視点を変えればカタチは変わる

グーグルアースの航空写真でご自宅を検索したことはあるだろうか?よく見知っているはずの自宅の二階の屋根が「へえ、こうなっていたのか」なんて、そんな感想を抱いた人もいることだろう。空から自宅を見たことなんてないのだから、そう思うのも不思議はない。

庭や周りの道路なども同様。直線だと思っていた道路が思いの他曲がっていたということもあるだろう。しかし、いずれにしても自宅や周りの街の風景が変わったわけでない。単に視点が変わっただけである。

カマンベールというチーズがある。スーパーなどでは、丸い缶に入って売られたりしている。このカマンベールの缶を開けてお皿に出してみましょう。真上から見れば当然丸型である。しかし、真横から見れば、長方形に見える。食べるにあたって切って出されたとしたら、三角形にもなる。

視点が違えばカタチは変わる。しかし、だからといって元々の形が変化したわけではないことはいうまでもない。

写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

日本は「高齢者<独身者」の国である

日本は超高齢国家といわれている。これは周知の事実である。2019年における高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は28.4%で、これは圧倒的に世界1位である。2015年国勢調査における高齢者人口は約3350万人。日本は高齢者が多い国である。

だが、実は15歳以上の独身人口が4440万人もいることはあまり知られていない。いうなれば、日本は高齢者より独身者の方が多い国であり、超高齢国家以上に、むしろ「超ソロ国家」であるという新しい見方が可能となる。

国立社会保障・人口問題研究所による2018年推計値によれば、2040年には、15歳以上の独身者人口比率は約46%になる。20年後には、日本の人口のほぼ半分は独身者となる。もちろん、ここでいう独身者とは、未婚者だけではなく、離婚や配偶者と死別して独身に戻った人たちも含めての話である。

少し前まで、既婚者が未婚者によく言っていた台詞がある。

「結婚しないと孤独死するぞ」

こんなことを言えば、今では即ハラスメント扱いされるが、当時は善意の脅し文句として通用していた。しかし、これもファクトとしては正確ではない。結婚したところで孤独死はする。配偶者と同時に死ぬわけではないし、3組に1組は離婚している。結婚してもまた独身に戻る可能性は高い。そもそも、今現在孤独死しているのは大半が高齢者であるが、日本は彼らが現役世代の頃まで(1990年まで)は皆婚社会であった。ということは、今孤独死している高齢者たちはほぼ元既婚者であるともいえるのである。

最新の国勢調査からわかる「家族の消滅」

先ごろ6月下旬に2020年国勢調査の速報が発表された。私が着目したのは、「5年前の調査より、人口は約87万人も減っているのに、世帯数は約227万世帯も増えている」というファクトである。これは、核家族からのさらなる世帯分裂であり、わかりやすく言えば「単身世帯」の増加ということになる。

かつて、日本は「夫婦と子ども2人」というのが標準世帯と言われていた。しかし、すでに、10年前の2010年の時点で、「夫婦と子世帯」は「単身世帯」に世帯類型トップの座を奪われている。それどころか、2040年には単身世帯が全体の4割を占めるのに対し、「夫婦と子」という家族世帯は2割程度にまで激減する。これは「家族が消滅しつつある」ともいえる。それは「社会の個人化」ともいわれる。

家族はゾンビカテゴリーへ

ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、「昔、家族は、資本主義社会での心のよりどころだった。だが、個人化によって家族はリスクの場に変わりつつある」と分析し、従来の伝統的な共同体であった家族は、「すでに死んでいるが、依然として形だけは生き残っているゾンビカテゴリー(死に体カテゴリー)」とまで表現した。

ベックと並び称される社会学者ジグムント・バウマンも同様に、「社会の個人化」について言及している。かつては、地域や職場や家族といった安定した共同体の中でまとまって暮らすソリッド(固体)社会の仲に個人は属していたが、現代の社会は、各個人が動き回るリキッド(液状)社会となったと表現した。たとえていうなら、絶対に沈むことのない大型客船に乗って目的地まで安心して運んでもらえると思っていたら、いきなり大海原に投げ出されたようなものである。

地域・職場・家族という固体的集団共同体で生きるソリッド社会では、相応に制限や我慢が必要で、不自由を感じることもあったであろう。しかし、そうした不自由を補って余りある安心・安全・安定が提供されていたことも事実である。

リキッド社会においては、人々は自由に動き回れる反面、つねに選択や判断をし続けなければいけない自己責任を負わされることになる。まさに現代において各個人に突き付けられた問題といえる。

写真:Paylessimages/イメージマート

日本では、1980年代に「恋愛至上主義」が勃興した。クリスマスデート文化が生まれたのもこの頃で、テレビではトレンディドラマが流行った。

しかし、自分の好きな人と恋愛及び結婚できる自由を享受できたのは、所詮一部の恋愛強者だけであった。1990年代以降、未婚率が急上昇したのが何よりの証拠である。

奇しくも、英国のサッチャー首相と米国レーガン大統領によって推進された経済の「新自由主義」が起きたと同じ時期に、「恋愛や結婚の新自由主義時代」もまた生まれたのである。所得の格差だけではなく、恋愛・結婚・出産ができる者とできない者との格差が鮮明になった。

ソロ社会は絶望の未来なのか?

残念ながら、日本のソロ社会化は不可避である。

独身が人口の半分を占め、一人暮らしが4割になる。男の生涯未婚は3割となり、女も2割を超える。婚姻数も出生数も今後増えることはないだろう。なぜなら、婚姻する若者も、出産する母親の数も今後増えないからだ。

写真:アフロ

何十年先までわかりきっている出生数減少の話を毎年のように、さも今始まった危機のようにメディアは報道するが、それに意味があるとは私は思わない。結婚が作られず、家族が消滅していく未来は不可避である。人口推計では2100年には日本の人口は今の半分の約6000万人程度になるだろう。

しかし、それは「絶望の未来」なのだろうか。

結婚も家族も完全に絶滅してしまうわけではない。する者はする。独身が5割を占めるといっても、それ以上にはならないだろう。人口減少を出生数の減少だけが原因だと考えている人が多いが、今後の人口減少の大部分は、高齢者の死亡によって生じる。生まれる以上に死ぬ数が多くなる。しかし、それは、ある意味では、あと80年かけて人口ピラミッドが補正されていくということでもあるのだ。メディアは、出生減、人口減少などを悲劇的な未来としてしか報道しないが、同じファクトでも視点を変えれば違う姿が見えてくる。

申し遅れたが、私は、独身研究家として2013年からソロ社会について研究してきた。そうした研究によって得られたさまざまなファクトをこの連載では、違う視点によって解き明かしていきたいと思う。

今一度、結婚や出生、家族といったものの構造的な流れを別の視点から捉えなおしてみてはどうだろう。つまり、視点の多重化であり、視点の再配置である。「あなたと私とは意見があわない」と思っていても、実は、同じファクトを違う角度からしか見ていないだけだったかもしれない。

いつもの風景も視点を変えれば、新しい発見がある。そこにこそ到来するソロ社会への適応のヒントがあるのではないだろうか。

結婚していてもいなくても、子がいてもいなくても、年齢や性別も関係なく、すべての人がそれぞれ考えていかないとならない問題だと思う。