ラーメンとバクテーを合体させる映画、『家族のレシピ』が示す意味とは?
(冒頭の写真は、映画『家族のレシピ』出演者の集合写真。(C)Wild Orange Artists/Zhao Wei Films/Comme des Cinemas/Version Originale)
3月9日公開、シンガポール・日本・フランス合作の映画、『家族のレシピ』は、タイトルの通り、食を通して家族の絆を考えさせる作品だ。監督はシンガポール映画界の第一人者、エリック・クー。出演は斎藤工、マーク・リー、松田聖子。
日本人の父、シンガポール人の母を持つラーメン店の青年が、音信不通になっていたシンガポールの親せきを探しに行く。シンガポールのスープ、バクテーをアレンジした麺料理を考案する彼は、その過程で新しい人間関係も育てていく。
二つの国を背負った青年と家族の物語を通して、シンガポールという国の歴史と食文化も伝える作品である。くしくも今、日本ではアジアの料理ブームが再来している。そして、移民受け入れ国としての位置を探っている。タイムリーなテーマを扱う作品の食から、何が見えてくるのだろうか。ストーリーを紹介しつつ考えたい。
ラーメンとバクテー、なぜこの二つなのか?
主人公の真人(斎藤工)は、群馬県高崎市で父の和男(伊原剛志)が営む人気ラーメン店で働く。一緒に働く叔父の明男(別所哲也)にはかわいがられているが、寡黙な父との会話はほとんどない。真人はいつも、父の気持ちを測りかねている。
その父が突然亡くなり、10歳で母を亡くしていた真人は一人になる。父の遺品から、長く音信不通になっていたシンガポール人の叔父からの古い手紙を見つけ、叔父を探す旅に出る。現地で手助けしてくれるのは、以前からインターネット上で交流があった、フードブロガーでシングルマザーの美樹(松田聖子)である。
叔父ウィー(マーク・リー)が営む食堂を見つけると、叔父は懐かしがってくれ、その日から真人に宿を提供する。真人は幼い頃、シンガポールで暮らし叔父にかわいがられていたからだ。
親子のシンガポールとの縁は、和男がバブル期にシンガポールへ派遣され、懐石料理店を任されたことから始まった。和男がウィーの店のバクテーが好きで通ううち、働いていたメイリアン(ジネット・アウ)と親しくなり結婚したのだ。母の記憶もあいまいになっていた真人は、この旅を通して家族の歴史と出合う。
真人はウィーに頼みたいことがあった。試作中の新作は、シンガポール時代に親しんだバクテーをヒントにしたスープだが、納得がいく味になっていない。ウィーにバクテーの作り方をきちんと教わった真人は、ラーメンと合体させた新しい料理、「ラーメン・テー」を作り出す。美樹に紹介されたラーメン店店主の竹田(竹田敬介)にも協力してもらって、新作は無事完成する。
映画では美樹の口を借りてバクテーの歴史も紹介する。それは豚の骨付きあばら肉などをスパイスやハーブと煮込んだ料理で、中国からシンガポールやマレーシアにやってきた労働者が食べ始めたものだった。過酷な肉体労働に従事する彼らは貧しく、肉の替わりに肉片がついた骨を煮込んで出汁を取った薬膳スープで、元気を回復していたのである。今この料理は、シンガポールとマレーシアの幅広い層に親しまれている。
バクテーを漢字で書くと、「肉骨茶」となる。お茶を使っていないのに「茶=テー」が入る理由を、ウィーが「バクテーの後は中国茶を飲むから、茶と言うんだ」と、真人に教える。庶民の歴史を背景に持ち、食後のおしゃべりで絆を深める料理なのだ。
ラーメンも中国ルーツで、近代日本で独自の発展を遂げた。庶民に愛され、今や日本を代表する料理の一つとして世界に知られている。どこか通じる歴史を持つ二つの料理を合体させることは、複雑な生い立ちを持つ料理が生まれるということであり、そのことが実は深い意味を持つ映画なのである。
過去の傷を乗り越えさせる、料理の力
真人はもう一つ、ウィーに頼みごとをする。それは一度も会ったことがない祖母に会わせてもらうこと。祖母のマダム・リー(ビートリス・チャン)は、メイリアンが日本人と結婚することに大反対していた。
やがてわだかまりは解ける、と思って悩む姉の背中を押したウィーの予測は外れた。そして真人を連れてマダム・リーを訪れると、彼女は部屋に引きこもってしまう。彼女がかたくななのは、第二次大戦中、日本軍に父を殺されたからだった。真人は戦争博物館に行き、日本軍の残虐行為を知る。
父の遺品から中国語で書かれていた母の日記も見つけていた真人は、美樹に訳してもらう。そこに綴られていたのは、母親から拒絶された悲しみだった。過去の確執とその原因を知り、やるせない気持ちに襲われた真人は、酔っ払って夜中、マダム・リーの家を訪ね、非難を浴びせて強引に母の日記を手渡す。その態度を反省した真人は、開発したラーメン・テーを持って再訪する。祖母は扉を開けてくれなかったが、真人はラーメン・テーを置いていく。それはあることを思い出したからだ。これ以上はネタバレになるので伏せておくが、大事なのは料理は、過去の思いを閉じ込めたタイムカプセルの役割を果たすことがあることである。
移民がもたらす食文化
日本人とシンガポール人の間に生まれた青年、という設定にリアリティがあるのは、日本に外国ルーツの血縁を持つ人がすでにたくさんいるからだ。職場や学校に、外国人や外国にルーツを持つ人がいる。よく行くコンビニや飲食店に、外国人の店員がいる。友人やパートナーが外国にルーツを持つ人だ。そんな風に身近な外国と接する人は多いだろう。
テレビをつければ、ベッキーやウエンツ瑛士などハーフのタレント、厚切りジェイソンやパックンなど外国出身のタレント、野球選手、力士などが活躍している。一見外国人のようだが実は日本語ネイティブ、という人もたくさんいる。日本はとうの昔に、移民受け入れ国になっている。
外国に住んだことがある日本人、現在外国に住む日本人も多い。だから、父がバブル期にシンガポールで働いた、今シンガポールに住む日本人女性、という設定もリアルだ。交流が長くなり広がっているのだから、食べものも交わっていくかもしれない。
私は日本におけるアジア料理の歴史を描いた『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)で、日本で流行して定着した料理を「アジア飯」と呼んだ。アジア飯の歴史は、移民抜きには語れない。
日本でアジア飯が最初にブームになったのは、1980年代半ば~1990年代。円高になったことで、高所得を求めるアジアからの移民が増えた時期と重なる。そして今、アジア出身在住者は急増している。2010~2017年にベトナム人は約8倍、ネパール人は約3.5倍になり、中国人は5万人増えて約20万人にも上っており、西川口など新たなチャイナタウンの誕生に結びついている。
現在のアジア飯ブームは、急増する移民たちが集まって住み、飲食店や食材店を開くようになったことが原因である。東京の南インド料理ブームは、インド人が急増し店が増えたことで起こった。西川口には、唐辛子としびれる味の花椒を効かせた本格的な四川料理の店がたくさんあり、今来ているしびれ料理ブームを支えている。そういった本格派の味に親しむ日本人が、やがて新たなフュージョン料理を生むかもしれない。
ラーメンも、中国の麺料理とは似ていて別のものだ。ギョウザは本場では焼くより煮る、蒸すものが中心である。私たちが親しむギョウザやラーメンは、日本の料理なのである。
クセがあるが滋味深いバクテーのスープを使ったラーメン・テー。機会があれば食べてみたいものだ。