の仲介者が星野源と安倍首相の双方に『こんな企画になったら面白いよね』として、話を持ち掛けていた(しかし、実行される時期については、星野サイドは聞かされていなかった)」とか――。

とてつもなく大事な「この一言」が、なぜなかったのか?

 このどちらの例も「実際にそんなことがあった」可能性はほとんどない、と僕は考える。だがしかし「絶対になかった」とは、言い切れない。星野が肝心の一言を発していないからだ。とても簡単な一言だ。

「首相があの動画投稿をすることは、自分は事前に一切知らなかった」

 たったそれだけのことを、彼はここで明確に言うべきだった。事実の経緯が、そのとおりならば。とてもシンプルに、それだけをまず。

湧き出した疑念の数々や「そもそも」論

 加えて、このような論旨で文を編んでしまったがゆえに「さらなる疑惑」が生まれてきた、という声すらある。文章上のレトリックで「隠そうとしている」だけで、本当に「あったこと」は、こうなんじゃないか?という、うがった見方だ。たとえば、こんなふうな経緯だったんじゃないか、とか。

 星野は「安倍首相が動画を投稿することを『事前に知らなかった』」とは、一切書いていないわけだから、つまり「(なんらかの回路で)事前に知っていた」可能性がある――まあ、ごく普通に常識的に考えれば、一国の首相が「まったくの無断で」コラボ遊びに興じたと考えることのほうに、無理がある――という意見だ。

 たとえば今回の騒動にかんして、立憲民主党の蓮舫参院議員は「極めて政治性の高い投稿なのに星野さんの事務所、ご本人には事前連絡がないという不見識に言葉を失いました」述べている。これが「常識的な」反応というものだろう。

 要するにあのコメントは、そこかしこで勘所がぼやかされているために「いろんなふうに読まれてしまう」悪文だった、と評するほかない。多様な解釈や「行間にあること」について、あらぬ深読みをされてもしょうがないようなもの、だったと言えよう。

 さらに「そもそも論」として、こんな意見まであった。「なぜ星野源は、こんなコメントを発表する『必要』があったのか?」というものだ。たしかに、そこが一番不思議と言えば、不思議だ。そもそもの企画、彼の「うちで踊ろう」動画は、本人の意志のもと、フリー素材として提供されたものだ。「フリー素材だから、誰がどのように使っても自由」ということで、安倍首相が参加したくなるほど(?)多くの人々によって共有され、「コラボ」されて、ネット上に広がっていたものだ。

 では「であるのに、なぜ」星野はわざわざ、前述のコメントを出さねばならなかったのか? その理由が「まったくわからない」という声だ。「誰がどのように使っても自由」なのだから、相手が総理大臣であろうが、「事前や事後の連絡や確認の有無」について、いまさら言及する必要はないはず。沈黙を貫けばいいだけの話。なのに「勝手に使っていいと言いながら、悪評が出てきたら、大急ぎで言い訳をする」というのはおかしいのではないか? そんなに安倍首相が嫌いなのか?――という意見だ。

 たしかに「そもそも論」的には、そのように言われてしまってもしょうがない。なぜならば、このようにして「フリー素材」として公表してしまった以上「誰に使われても」それを止めることは難しいのだから。ゆえに「相手が総理大臣だったら」突然に言い訳をしてしまう、というのは、「そもそも」この企画に挑む際に、かくあるべき態勢を整えていなかったのではないか――平たく言うと「腹を据えていなかった」のではないか、という厳しい意見も、あった。

最大の問題点、「言わねばならなかったのに、言わなかったこと」は、これだ

 もっとも僕は「書かれたこと」のみから評して、前述したとおり「事前に知らなかった」ということを明確にしなかった点を「失敗だ」と指摘するのみだ。それ以上の深読みは、僕以外の人にお任せしたい。コメントにおける、二番目に重大な問題点はそこにあったわけだから。

 では一番目の問題点、最大の問題点は、というと、僕の考えでは、これだ。

 この件に関心を持った(あるいは、動揺した)多くの人々が最も聞きたかった点について、星野源が「完全に黙殺した」という点だ。まさか、彼の耳や目に入らなかった、とは考えられない。それは不可能だ。

 最も聞きたかった点、言うまでもなくそれは――

「安倍首相のこの動画投稿を、星野源は『嬉しく思う』のか? 違うのか?」

 というポイントだ。

 星野のつね日ごろの政治信条はさて置いても(そこは秘したとしても)現下の状況がこうなのだから、安倍首相が指揮する新型コロナ対策を星野が「支持しているのか、どうか」この一点については、絶対的に明らかにする必要があった。「アーティストとしての義務」は、まさにそこに集中的にあった、と僕は考えるのだが――彼はそのチャンスを逃してしまった。なぜなのか、その理由は僕にはまったくわからない。

 前回の記事の感想を、星野源ファンと思しき幾人かの人から、僕は聞く機会があった。少なくともその範囲内では、「安倍首相によるコラボ」を心よく受け取った人はいない様子だった。それどころか、心中穏やかならざる人ばかり、のようにすら感じられた。おそらく星野源のファンのなかには、安倍首相の今回の「コラボ」を歓迎する気にはなれない「少なからぬ数の人々」がいた、ということは言えるのではないか。

 ゆえに本来であれば、星野は、こうしたファンに対して、「当然の義務」を果たす責任があった。必要最低限の釈明をするべきだった。しかし彼のコメントは、肝心要のところでそのニーズを満たせるものではなかった、と僕は判じるほかなかった。

アーティストには、こうした件をファンにきちんと説明する義務がある

 さらに「たられば」で言うならば、安倍首相のこの行動を逆手に取って、星野は大胆な行動を起こすことだってできたはずだ。たとえば、首相と直談判するとか(時節柄、Zoom談判か)。いくらフリー素材の企画であろうが、一国の首相、為政者に「無断で」動画を使われたのだから。その意味は、とてつもなく大きい。この事実を、「一般人や芸能関係者がコラボ企画で遊んだ場合」と同じようにあつかう人など、世界中どこの国を探してもいないはずだ。実際、ロイターもこうして全世界に配信している。

ロイターより
ロイターより

 つまり、これほどのことを為政者がやったのだから、その代償として星野のほうから首相に、なにか要求することだって「できた」かもしれないと僕は考えるのだ。これは、それほどおかしな見方ではないはずだ。

 たとえば無数のライヴハウス、小劇場、あるいはレコード店など、星野とも縁が深いはずの小規模事業者が、いま現在「生きるか死ぬか」の瀬戸際に追い込まれていること――おそらくこれは、星野もよく知っていることだろう。

 だから僕は夢想するのだ。「もし星野源が」あの動画をとっかかりに、安倍首相に直談判をして、これらの人々への的確な救済措置を「やってくれ」と頼んだなら。そして首相が「わかりました」と応える、というパフォーマンスがもしあったなら……いまのこの悲惨きわまりない状況は、多少は改善できたかもしれない、と。

 もしそんなことがあったなら、星野源はヒーローになれたのに、と思う。返す返す、この点を僕は最も残念に思う。

作家。小説執筆および米英のポップ/ロック音楽に連動する文化やライフスタイルを研究。近著に長篇小説『素浪人刑事 東京のふたつの城』、音楽書『教養としてのパンク・ロック』など。88年、ロック雑誌〈ロッキング・オン〉にてデビュー。93年、インディー・マガジン〈米国音楽〉を創刊。レコード・プロデュース作品も多数。2010年より、ビームスが発行する文芸誌〈インザシティ〉に参加。そのほかの著書に長篇小説『東京フールズゴールド』、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』、教養シリーズ『ロック名盤ベスト100』『名曲ベスト100』、『日本のロック名盤ベスト100』など。

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