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ヘイトスピーチ解消法施行から3年――成立当時のとある連載から

明戸隆浩社会学者
5月29日に開かれた「ヘイトスピーチ解消法施行から3年」院内集会の資料集

 今日6月3日は、ヘイトスピーチ解消法施行から3周年の節目である。3年前当時、筆者はまだYahoo!ニュース個人のオーサーではなかったが、代わりに『時の法令』という雑誌のコラム欄を月一で担当していて、そこに法案成立直後に書いた文章が掲載されている。といっても『時の法令』は法曹関係者向けの雑誌として一般の人の目に触れることはほとんどなかっただろうということで、ここに以下転載してみたい。これまでこの欄では他の媒体に書いたものを転載するということはしてこなかったのだが、たまにはこういう試みも悪くないだろう。

 なおここで書かれているヘイトスピーチ法の正当性については3年後の今も基本的に筆者のスタンスを支える最大の柱であり続けているし、今後もおそらくそうだろうと思う。

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(『時の法令』2016年(平成28年)6月30日号〔第2004号〕より転載)

「ヘイトスピーチ解消法」の成立、その正当性のありか

 【2016年】5月24日、衆議院本会議でヘイトスピーチ解消法(「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)が成立した。3月25日に自民・公明両党が法案作成のための作業部会設置を発表してから、わずか2カ月足らずの出来事だった。

 この連載の第1回の原稿を書き始めたのは、まさにその【2016年】3月後半のこと。与党である自公が法案提出の方針を明らかにした以上その時点ですでに成立の可能性は高かったが、しかし当初から与党の動きはきわめて慌ただしく、執筆から刊行まで時差がある媒体では下手なことは書けない。結果、これまでの連載では与党案には直接触れず、動きを見守る形になった。

 そういうわけで、今回は本連載では初めて、このヘイトスピーチ解消法を取り上げることになる。とはいえこの法律の問題点はすでに別の媒体で指摘したので(「ヘイトスピーチ対策法「与党案」について考える――「適法居住」要件はなぜおかしいのか」『シノドス』2016.04.25)、ここでは一歩引いて、なぜヘイトスピーチに対応する法律が必要なのかといういわば「正当性」の問題について、あらためて書いてみたい。

 出発点となるのは、たとえ「表現」であっても、それが他者の自由を侵害するものならば、それは法律による禁止の対象となるということだ。具体的には侮辱や名誉毀損、あるいは脅迫だが、これらはすべて他者の自由を侵害する「表現」である。そして、こうした「表現による自由の侵害」が、ある属性を持つ人々――基本的には人種的、民族的、あるいは性的なマイノリティが該当する――に集中的になされるとき、それは「ヘイトスピーチ」となる。

 このとき、侮辱や名誉毀損、そしてもちろん脅迫もだが、これ自体は誰でも被害を受けうる「一般的な」攻撃表現だ。しかしヘイトスピーチは、その社会のマイノリティだけに向けられる「特殊な」ものである。そしてこのとき、一般的な攻撃表現はマイノリティにもそれ以外の人(マジョリティ)と同じように向けられるから、その社会にヘイトスピーチがある分だけ、マイノリティはマジョリティに比べて「不平等に」そうした攻撃表現を多く受けることになる。

 可能性の問題として言えば、こうした状況を前にして、ある社会がとりうる選択肢は複数ある。まず、「何もしない」という選択肢があるだろう。ヘイトスピーチはもちろん、一般的な侮辱や名誉毀損も、表現である以上一切禁止しないという社会だ(実際にはまずありえないことだが、ここに脅迫を含めることも原理的には可能である)。これを支持する人は少ないだろうが、いずれにしてもこの場合、マジョリティとマイノリティのあいだの「不平等」は、当初のままで変わらない。

 次に、一般的な攻撃表現だけを禁止し、ヘイトスピーチについてはその範囲内でのみ対応する、という選択肢が考えられる。今回の法案成立以前の日本は、これに該当することになるだろう。もちろん何も対抗策がないよりはよいだろうが、しかしマジョリティとマイノリティの不平等の縮小という点では、残念ながらこのやり方はとくに何の効果も発揮しない。そこで行われるのはマジョリティの被害にもマイノリティの被害にも「平等に」対応するということであり、その結果「もともとある」不平等は、とくに是正されずにそのまま残ることになる。

 さて、選択肢はまだある。それは、一般的な攻撃表現を禁止した上で、ヘイトスピーチについてはより強く禁止する、というものだ。今回「ヘイトスピーチ解消法」を成立させた日本がとったのは、(きわめて不十分ながらではあるが)この選択肢だということになる。この法律について批判的なことを書き始めればこの連載の残りすべてを費やしてもおそらく足りないだろうが、しかしここで重要なことは、この法律によって止められるヘイトスピーチの分だけ、わずかながら、本当にわずかながらだけれども、マジョリティとマイノリティの不平等が是正されるということだ。日本でこうしたことが起こったのは、民族や人種にかかわる問題については、今回の法律が初めてである。

 できたばかりの「ヘイトスピーチ解消法」について、現時点で言えることはこのくらいである。おそらくこの後、この法律を使った、そしてこの法律をめぐった、さまざまな闘いが続くだろう。それについては、また別の機会に、ここでも書くことができればと思う。

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以上転載終わり。なお他の連載については、以下のページにタイトルのみ掲載されている。

http://www.garyusha.com/wp/?p=3385

社会学者

1976年名古屋生まれ。大阪公立大学大学院経済学研究科准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専門は社会学、社会思想、多文化社会論。近年の関心はヘイトスピーチやレイシズム、とりわけネットやAIとの関連。著書に『テクノロジーと差別』(共著、解放出版、2022年)、『レイシャル・プロファイリング』(共著、大月書店、2023年)など。訳書にエリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(共訳、明石書店、2014年)、ダニエル・キーツ・シトロン『サイバーハラスメント』(監訳、明石書店、2020年)など。

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