18歳以下一律給付金が物議

公明党が衆院選の公約に掲げた18歳以下の子どもを対象に、一律で現金10万円を給付するよう求めていることについて、ネットでは異論が多く出ている。国民民主党の玉木代表からも「公明案では子どものいない困窮世帯救われない」と反論が出ている他、大阪吉村知事も「所得関係なしに、18歳以下だから全員に配るというのは何を目的としているのか分からない」と疑問を呈する。

当然だろうと思う。

そもそも、コロナ対策の一環として実施するのであれば、経済的に困窮する人たちを支援するための給付金であるべきで、子どもの年齢18歳以下という区切りにその意味も妥当性も感じられない。

例えば、18歳以下の3人の子を持つ世帯年収1500万円の家族には30万円も支給されるが、たった1歳違うだけの19歳で単身暮らしの若者は、年収200万程度しかないのに関わらず1円も支給されない。

さらに、2017年就業構造基本調査に基づいて試算すれば、20代男女の年収中央値は245万円である。それは非正規も含めてのものだろうと思われるかもしれないが、正社員に限ってみても中央値は294万円。300万円にすら達しないのである。高卒で就職した10代の若者はもっと厳しい。

コロナ禍において大学生などは、飲食系のバイトもなくなり、経済的にもきつい状況に追い込まれていることだろう。児童養護施設からは、毎年約2000人が18歳で自立を求められ社会に放り出されてしまうという。頼る身内のいない彼らも生活が困窮しているのは明らかである。

写真:アフロ

若者だけではない。

20~40代で非正規で年収200万にも満たないのは268万人もいるが、そのうち未婚者は195万人で、72%を占める。同じ非正規でも、有配偶で支え合う家族がいる場合と、自分の稼ぎだけでなんとかしないといけない未婚の場合とでは深刻度が違う。低年収者は65歳以上の高齢者にも存在するが、年金などの支給がある分だけまだマシである。

有業者だけではない。

20~40代で学生含む無業者は全体で約800万人いるが、そのうち未婚者は380万人で、全体の約半数近い48%を占める。その中には病気などやむを得ない事情で無業を余儀なくされている人もいるだろう。

自分の見えない世界を透明化してはいけない

こうした事実は、普段あまり報道もされない。誰もが大企業の正社員で働き、結婚して子どもを産める環境にいるわけではないし、可視化されない経済的困窮者がたくさんいる。そして、政治が寄り添うべきは、声の大きい目立つ人たちの意見だけではなく、声を発せずじっと耐えている弱者の方ではないか。可視化されない人たちを透明な存在として無き者にしてはならない。

そもそも、1500万円の世帯であろうと、もらえるものはありがたくもらうというは当然。何も非難されることではない。しかし、無業者や200万円未満の年収しかない経済的困窮者とは同じ10万円でもそのありがたみは大きく違うことも間違いない。

2019年の国民生活基礎調査に基づいて、64歳以下の世帯主だけを抽出し、児童(17歳以下)のいる世帯と単身世帯の年収分布を比較してみよう。

子のいる世帯と単身世帯、どちらが貧しいかを争うために出したグラフではない。世の中の所得分布はこうなっているのだと事実として把握してほしい。

独身はフリーライダーなのか?

前回の10万円一律給付金の多くが貯蓄に回ってしまったということは話題になったが、むしろこうした支援というものは、貯蓄に回す余裕のない層から優先的に行うのが筋と考える。

2019年と2020年の預貯金純増の比較をすると、無職単身(多分、高齢者が多い)と34歳以下の単身男性以外すべての単身者が軒並み貯金が減っている。浪費して減ったわけではないことは、消費支出も減っていることから明らかである。

独身貴族という言葉もあったように、とかく世間は独身に厳しい。結婚もせず、子育てもせず、自分のために好き勝手に浪費しているのだから、経済的に困窮しても自業自得・自己責任だと言う人もいる。それどころか、社会のために役に立っていないフリーライダーと罵る心無い人間すらいる。

独身の多くは若者である。それでなくても少なくなっている将来を担う若者の苦しい現状を把握せず、大人が寄ってたかって追い詰める構造は健全ではない。

そもそも、独身者とてフリーライダーではない。税金も払っていれば、社会保障費の負担もしている。それどころか、むしろ高所得層以上の税・社会保障費負担率を課されている。これは、既婚者や子有り世帯であれば享受できる各種税金の控除もなく、当然児童手当などの付加収入もないのだからそうなる。これを私は実質ステルス独身税と呼んでいる。ちなみに、それで文句を言う独身者はほとんどいない。

独身であろうと結婚していようと、子がいようといなかろうと、何歳であろうと、お上の政治というものは、そういう個人の属性によって区別をつけるものであってはならないと思う。公明党の18歳以下という条件に納得いかないのはそこである。

もちろん、子どもを支援することには全く異論はない。子育て支援それ自体はやるべきだ。が、今回の支援がコロナによって打撃を受けた経済的困窮者の支援が目的だとするならば、手を差し伸べる相手とやり方を間違ってはいないだろうか、と正直思う。

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を与えよ」

誤解してもらいたくないのだが、だからといって、私は困窮者への給付金自体を否定しているわけでもないし、国民全員に配れと言いたいのでもない。むしろ逆で、実は全員一律給付金そのものに疑問がある(困窮者への手当ては別途考えるべき)。

そもそも給付金の話は、選挙の票集めのための方便に過ぎないと思っているし、与党ならば本来政権担当中にいうべきことを選挙前にしか言わないのも姑息だと感じる。所得制限をつけると給付が遅れるというが、それは前回の時も議論になっていたわけで、今更その話を出すのは、この1年以上何をやっていたのかと言いたくもなる。

一過性の給付金より、むしろ消費税の減税の方が、結果として経済的には国民にとってはプラスになるだろう。何より年齢でも所得でもいいが、もろもろ条件つけて、余計な経費がかかる給付金よりコストもかからないし、不公平感もない。これについては賛否もいろいろあるだろうし、ここで詳細を書くことは省くが、減税支持の最大のポイントはその方が国民が、消費が動くからである。

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を与えよ」とは老子の言葉である。

写真:PantherMedia/イメージマート

瞬間的な給付金を与えたところで、それでは何の解決にもならない。ここでいう「魚の釣り方」とはまさに消費税の減税である。20年以上の所得が増えない事実や長いデフレによって、さらにはコロナの自粛なども加わって、私たちは消費をすること(魚を釣る)を忘れてしまっている。

誰かの消費は誰かの給料になる。消費が活性化すれば、循環してそれは所得の増加になるし、所得の増加が起きれば、人々の気持ちも明るくなる。景気とは大勢の人々の気持ちの景色なのだから。そして、その気持ちはさらなる消費意欲を喚起するだろう。

「あいつは給付金もらってズルい」vs「子育てには金がかかるんだ。余計なこと言うな」という悪感情の属性対立構造を生むだけの不公平な給付金より、みんなが動いて、誰かの消費が巡り巡って誰かを救うことになるという本来の経済のカタチに立ち戻っていただきたいものである。それこそが本当の意味の「未来支援」なのではないか。