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「ていねいな料理」からの脱却?――今年の料理レシピ本大賞にみる「初心者に寄り添う」潮流をひも解く

阿古真理作家・生活史研究家
9月13日、東京ドームホテルで開催された受賞発表会にて(筆者撮影)

 料理を学ぼうと行った書店のレシピ本コーナーで、「どれを選んだらいいか分からない」と途方に暮れた経験はないだろうか? 毎月たくさんのレシピ本が刊行され書店に並ぶが、どの本が本当に簡単に作れる方法を紹介しているのか、あるいはどの本が自分の好みに合っていておいしい料理が作れそうなのかを見分ける基準は分かりにくい。指標の一つになれば、と2014年に始まったのが、書店員の選考委員が中心になって選ぶ料理レシピ本大賞 in Japanだ。

料理が苦手な編集者が新規参入。「自分が使いやすいレシピ」が入賞

 9月に発表される料理レシピ本大賞 in Japanも、今年で5回目。私自身、2回目から特別選考委員に名を連ねて1票を投じているが、こんなに特徴がはっきり出る結果に立ち会ったのは初めてである。家庭料理のパラダイムシフト、転換が起こっていることを感じさせるラインナップになったのだ。とはいえ、去年の受賞作発表から変化の予兆はあった。それはレシピ本制作の新規参入者による入賞という点で、去年の料理部門大賞は、ブロガーのはらぺこグリズリーさんの初作、『世界一美味しい煮卵の作り方』(光文社新書)だった。

 今年の新規参入者は、まず料理部門入賞の『志麻さんのプレミアムな作りおき』(ダイヤモンド社)がある。著者の志麻さんは、今年5月21日、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演した家政婦で、家事代行マッチングサービスのタスカジに登録している。辻調理師専門学校を卒業後、プロのフランス料理人として15年働いたのちに家政婦に転向。顧客の家族のニーズにきめ細かく対応した多彩な料理を作り上げるため高い人気を誇る。

料理部門に入賞の家政婦の志麻さん(以下文中写真筆者撮影
料理部門に入賞の家政婦の志麻さん(以下文中写真筆者撮影

 同書は志麻さんの初作であると同時に、担当編集者が初めて作ったレシピ本でもある。受賞発表会では、ビジネス本ばかり作ってきた彼が、テレビで見かけた志麻さんに「ぜひ」と依頼したことを熱くスピーチで語っていた。人気メニューを中心に構成された本について、アマゾンの商品説明欄には、次のような彼の熱いコメントが掲載されている。

「これほどその日の献立に使える本はありません。本当に驚くほど少ない調味料と、冷蔵庫にある食材で簡単贅沢レシピができます。料理経験の少ない私でもできました!  日々のメニューにまんねり感を感じておられる方、多忙で料理をする気になれない方に、使い倒していただければと思います」

 同じく料理部門入賞の『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(有賀薫、文響社)も、料理が苦手な20代の女性編集者が、「自分が使いたいと思えるレシピ本がない」と、まだ1冊しか実績がなかったスープ作家の有賀薫さんと作った。皮むきが面倒なタマネギを使わないなど、1人暮らしで料理経験が浅い若者が手軽に作れるレシピをめざした。肉や魚も具材として使い、スープ一皿で食事が成立するレシピ本になっている。

スープ作家の有賀薫さん(右)と編集担当の野本有莉さん(左)
スープ作家の有賀薫さん(右)と編集担当の野本有莉さん(左)

 レシピ本編集未経験だった男女2人の編集者は、料理が苦手な自分が使いやすいレシピ本を作り、それが人気を集めた。レシピ本を買う人の動機はさまざまだが、最も必要としているのは、作り方がわからず学ぼうとする初心者なのではないだろうか。料理が得意だからこそプロになった料理家と、料理好きな編集者が作る従来のレシピ本は、もしかすると切実に必要とする人に届くものになっていなかったのかもしれない。

ベテラン料理家による大胆な提案

 一方で、初心者に狙いを定めたベテラン料理家の受賞者もいる。

 料理部門の大賞に輝いたのは、『みそ汁はおかずです』(瀬尾幸子、学研プラス)で、プロセスをていねいに解説した味噌汁だけのレシピ本。また、入賞作の一つに『レシピを見ないで作れるようになりましょう』(有元葉子、SBクリエイティブ)もある。どちらもファンが大勢いるベテラン料理家が著者だ。

料理部門大賞の瀬尾幸子さん(中央)
料理部門大賞の瀬尾幸子さん(中央)

 家庭にあるふつうの食材を使ったシンプルな作り方にもかかわらず、プロセス写真を使ってていねいに解説した瀬尾さんの本も、料理の作り方をきめ細かく合理的に解説する有元さんの本も、料理経験が浅い人への目配りが行き届いている。

 また、エッセイ賞を受賞した『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)は、センセーショナルなタイトルである。元朝日新聞記者、フリーランサーの肩書で執筆活動を行う稲垣えみ子さんが、暮らしを綴るエッセイの中に、タイトルのもとになったエピソードがある。それは、たくさんの調味料を使って複雑な味に仕上げるレシピはアレンジができず、本の通りに作らないと味が決まらない、という内容。そういうレシピ本は、もう自分には不要と宣言している。

 レシピ本のための賞なのに、二作も既存のレシピは不要と宣言する本が入賞している。それは、レシピのあり方を見直すべき時期が来たからではないだろうか。

料理のやり方を、見直すべき時期が来た

 今年の受賞作は、ここ数年盛り上がっている家事のリストラ論も反映している。雑誌や新聞、書籍で活発になった家事の見直し論は、手間がかかる従来の家事の省力化や、家族で協力し合って行うことを主張するものである。

 私自身も昨年出した『料理は女の義務ですか』(新潮新書)の中で書いたが、共働き家庭が多数派になった今、専業主婦を前提にした従来の家事のやり方では、時間がいくらあっても足りない。まじめに取り組んでいたら生活を回せなくなって体を壊すか、仕事を辞めるかせざるを得なくなるのではないだろうか。

 従来の家事とは、例えば毎日行う洗濯・掃除、日替わり献立の手間がかかる料理といったもので、専業主婦が多数派だった昭和期に確立された。昭和の専業主婦は、家庭責任を全面的に引き受けるいわばプロの主婦だった。だからこそ、ていねいな家事を行い、家族が居心地よく暮らせるようにしたのである。しかし、仕事を持つ女性が同じレベルの家事を行うことは不可能だ。専業主婦だろうが仕事を持っていようが、1日は24時間しかないのだから。

 ライフスタイルは多様になっている。専業主婦も共働きもシングルもいる。家事の担い手は複数いる場合も、男性の場合もある。今、家事論が活発に交わされるのは、そうしたベテラン主婦以外の人も家事ができる仕組みが、切実に必要とされているからだ。

 そんな時代背景を視野に入れて、改めて先に挙げた受賞作を見てみよう。それは、作り手をベテラン主婦に設定していない本である。初心者やシングルも使いやすい本。今までレシピ本を手に取ったことがない読者を対象にしている。

 もちろん、ベテランでも日々の献立に悩む日もあるし、珍しい料理や難しい料理に挑戦したいときもある。そういうニーズに応える本は必要だし、眺めるだけで楽しいビジュアル本としての役割もレシピ本にはある。

 しかし、時間に追われる日々の料理は、レシピ本をいちいち読まず、定番の食材だけで作れるものが望ましい。そのほうが時間も短縮できるし作る負担も少ない。その意味で、いつか不要となる日を目指している今年の受賞作は、レシピ本本来の役割に立ち戻ったものと言えるかもしれない。

書店の販促策としても成功。時代の台所事情を反映する料理レシピ本大賞

 

 料理レシピ本大賞in Japanが始まったきっかけは、ある飲み会の席での話し合いだ。出版社、業界紙『新文化』発行元、書店員たちが集まり、「文芸賞はたくさんあるのに、実用書の賞がない」と盛り上がり、目をつけたのがレシピ本だった。

 そこから彼らが話し合って練り上げた賞の目的は、レシピ本が大量に発売される中で選ぶ基準になればということである。背景にはネット書店の台頭で、リアル書店へ足を運ぶ人が少なくなっていることもある。

 9月13日の受賞発表会ののち年末の手帳販売が始まるまで、全国各地の書店で受賞キャンペーンが開かれている。少なくとも今月いっぱいは、受賞記念の真っ赤な帯を巻いた本が並ぶ。その帯には、抽選で1000円の図書カードが200人に当たる仕掛けもあり、「これをきっかけに書店に足を運んでいただければ」と実行委員長で、東京・福生市のブックスタマ代表取締役社長の加藤勤さんは言う。

 発表2週間前と、発表後2週間後、つまり約1か月間で受賞作の売り上げは急上昇。平均伸長率は約6.58倍で、大賞の『みそ汁はおかずです』は約3.8倍にも伸びた。書店としても賞の設定により、売り上げ増となっている。

 賞は公平性を保つために、エントリー作品の出版元の社員は入れない。書店選考委員は主に実用書担当で一般公募する。その他、特別選考委員として、料理関係の仕事に携わる人たちが自薦他薦で選ばれる。今年の選考委員総数は221人で、そのうち34人が特別選考委員。最終投票者は101人だった。

 今年、応募があった書籍は、138点、69社の書籍。料理部門のみ大賞と入賞6作品が選ばれ、他にお菓子部門の大賞、エッセイ賞、絵本賞、コミック賞、特別選考委員賞の計12作品がある。

 レシピ本の選考基準は、わかりやすく作りやすい内容であり、日本の食文化や食育に貢献できる内容であること、お客様にすすめたい作品であることなどが条件。実行副委員長で東京・西荻窪の今野書店代表取締役の今野英治さんは、「この本を読んで料理を作っておいしいことが大事」と話す。料理に関わるプロと、レシピ本のプロが、できるだけ多数の人に響くおいしく作りやすい料理が載っている、と選ぶのが受賞作なのである。

 そこで表れたのは今年、レシピ本の世界でひそかに始まっていた新しい主張。それが、苦手意識から台所に立たなかった、あるいは家族にお任せだった人が、自分で料理を作るきっかけになる「処方箋=レシピ」を提示することだ。このことは、これから台所の担い手が多様化していく時代に必要なレシピ本が作られていく、最初の一歩を象徴しているのではないだろうか。

作家・生活史研究家

1968年兵庫県生まれ。広告制作会社を経て、1999年より東京に拠点を移し取材・執筆を中心に活動。食を中心にした暮らしの歴史・ジェンダー、写真などをテーマに執筆。主な著書に『家事は大変って気づきましたか?』・『日本外食全史』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版新書)、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(ちくま文庫)、『母と娘はなぜ対立するのか』(筑摩書房)など。

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