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新型コロナで注目された古代の乳製品「蘇」はなぜ今、流行しているのか?

阿古真理作家・生活史研究家
牛乳を使った古代の乳製品「蘇」が流行中。(筆者撮影)

 新型コロナウイルスの脅威で生活が不自由な今、古代の乳製品「蘇」をつくってみようとする人が増えている。それは、安倍首相の要請により学校が一斉に休校したことで、学校給食に使われる牛乳が大量に余ることがきっかけだった。農林水産省などが消費を促した結果、牛乳消費レシピを投稿するツイートが広まったのだ。そのレシピの中に、蘇のつくり方も入っていた。

 蘇とはどういう料理だろうか? そしてなぜ、数ある牛乳レシピの中で、注目されるのだろうか? 

唯一つくり方がわかる古代乳製品。

 蘇は、奈良・平安時代につくられていた乳製品だ。古代の日本は、東アジアと密接なつながりがあり、中国や朝鮮半島からさまざまな文化を吸収していった。その中に酪農と乳製品もある。『牛乳と日本人』(吉田豊、新宿書房)によると、酪農の技術は欽明天皇(510~571)の時代、朝鮮半島へ遠征した大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が百済人の智聡(ちそう)を連れて帰ってきた。智聡が持ってきた医薬書の中に、牛乳の薬効や乳牛飼育法が記されていたのである。

 古代には、中国と朝鮮半島から来た渡来人が、日本にたくさん住んでいた。彼らが牛乳を飲んでいたのを、日本の貴族たちも真似た。しかし、中世末期に戦乱が多くなると、朝廷より武士が勢力を持つようになる。武士は牛より軍馬の生産に力を入れ、乳製品は姿を消す。日本人が将軍に献上するため乳製品の製造を再開するのは江戸時代後期で、本格的に広まるのは明治以降である。

 さて、蘇だ。『日本食物史』(江原絢子・石川尚子・東四柳祥子、吉川弘文館)によれば、日本の文献に乳製品の製法はほとんど記されていないが、わずかに具体的な記述があるのが、蘇だった。それは平安時代の法令集『延喜式』で、牛乳を10分の1に煮詰めると解釈できる記述がある。蘇は、朝廷が全国45カ国から納めさせるほど、広がっていた。

 『牛乳と日本人』によると、古代の乳製品にはこのほか「酪」「生蘇」「熟蘇」「醍醐」があった。酪はヨーグルトか練乳、あるいはバターとされ、蘇はクリームかバター、練乳、チーズのいずれかで、醍醐はバターオイルかチーズといった説がある。醍醐は最上とされ、そこから「醍醐味」という言葉が生まれた。ただこれについては、日本で幻の食品で、味わうことはできなかったようだ。

 何だかわからないほかの乳製品と違い、蘇はつくり方がわかる。『牛乳と日本人』では、伝承料理研究家の奥村彪夫(おくむらあやお)さんがつくってみて「ミルクキャラメルのようにほのかに甘いものができた」と『復元・万葉びとのたべもの』で書いていることを紹介し、著者もつくってみたとある。すると「粉ミルクを濃くといて練ったものの味がした」そうだ。

 同書は1988年発行。この時代は研究者が試す研究対象だったものに、今は大勢の一般の人たちが挑戦している。そこで最初に挙げた2番目の疑問に戻る。なぜ今、蘇づくりに挑戦する人がたくさんいるのだろうか? 

今、蘇づくりが流行る四つの理由。

 おそらくかなり根気がいるこの料理を試す人が多い一つ目の理由は、新型コロナウイルスの脅威で、行動が制限されている人が多いことだ。在宅勤務になった人、出かける予定がいくつもキャンセルになった人、子供たちの学校が休みになったので世話が大変な人。もちろん感染するリスクも外出の不安材料になる。

 引きこもりがちでストレスフルな毎日で、何かできることはないのか。気を紛らわせる方法はないのか。そんなとき、インターネットを検索するうちにだぶついている牛乳を消費する、蘇のレシピを見つける。ほかにも牛乳のレシピ情報がある中、あえて蘇を選ぶのは、長時間ひたすら煮詰める作業に、心を静めてくれる効果があるからではないだろうか?

 二つ目の理由は、好奇心である。珍しいものに挑戦すれば話のタネになる。すでにインターネット上にはブログなどで蘇に挑戦した記事がたくさん載っている。どんなものができるのか。それはおいしいのか。誰もがレポーターになったSNS全盛時代だからこそ、この根気のいる料理にあえて挑戦したい人は多いのではないだろうか。

 三つ目の理由は、グルメ化が進んだことだ。珍しい料理だったら食べてみたい、つくってみたい。そう考える人は、一昔前よりかなり多いはずだ。それは世界各国の料理、全国各地の味を知っている人たちが多くなっているからだ。通常、人は未知の味に怖れを抱くが、多様な食を知る楽しみを持つ人たちは、目新しいものだからこそ食べてみたいと考える。

 そして四つ目の理由は、食文化研究のすそ野が広がったこと。私が最初の食文化の本『うちのご飯の60年』(筑摩書房)を出した2009年は、大学研究者以外でそういうジャンルに手をつけている人がほとんどいなかったが、今はジャーナリストから食の仕事をしている人たちまで、幅広い人たちが食文化の本を出す。テレビ番組で食の背景を紹介する企画も目白押しだ。そしてもちろん、インターネット上にはたくさんの食のうんちくがあふれている。

 牛乳をひたすら煮詰めればできる蘇という古代の食再現は、別に本格的に食文化研究に乗り出さなくても気軽に研究できる題材でもある。古代の貴族は、こんなものを食べていたんだな、と思いを馳せることもできる。

 そうした楽しみを、ストレスフルな日々に提供してくれるのが蘇なのである。もしおいしくできれば、乳製品ならではのほっこり感も味わえるかもしれない。

作家・生活史研究家

1968年兵庫県生まれ。広告制作会社を経て、1999年より東京に拠点を移し取材・執筆を中心に活動。食を中心にした暮らしの歴史・ジェンダー、写真などをテーマに執筆。主な著書に『家事は大変って気づきましたか?』・『日本外食全史』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版新書)、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(ちくま文庫)、『母と娘はなぜ対立するのか』(筑摩書房)など。

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