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外食のレジェンド「中島武」が示してきた独壇場の繁盛法則とは

千葉哲幸フードサービスジャーナリスト
いまもキッチンで料理づくりの采配を振るう中島武氏(際コーポレーション提供)

外食分野で大きな功績を果たした人物を表彰する、外食記者会の「外食アワード2023」表彰式が1月17日に開催。「外食アワード20周年特別賞」として際コーポレーション代表の中島武氏(76歳)が表彰された。

この「20周年」とは、外食記者会が「外食アワード」を行うようになって20年が経ったということだ。この表彰のイメージとして「長期間にわたって外食の世界に貢献した」という趣旨が伝わってくる。

では中島氏とは、外食の世界にどのようなものをもたらしたのか、外食記者歴40年の筆者が解説しよう。

外食の流れを変えた「紅虎餃子房」

中島氏が外食の世界に現れたのは1996年のこと。中島氏がつくった「紅虎餃子房」(東京・八王子)の繁盛ぶりが注目されたことがきっかけだった。同店は中国料理店で手頃な価格ではあるが、昔の中国の路地裏にありそうな土着的な感じ。このように、日本の大衆中華とは全く異なる世界観を見せつけてくれた。この八王子の店は、元ラーメン店の物件で、12席で月商1500万円をクリアするようになった。

こんなことで「紅虎餃子房」の出店オファーは相次いでいく。看板商品の「黒ごま担々麺」「鉄鍋棒餃子」を取り入れる店が続出。すかいらーくグループのガストでも「鉄鍋棒餃子」をラインアップしていた。

1990年代後半から大ヒットを続けた「紅虎餃子房」は商業施設の常連となった(際コーポレーション提供)
1990年代後半から大ヒットを続けた「紅虎餃子房」は商業施設の常連となった(際コーポレーション提供)

同社は中国料理にとどまらず、海外の専門料理店や物販業や宿泊業も展開するようになった。2023年11月末には総店舗数330店舗、グループ年商は203億円(2022年10月期)となっている。

際コーポレーションが登場した1996年のあたりは、日本の外食が過渡期にあったと筆者は認識している。

1970年代に続々と誕生したファミリーレストラン、ファストフードは、80年代の大きく隆盛して、1996年あたりには「店舗飽和」の様相を呈した。日本フードサービス協会が調べていた日本の外食市場は1997年がピークで(29兆円)、それ以来現象傾向を見せた。

1996年当時の消費者の外食に対する意識は「ファミリーレストランもいいけど、何か、別の、はっとするような……」といった、刺激のある外食が求められていた。そこに際コーポレーションの世界観は「琴線に触れた」といっても過言ではないだろう。

筆者は1996年9月に横浜のスカイビル10階にオープンした同社プロデュースの店「紅雲餃子坊」を取材した。同店は32坪。店内の壁は真っ赤に塗られて、竹林の中で虎が躍動している絵が描かれていた。まるで美術大学の学園祭りである。慣例とか既視感といったものがまったくない、破天荒な飲食空間であった。客単価は昼1500円、夜2000円。ファミリーレストランより少しアッパー。これで月商3000万円を売り上げていた。11時オープンだが、オープンと同時に20人程度の行列ができて、それが23時閉店の近くまで続いているといった状態だった。

さまざまな飲食店が「紅虎餃子房」の大繁盛に倣った。画像は「鉄鍋棒餃子」(際コーポレーション提供)
さまざまな飲食店が「紅虎餃子房」の大繁盛に倣った。画像は「鉄鍋棒餃子」(際コーポレーション提供)

「バブル崩壊」によって金融の世界から転身

際コーポレーション代表の中島氏は、1948年1月福岡生まれ。拓殖大学商学部に学び、4年時には応援団長を務めて350人の団員を統率していた。卒業後は航空会社をはじめとして大手企業の第一線を歩んだ。35歳で独立して、不動産業、金融関連の事業を営んだ。

1990年、42歳で際コーポレーション株式会社を設立して、飲食業に参入。前述のような沿革となり、今日に至る。

中島氏が飲食業に参入したのは「バブル崩壊」がきっかけである。

それまで、不動産、株や金融の世界にいたが、バブルがはじけて厳しい状況におかれるようになった。そこで中島氏は「これまでの仕事にキッパリ見切りをつけることにした」という。

中島氏は余暇として、ゴルフやリゾートホテルを楽しむ習性はない。中国や香港に行くのが大好きで、路地裏の繁盛店で食事をすることを楽しみとしていた。「さて、次の仕事は」と考えたときに、香港の臨場感のあるレストランの世界観を日本でやってみようとひらめいたという。

中島氏は当時「日本の中国料理は『違う』と思っていた」という。本格的イタリア料理に対して、ナポリタンを出しているような違和感であった。

そこで福生(東京都福生市)で「韮菜饅頭(ニラマンジュウ)」を開業した。この店は2年ほど鳴かず飛ばずで、月に50万円売れたかどうか。「売れないと悔しいから、ちょこちょこといじくりまわして」(中島氏)売れるようになったという。

その後、東京・目黒区内に広東料理の専門店を出店。これが、中国料理の世界に進んでいくきっかけとなった。宴会料理としての中国料理ではなく、中国の人が日常食べるような料理を志向した、この目黒の店はいきなり月に2500万円を売り上げ、3000万円の店になった。

人と同じことをやっているから売れない

あるとき中島氏は、舞台美術を仕事にしている若い女性たちからこのようなことを言われた。「目黒の店のことを私たちとても気に入っていて、もう何回か来ているんですけど、とても高すぎます。だからもっと安くて、私たちが毎日行くことが出来るような店をつくってください」と。

中島氏は、目黒の広東料理の店を展開していこうと思っていたが、「若い人たちにとっては一皿1500円、2000円というのは高いんだろうな」と考え、そこで「紅虎餃子房」のアイデアが生まれた。これが日本の外食に新しい繁盛の道を示すことになったのは、前述の通りである。

「紅虎餃子房」の出店は、空いている物件だったらどこでもいいと考えていたという。

前述した1号店である12席の店は、保証金150万円、厨房を直して全部で300万円を投下して商売をはじめた。すぐに500万円を売ったが、放っておいたら300万円を割ってしまった。

このとき、中島氏は「だめだよ、こんなことじゃ。みんなもう一回、本気入れてやるぞ」と。ペンキを塗って内装を変えて、メニューでは「良くなかったことは何だろう」と考え抜いて。こんな味じゃない、もっとがつんとしたものでないと」

こんな感じで立て直しをしたところ、2~3カ月たって1500万円を売りました。家賃が12万円だから家賃比率は1%に満たない(飲食業界の標準的な家賃比率は10%)。

そして、日本中から出店のオファーがやってきた。年商30億円くらいまで無借金で経営し、儲かったお金で、どんどん店を出していった。空いているところにどんどん出店して、どの店もすぐに1000万円を売り上げた。

そのとき中島氏はこう思ったという。

「飲食業って、人と違うことをやればこんなに売れるのに。人と同じことばっかりやっているから、みんなが売れなくなっている」と。

イケイケのときこそ「次」に備える

飲食業で成功を目指す若者たちは数多く存在する。そして、自分が生み出した飲食店がヒットを飛ばして「好機到来」を手にしている人もいる。

このような飲食業の新しい世代に、中島氏はこのようなメッセージを贈る。

「飲食で利益を追求することは大事です。しかしながら『食』というものは金儲けとは別の世界にあります。食が好きで飲食をやるのと、金儲けが好きで飲食をやるのと、その辺のことをよく見極めて仕事をしないと。いま、あなたの商売が、世の中でたまたま受けていて、そんなことで儲かることだけを考えていたところで、いつまでも続くものじゃないのですよ。ブームは必ず飽きられます。儲かることばかり考えていると、店は荒れていきます」

コロナ禍の当時に大ヒットしたうなぎ専門店「にょろ助」は、コロナの閉塞感を打ち破った(筆者撮影)
コロナ禍の当時に大ヒットしたうなぎ専門店「にょろ助」は、コロナの閉塞感を打ち破った(筆者撮影)

「メディアは、その業態に勢いがある状態の時に『この業態は、近い将来大きな転機を迎えるだろう』ということは書きませんから。みんな『素晴らしい業態だ』とあおり立てます。またメディアは「次にはやりそうなところ」という視点で店を探している。そこで、あるメディがそれをあおると、ほかのメディアもそれに追随する。あおられっぱなしのところが、そのさなかに現状の業態を見直して、新しいことを創造するということであれば、新しい世界が切り拓かれるでしょうが、そんなことはなかなかできません」

「ブームに乗ってFCを始めて、その加盟店になったところは、その後大変なことになります。こんなことを飲食業は過去何度も経験していますから」

そこで中島氏は「ブームとなってイケイケで経済的余裕があるときに、次の商品開発をしっかりとやって、料理を固めて行きながら、より足腰の強いビジネスモデルに移行していくこと」と訴える。繁盛しているときの投資は、すべからず持続可能な体質をつくるために行うということだ。

「高級なもの」を扱う商売に学ぶ

 では中島氏自身は、どのような飲食店を展開したいと考えているのだろうか。

「いまコロナが終わって、業績はみな好調ではないでしょうか。そこで狙い目は、少し上質感があって、使い勝手がいい店。『企画』を感じさせない『ああ、良い感じ』というもの。安いものを売っていくと、人は疲弊していきます。一生懸命つくったとしても、1000万円売るのは大変なことですよ」

際コーポレーションの直近の動向として、天ぷら専門店の「天まる」(34坪52席)の業績が良いという(東京駅丸の内南口近く、丸ビル6階)。同店の動向が、中島氏が唱える  「これからの業態観」である。

「揚場は2人で、ホールが3人。普通のコースが松2万7500円(税込み、以下同)、竹1万8000円、梅1万1000円。おまかせの定食が松7480円、竹5280円、梅4180円、そして、天丼。これで客単価1万円。価値のあるものをつくって行く、ということ」

「30円値上げした」「50円値上げした」ということで世間からワーワー言われます。いつまでも安いビジネスモデルに固執をしないで、もっときちんとした利益が取れるレストランをつくっていきたいですね」

「天まる」の天丼「海老十尾」。立体的な盛り付けがSNSで紹介されることで「行ってみたい」という想いが沸き上がる(際コーポレーション提供)「
「天まる」の天丼「海老十尾」。立体的な盛り付けがSNSで紹介されることで「行ってみたい」という想いが沸き上がる(際コーポレーション提供)「

「世の中には『高級なもの』ってありますよね。『ふぐ』とか『かに』とか。これらを売っている店は儲かっています。こういうことが狙い処です」

「つまり、高級食材を使って原価50%かけて売るとしましょう。原価2500円だと、売値が5000円です。すると利益は2500円ですね。いままで通りに、2500円の売値で、原価30%をかけていると、利益は1750円です。だったらどっちがいいですか。前者のようなビジネスモデルをどんどんやるべきでしょう。原価30%の固定観念に縛られることを止めましょう。私は『こんな店があるよ』という存在感のある店をつくっていきたい。

外食に親しんいる人たちは経験値が著しく高くなっている。そして、収入も増えている。外食にレジャーを求めるのであれば、価値ある体験を楽しみたい。

1990年代の後半、多くの人から盛大に歓迎された「紅虎餃子房」の「何か、別の、はっとするような……」と感覚は、中島氏が率いる際コーポレーションの世界観に息づいている。

フードサービスジャーナリスト

柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』とライバル誌それぞれの編集長を歴任。外食記者歴三十数年。フードサービス業の取材・執筆、講演、書籍編集などを行う。

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