「レディ」な料理研究家、入江麻木 世代を超えて愛される理由
大正生まれで貴族の白系ロシア人男性と結婚し、昭和後半に活躍した料理研究家、入江麻木さんをご存じだろうか? 一粒種の娘は小澤征爾さんと結婚した。亡くなったのは1988年で、最初のレシピ本『お料理はお好き』(鎌倉書房、復刊ドットコムで2016年に復刊)が出たのは1977年だったから、活躍した期間は短い。しかし、今も彼女の独自の世界観を愛する人は多い。
その料理研究家のエッセイを集めた『さあ、熱いうちに食べましょう』を昨年刊行、レシピ本『パーティをしませんか』(鎌倉書房、1977年)を6月に復刊したのが、河出書房新社の渡辺真実子さんだ。今、なぜ入江さんに注目するのか話をうかがった。渡辺さんの話を中心に彼女の魅力をひも解いてみよう。
意外とシンプルなレシピ、ロマンチックな世界観
復刊本『パーティをしませんか』の魅力
外国人のセレブ社会で生きて、世界的指揮者の家族となった人が演出するパーティ。さぞ手間のかかる難しい料理ばかりと思いきや、「案外シンプルで、『もしかするとこれは私でもいけるんじゃないか』と思わせる料理が入っている。できる範囲でおもてなしをすればいい、ということが伝わる」と渡辺さんは言う。眺めているうちに料理をしたくなり、思わず人を招きたくなる魅力がこの本にはある。
紹介されている料理には、鴨のオレンジソースやローストビーフ、鶏皮でひき肉などを包んだガランティーヌ、ナスのムサカなど、いかにもごちそうといったものもあるが、親しみやすいパーティの提案もある。
白いんげんの煮込み、カッスーレ(カスレ)をドーンと作ったら、あとはサラダを添えるだけのガーデン・パーティや、サラダを何種類も並べるサラダ・パーティ、パンケーキを主体にしたブランチ・パーティ、ハンバーグやフライドチキンを並べた子供向けのバイキング・パーティなど、やればできそうなアイデアがたくさん詰まっている。
レシピに添えられたたくさんの写真だけでなく、パーティの開き方の解説にエッセイ、と盛りだくさん。そのエッセイが、ロマンチックな夢物語へ誘う。
例えば、イースター・パーティをすすめるエッセイでは、「ごちそうを食べたら、春の風に吹かれて、散歩にでかけましょう。今日からは、お花のたくさんついた夏帽子がかぶれます。何かよいことが起こりそうな予感がしませんか?」と締めくくる。イタリア系アメリカ人の音楽家を訪ねた折のことは「フィラデルフィアに行くのは、何故かいつも、町じゅうが枯葉色に染まる秋。町を流れる小さな川には鈴懸の落葉が浮び、レンガ造りの古風な家々では黄昏どきになると早々と鎧戸をしめ始める季節です」と、ロマンチックな書き出しだ。その文学的才能が、渡辺さんが再評価しようとした要因でもある。
魔法使いと信じていた
小澤征良が記憶する祖母
入江さんの文才を受け継いだと思われるのが、小説家でエッセイストの孫、小澤征良さん。復刊にあたり、渡辺さんがやり取りしたのが彼女だ。仕事を始めるに当たって、入江さんが亡くなる前に住んでいた家に一緒に行ったそうで「いかにも質のよさそうながっしりした木のドアや段差のない玄関、アーチに切られた壁などヨーロッパ風の内装も、お気に入りだったという家具も残っていて、少しご本人に触れられた気がしました。年齢も職業もさまざまな人が遊びに来られて、みんなでご飯を食べていたそうです」と話す。
祖母をモデルにした小説『しずかの朝』(新潮文庫)も書いた征良さんの思いは、『さあ、熱いうちに食べましょう』に収録されている。「タァタ」と呼んだ祖母を、征良さんは魔法使いと信じていた。「タァタの手にかかると、なんでも、ぱぱっと、それこそ魔法のように目の前で、美味しくて、綺麗なものに変身した。イチゴやブルーベリーのタルトはおとぎ話に出てくる宝石みたいにあざやかに輝いていたし、作ってくれるピロシキやストロガノフなどのロシア料理は、びっくりするぐらい美味しかった」と幸せな思い出を綴っている。
渡辺さんは「何かあればパーティを開く、ヨーロッパのパーティ文化が水に合ったのではないでしょうか。招く人のためにシチュエーションもいろいろ考え、押しつけがましくならず、楽しいおもてなしをしたい。そのお気持ちが、文章にも料理にも出ているように感じます。私は今43歳なのですが、40歳を過ぎて読み返すと、お客様が帰った後の孤独感など、人生の機微も感じられます」と話す。かわいらしい側面もあるが、芯が強い自立した人だったのだろう。
世代を超えて愛される「レディ」な料理研究家。
洗練された気づかいは、『パーティをしませんか』の料理撮影を担当した故佐伯義勝さんの妻、弥生さんも感じていた。佐伯さんは世田谷区深沢の自宅にスタジオを構えており、まだ若かった弥生さんは、撮影が深夜に及んだ日、使った料理を「もしよかったら食べて」といただいたことが、印象に残っているという。「エッセイ集を読んで、『当時は子育てで精いっぱいで余裕がなかったのですが、もっとお話をうかがいたかった。ステキな方だった』と話しておられました」と渡辺さんは言う。
鎌倉書房で『パーティをしませんか』を担当した編集者の庄司泰さんは、復刊した本に収録されたエッセイに、20代の駆け出し編集者だった当時、初めて会ったときの印象を次のように綴っている。「ウエストが締まった仕立てのいいスーツに、口紅は鮮やかなレッド! 高すぎないヒールの靴を履いた足はスラリとして、そしてセクシー、なのに高ぶらず、サービスしてくれるボーイさんにはフレンドリー。それまでには逢ったことのなかった、“レディ”の料理研究家なのでした」。
復刊後、読者からの感想には、「知らなかったけれど、魅力的な方だと思いました」という声が多く、往時を知る人から「懐かしい」、「母が読んでいました」といった声も届いているという。エッセイ集が出た折は、朝日新聞で社会学者の本田由紀さんが「私は詳細で丁寧な記述や仕草(しぐさ)に接すると、首筋から頭にかけて血管がぞわぞわする(いい意味で)性分だが、読みながらぞわぞわしっぱなしであった」と誉めている。
雄々しく生きた波乱万丈な人生。
そんな中でも大切にした暮らし
今も昔も多くの人を魅了する入江さんは、どのような人生を送ったのだろうか。自伝『バーブシカの宝石』(講談社)をもとに、ひも解いてみよう。
1923(大正12)年、東京・四谷生まれ。生まれる前に父を亡くし、母は割烹旅館を畳んで帯屋を営んだ。亡父の知り合いのつながりで、母が来日したヴィタリ・イリインさんが日本大学に入学する際の保証人になる。その縁で麻木さんは、ヴィタリさんと知り合った。彼は、ロシア革命の際に大連へ亡命した両親のもとで育った。父親は、大連に広大な不動産を持つ資産家である。
やがて2人は恋に落ち、入江さんが19歳の1942年に結婚。義母のヴェラは厳しかったが、義父は陽気で料理好き。入江さんは義母から貴族のレディとしてしつけを受け、義父から料理を教わったのである。長男の結婚で、イリイン一家は東京で一緒に暮らすようになっていた。
ロシア人の家庭では、カルチャーショックの連続。モツは気持ち悪くて、スパイスやハーブの香りにもなかなか慣れない。夫への愛ゆえに、入江さんは一つずつ克服していった。人生の師匠でもあった義母とは、やがて本当の親子のように関係が深まっていく。
1944年頃、大連の不動産管理を任せていた人が亡くなったことから義父は大連へ戻り、戦争末期、ソ連兵に収容所へ連れていかれて音信が途絶える。日本では、横浜大空襲で住んでいた家が焼け、長野県野尻の別荘へ一家で疎開。そして娘を出産。そんな中でも入江さんは、娘のために柳行李でベッドを作り、部屋に花を飾る。食べるモノにも事欠く生活だったが、村の人たちの家事手伝いをして、生計を立てる工夫をした。
歳月が流れ、モデルをしていた娘が小澤征爾さんと結婚した後、入江さんは離婚。そして腕に覚えがある料理で生きていこう、と料理研究家になる。『きょうの料理』にも出演し、数冊のレシピ本と伝記を出す。パーティの本は、イリイン家で何度も体験してきたことがベースになっている。その他にも、さまざまな海外でのパーティの思い出が、『パーティをしませんか』に収録されたエッセイに描かれている。
コロナ禍の今だからこそ、大切にしたい夢の世界
渡辺さんはこれまで、料理エッセイを中心に、シャンソン歌手の石井好子さん、料理研究家の佐藤雅子さんなど、1960~1980年代に活躍した人たちの本を何冊も復刊、再編集してきた。エッセイやイラスト、写真がふんだんに入った鎌倉書房の書籍は子どもの頃から好きで、親にねだって何冊も買ってもらっていたという。
鎌倉書房刊の『パーティをしませんか』は、学生時代に神保町の古本屋で買った。近年は入江さんの本が古本市場でプレミアがつき、安くても8000円、高ければ数万円もした。しかし、渡辺さんが買った当時は、600円だったという。
その時代の人たちの仕事に惹かれるのは、「想像力を掻き立てられるから。ふだんの生活とは遠いからこそ面白い。入江さんの文章に、内面を豊かにする本を読めば魅力的になれる、というものがありますが、そうやって教養をつけ、入江さんという人が形作られたんだと思います。また、入江さんは料理で手を動かす人でもあるから、地に足がついている。言葉が軽くなって意味がはぎ取られてしまったように感じられる時代だからこそ、言葉の大切さを思い出させてくれます」と話す。
今と比べてずっと外国文化と接する機会が少なかった時代に、雄々しく外国人のコミュニティに入った入江さん。愛する義父母との別れ、夫との別れ。戦争も体験した。モデルの母となり、世界的音楽家たちとも交流しつつ、晩年は料理研究家として生きた。波乱万丈な人生である。
コロナ禍の今、パーティを開くことは難しいが、この本は眺めているだけで楽しくなる。憧れのセレブの世界を身近にしてくれるのは、意外にもシンプルなレシピである。苦しい時代を体験したからこそ、人に優しく、読者には作りやすい料理を提案できるのだろう。また、発表当時は未知の世界だったかもしれない料理や食材も、グルメ化した現代の私たちには身近になっている。
イリイン家で入江さんは、エカテリーナ・ゲオルギーナ・イリイナという名前をもらった。そして、離婚後は料理研究家となる。入江さんは、『バーブシカの宝石』でも書いているが、二度生まれ変わっている。厳しい人生を歩んだ人だからこそ、楽しむことの大切さを知っている。孫娘が言う通り、彼女はきっと夢をみせることが上手な魔法使いなのだ。