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シリア大統領選挙:出馬した反体制派はなぜ逆風に直面するのか?

青山弘之東京外国語大学 教授
Facebook(Mata3emdemashk/)、2021年5月7日

シリアの最高憲法裁判所のムハンマド・ジハード・ラッハーム議長は5月10日に首都ダマスカスで記者会見を開き、同裁判所が大統領選挙への立候補届を受理した立候補者3人の審査を終え、正式にこれを認めたと発表した。選挙活動期間は5月16日から24日まで、投票は5月26日に予定されている。

シリア大統領選挙は、4月19日から28日までの10日間、立候補者の受付が行われ、女性7人を含む史上最多の51人が届出を行った。その経緯については拙稿(「シリア:大統領選挙の立候補者届出期間が終了、アサド大統領以外の有力候補者、そして注目候補者は?」)で述べた通りなので、以下ではその後の経緯をまとめてみたい。

立候補届受理

最高憲法裁判所のラッハーム議長は5月3日、51人のうち3人の立候補届を受理したとする「2021年5月3日宣言第55号」を発出したことを明らかにした。3名とは、現職のバッシャール・アサド大統領、最有力の対立候補と目されていたアブドゥッラー・サッルーム・アブドゥッラー元国務大臣、そして国内で反体制活動を指導するシリア民主戦線書記長のマフムード・アフマド・マルイーの3人。

ラッハーム議長は記者会見では、各立候補者の届出そのものと、人民議会議員の文書による支持表明を精査し、受理の是非を判断したことを明らかにした。憲法第85条第3項には「立候補届は、人民議会議員の35名以上の文書による支持が得られない場合、受理されない」と記されており、立候補届が受理されなかった候補者は、この要件を満たさなかったものと思われる(現行憲法の全文については「シリア・アラブの春顛末記」を参照されたい)。

ラッハーム議長はまた、この決定に関する異議申し立てを、5月4日の午前9時から6日午後3時まで行うことができると付言した。

SANA、2021年5月3日
SANA、2021年5月3日

異議申し立て

最高憲法裁判所の決定を受けて、国内で活動を認められている野党の一つ青年建設変革党(バールウィーン・イブラーヒーム書記長)は5月5日に声明を出し、3人目の立候補者であるマルイーの立候補届が受理されたことに対する異議申し立てを最高憲法裁判所に提出したと発表した。

Facebook(youthpartysyria)、2021年5月5日
Facebook(youthpartysyria)、2021年5月5日

声明では、異議申し立ての理由として、マルイーが2014年にシリアを一時期離れており、「立候補届出時にシリア・アラブ共和国に10年以上継続して居住していること」とした憲法第84条第5項の立候補の条件を満たしていないためと主張している。

立候補者確定

これに対して、最高憲法裁判所のラッハーム議長は、3人の立候補届を正式に受理したことを発表した5月10日の会見で、6件の異議申し立てがあったとしたうえで、裁判所がその内容を精査、すべてを却下したことを明らかにした。

最高裁判所はまた、立候補者が確定したことを受けて、3人の経歴を改めて発表した。国営のシリア・アラブ通信(SANA)が伝えたところによると、その内容は以下の通りである。

アブドゥッラー・サッルーム・アブドゥッラー氏

1956年アレッポ県生まれ。法学士。統一社会主義者党(連立与党である進歩社会主義戦線加盟政党)アレッポ支部学生局、生活局での勤務を経て、1993年に同党中央委員会委員に就任。2001年に同党ダマスカス支部指導部メンバーとなり、指導部書記長に就任。2002年に同党政治局員に就任。1985年から2005年にかけてシリア学生国民連合執行局メンバーを務め、在任期間中、アラブ諸国における会議や国際会議でシリア・アラブ共和国の代表を務める。人民議会では、2003年から2007年の第8期(旧憲法)人民議会議員、2012年から2016年の第1期(現行憲法)人民議会議員を務める。2016年から2020年には人民議会担当国務大臣を務める。既婚。2女3男の父。

SANA、2021年5月10日
SANA、2021年5月10日

バッシャール・ハーフィズ・アサド博士

1965年9月11日ダマスカス県生まれ。ダマスカスの殉教者バースィル・アサド学校(旧ラーイーク学校)で学んだのち、1982年にイフワ学校で高等教育を修了。1979年にアラブ社会主義バアス党に入党。ダマスカス大学医学部に入学し、1988年に卒業。大学3年次に軍武装部隊に志願。医学士取得後、1992年から1994年にかけてティシュリーン軍事病院で医学を専攻し、研修を行う。その後、英国の専門病院(ウェスタン・アイ病院)で研修と研究を続ける。帰国後は、軍の道に進み、機甲科をはじめとする多くの課程を修了するとともに、軍務および医務に従事する。1996年から2000年にかけてシリア情報科学協会(SCS)の会長を務め、シリア社会への情報文化の普及に努める。また在任中に国民情報プログラムを開設し、シリアでテクノロジーの活動を拡大するため、無償での研修センターを開設するなどして、すべての人がインターネットにアクセスできる環境作りに努める。2000年7月にシリア・アラブ共和国大統領に選出され、2012年に施行された新憲法のもと、2014年には複数の候補者との選挙戦に勝利し、大統領に就任している。既婚。2男1女の父。

SANA、2021年5月10日
SANA、2021年5月10日

マフムード・アフマド・マルイー氏

1957年ダマスカス郊外県生まれ。1993年にダマスカス大学で法学士を取得。1993年に弁護士組合に弁護士として登録。シリア・アラブ人権機構の創設者の一人で、2010年まで同機構理事会の会長を務める。民主的変革国民調整委員会創設者の一人で、同委員会の執行局メンバーと青年局長を2年にわたって務めるが、2012年に委員会を退会する。アラブ社会主義連合民主党の政治局メンバーを務めていた。2012年には「民主主義のためのシリア人」潮流を結成。2012年以降、現在に至るまでシリア連邦副議長を務める。また2014年以降、現在にいたるまで国民民主行動委員会の書記長を務める。シリア政府と反体制派の対話が行われた「モスクワ1」、「モスクワ2」に出席。ジュネーブで開催された数々の会合に、国内の反体制派の使節団として参加、シリア人どうしの対話ラウンド(制憲委員会)に出席した。2018年には野党のシリア民主戦線の書記長に就任した。同戦線は、6つの組織(認可を受けている政党、未認可の政党、そして無所属の個人)からなる。既婚。5男の父。

SANA、2021年5月10日
SANA、2021年5月10日

建国史上初となる反体制派の立候補者

さて、3人の立候補者のうち、現職のアサド大統領、そして拙稿(「シリア:大統領選挙の立候補者届出期間が終了、アサド大統領以外の有力候補者、そして注目候補者は?」)で言及したアブドゥッラーはさておき、青年建設変革党が立候補に疑義を唱えたマルイーについて若干触れておきたい。

上述の経歴において示されている通り、マルイーが率いるシリア民主戦線は、内務省の認可を受けている政党と未認可の政党からなる連合体で、それ自体は認可団体ではない。また、彼自身は、「シリア革命」を唱導し、欧米諸国、トルコ、サウジアラビアなどの支援のもとに、武力での体制打倒をめざす国外の反体制派とは一線を画しているが、政治的手段を通じた体制転換をめざしている。

内務省の認可を受けていない団体を率い、体制転換をめざすマルイーは、アサド大統領に対抗する「反政府指導者」である前に、既存の体制そのものを否定する「反体制派」である。シリアで「反体制派」が大統領選挙に出馬すること、そして立候補を認められることは、建国史上初めてである。

出馬した反体制派への逆風

しかし、反体制派としてのマルイーの経歴が、彼を逆風に直面させることになっている。それは、公認野党である青年建設変革党による異議申し立てだけではない。最高憲法裁判所はマルイーを含む3人の立候補の受理を発表した翌日の5月4日、彼が立候補を辞退したとの情報を複数の活動家によって拡散されたのだ。

活動家らは、その理由が2016年以降に撮影された「不道徳」なビデオや写真がネット上で公開されたことにあると吹聴した。

こうした情報拡散と前後して、全裸のマルイーと思われる写真が拡散され、活動家らは、それがあるホテル内でシリアの諜報機関によって撮影されたものだと主張した。

活動家を自称する作家のミシュアル・アダウィーは5月5日、ユーチューブを通じてビデオ・メッセージを配信し、諜報機関が2016年に国内で反体制活動を続けるマイス・クライディーにマルイーの非道徳な写真を撮影する任務を与えていたとしたうえで、大統領選挙というタイミングに合わせて、その公開に踏み切ったと主張した。

クライディーは、2011年の「アラブの春」がシリアに波及した直後から反体制活動を本格化させ、民主的変革諸勢力国民調整委員会に参加、副委員長を務めた人物。諜報機関の脅迫を受けた彼女は、シリアを離れ、ヨルダン、トルコ、エジプトで活動を続けたのち、2014年に帰国し、マルイーとともに国民民主行動委員会を結成し、制憲委員会(憲法制定委員会)の反体制派代表となり、小委員会メンバーにも選出された。

Ramz al-Thaqafa, June 7, 2020
Ramz al-Thaqafa, June 7, 2020

一連の情報拡散に関して、マルイー本人はフェイスブックの自身のアカウントを通じて、「私の撤退をめぐって流布されている情報には根拠がない。私はこの信任選挙を続ける」と否定した。

公開された全裸の写真は捏造された可能性が高いとされているが、政府側が拡散したとする活動家らの主張には説得力がない。なぜなら、彼らによれば、シリアの大統領選挙は、そもそも自由で公正な選挙ではなく、アサド大統領の勝利は確実で、対立候補であるマルイー(さらにはクライディー)といった反体制派指導者を貶めて、獲得票を減らすための工作活動を行う必要などそもそもないからだ。

マルイーが出馬することを快く思っていないのは、反体制派が立候補することで、選挙が(僅かながらでも)民主的、多元的性格を帯びるのを嫌う個人や組織である。それが、反体制派であることは容易に見当がつく。

補記(5月18日)

シリア国内で活動する野党の一つ団結党のムハンマド・アブー・カースィム書記長は、5月18日にRTのインタビューに応じ、マルイーが総選挙法第50条に違反しているとして、名誉毀損で訴えたことを明らかにした。

マルイーは、日刊紙『ワタン』(5月17日付)とのインタビューで、国内の野党について「連中が行っているのは政治の「幼児化」、「青年化」だ。彼らには何らの政治的深みもない。政治的経験もない」と述べていた。カースィム書記長は、これが、公序良俗に反する選挙宣伝を禁止した第50条第3項に抵触していると主張した。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリア地震被災者支援キャンペーン「サダーカ・イニシアチブ」(https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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