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茶道の世界はいつから女性ばかりになったのか? 映画、『日日是好日』から見える日本

阿古真理作家・生活史研究家
(C)2018「日日是好日」製作委員会

 ロングセラーのエッセイ集『日日是好日(にちにちこれこうじつ) 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(森下典子、新潮文庫)を原作にした映画『日日是好日』が全国で公開中だ。監督・脚本は『まほろ駅前狂騒曲』、『セトウツミ』などの大森立嗣、主演は黒木華、共演に樹木希林、多部未華子。

『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(森下典子、新潮文庫)
『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(森下典子、新潮文庫)

 物語は平成の大半、今年までの25年間を描く。「一生をかけられるような何か」を探しあぐねていた大学生の典子(黒木華)は母にすすめられ、従妹の美智子(多部未華子)と近所で教える武田先生(樹木希林)のもとへ、茶道を習いに行く。茶室への入り方、袱紗の使い方、道具の手入れの仕方など、こと細かな決まりがある世界に戸惑いながら、不器用な典子は少しずつ作法を覚えていく。

 1977(昭和52)年から始まる原作を、時期を平成のはじめにずらした映画は、原作と同様、茶室を中心に季節や人生のできごとを描く。お茶の世界の奥深さや人生の機微を、ふとした瞬間に発見していく典子。きめ細やかでありつつ、無駄をそぎ落とした描写に芸達者な役者陣。主人公の成長に、自分を重ねて観た女性は多かったのではないか。

 しかし本稿での主題は、映画評ではない。映画が主題とする茶道から見える日本である。作中の登場人物のほとんどが女性だ。それは、茶道を習う大半が女性であることを反映している。いったい、茶道はいつから、なぜほとんど女性ばかりになったのか?

女性だらけの大茶会

 お茶にお花。現代においてそれらは、花嫁修業など女性のたしなみだと思われがちだ。そのため、自立志向が強い典子は母親からすすめられた当初、習うことを躊躇している。

 茶道が女性の世界だと印象づける圧巻のシーンは、武田先生に誘われた典子と美智子が、横浜・三渓園での大茶会に行くところ。広い庭園のあちこちに設けられた茶室でお点前を楽しむために殺到する女性、女性、女性。まるでバーゲンセールのように、席を求めて女性たちが走る。その世界に典子もたじろぐ。原作には「日本中から着物の女が結集したのではないかと思うほどだった」とある。

 茶道では、確かに女性らしい立ち振る舞いを覚えられる。しかし、本作から見えてくる茶道の魅力は、行儀作法にとどまらない。茶道には芸術品が不可欠だ。俳句のようにそぎ落としたビジュアルで季節を感じさせる茶菓子、茶器や掛け軸。何より、静かにお点前を楽しむことそのものが、自分と向き合い季節を感じる豊かな時間だ。その世界自体が芸術であり、自分と向き合い人生を発見する哲学的なひとときを与えてくれる。

茶菓子自体が芸術品のように楽しめる(C)2018「日日是好日」製作委員会
茶菓子自体が芸術品のように楽しめる(C)2018「日日是好日」製作委員会

 典子が最初に戸惑ったように、その魅力を存分に味わうには、教養が必要である。掛け軸や茶器の背景。床の間に生けられた花、背後に流れる音。お茶が入るのを待つ時間を楽しむこと。ほかにもたくさん、典子は発見したことだろう。しかし、お茶という総合芸術が、女性メインのお稽古ごとになったのは、いつからだろうか。

戦国武将、明治の経済人の「男性社会」でいきた茶道

 鎌倉時代が始まる頃、禅宗を学んだ栄西によって日本に持ち込まれ、定着した茶道。お茶会を芸術の域にまで高めた立役者は、16世紀に活躍した堺の豪商、武田紹鴎とその弟子、千利休だ。戦国時代、武将たちが刀を持って入れない茶室で取引をしたことを、時代劇を通して知った人は多いだろう。富や権力とともにあったからこそ、茶道は芸術の域に高められたのである。

 明治に入ると、茶室は商談が動く場となっていく。江戸時代末期の生まれで三井物産を興した益田孝は、お茶を社交として用いると同時に、心の平安を得るためにも楽しんだ。彼は茶人として、鈍翁とも名乗っている。明治初期に生まれ、阪急電鉄や宝塚歌劇団を興したことで知られる小林一三も茶人で、逸翁と呼ばれた。彼のお茶のコレクションは、大阪・池田の逸翁美術館で観ることができる。

 つまり、茶道は政治や経済が動く舞台であり、男性たちが仕事の場として、あるいは心を研ぎ澄ますために用いられてきたのである。

 ところが、『日日是好日』の世界でお茶をたしなむのは、こぞって女性だ。変化の始まりは、鈍翁や逸翁が活躍した近代だった。

良妻賢母教育と結びつく

 茶道を女性が学べるようになったのは、明治時代。高等女学校の科目に取り入れられたことがきっかけである。高等女学校が正規の教育制度に組み込まれたのは、1899(明治32)年。富国強兵をめざす国にとって、将来の人材となる男の子の母親に、教養が必要と考えられるようになったからだ。いわゆる良妻賢母教育である。「お茶」という習いごとの目的を、自立志向が強い現代女性が警戒したのは、近代になってお茶が背負わされた役割ゆえである。

 原作の舞台となった昭和後期は、専業主婦には飽き足らないが、社会に活躍の場を持てない女性が大量にいた時代である。彼女たちの「成長したい」という欲求は、カルチャースクール全盛期を招き寄せた。茶道もカルチャースクールの一つとなり、映画の大茶会のような光景を生み出したのである。

 しかし、茶道が持つ幅広く奥が深い文化は、本作の武田先生のように自分の目で見て判断する、教養人の女性もたくさん育てていったことだろう。女性たちが、日本の伝統文化を守り伝えてきたのである。

今こそお茶が求められる理由

 映画は、激動の平成期を舞台にしている。平成が始まってすぐバブルが崩壊し、1990年代には阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件、山一證券倒産など時代を揺るがす事件が次々と起きた。2001年には9・11テロ事件で世界の不安定感が増し、2011年には原発爆発を伴う東日本大震災が起きた。そのほかにも、社会の不安定化を背景とする事件や、気候変動による自然災害などが続く。

 青春期から壮年期へと向かう典子自身にも、個人的な大事件が続く。そういう中でも、毎週お稽古は開かれた。静かなひとときを過ごし、新たな発見を得る典子はいつも、「来てよかった」と安心する。

映画で典子は「今日は行きたくない」と思っても、結局稽古に出て後悔したことはない。かけがえのない、無心になる時間だ(C)2018「日日是好日」製作委員会
映画で典子は「今日は行きたくない」と思っても、結局稽古に出て後悔したことはない。かけがえのない、無心になる時間だ(C)2018「日日是好日」製作委員会

 大変な時代だからこそ、典子のように現実から離れて心の平安を取り戻す時間は必要ではないか。あるいは、花など自然の美しさに身をゆだねる瞬間があってもいいのではないか。本作は、現代人が忙しさに紛れて見落としがちな大切なものを、たくさん気づかせてくれる映画でもある。

 もしかすると、創造力の源となる教養教育が見直される今こそ、お茶は男女ともに必要なのかもしれない。社会を革新する力、幅広い教養を持つエリート外国人と渡り合う力を持つうえでも、足元にある豊かな文化を再発見する時期が来ているのではないか。

 茶道を、行儀作法を学ぶだけの場と見くびってはいけない。もしかすると、あなたの周りにも、典子の母親が最初に「ただモノじゃない」と思った武田先生のような茶人の教養人はいるのではないか。もしかすると本作は、そういう文化・教養が重視される時代の始まりを象徴するような映画なのかもしれない。

作家・生活史研究家

1968年兵庫県生まれ。広告制作会社を経て、1999年より東京に拠点を移し取材・執筆を中心に活動。食を中心にした暮らしの歴史・ジェンダー、写真などをテーマに執筆。主な著書に『家事は大変って気づきましたか?』・『日本外食全史』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版新書)、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(ちくま文庫)、『母と娘はなぜ対立するのか』(筑摩書房)など。

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