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日本の「難民政策」をこのままにしてよいのか――2023年入管法「改定」問題が浮かび上がらせたもの

明戸隆浩社会学者
2023年5月25日の大阪での抗議行動で用意されたプラカード(著者撮影)

「難民認定1人当たり12分」の衝撃

 2年前の2021年に続いて今年(2023年)も入管法「改定」案が提出され、連休明けの5月9日には衆議院を通過した。現在は参議院法務委員会で審議中だが、こうした法案の審議においては、一般的には衆議院を通った時点で「もう決まったこと」だとみなされるのが通例だ。法案の内容としても2年前とほとんど同じで、こうなってしまうとニュースにしにくいな、そう思っているメディア関係者もいるかもしれない。

 ところが、である。与党側からすれば「消化試合」にすら見えていただろう参議院の審議の過程で浮かび上がってきたのは、そもそも今回の「改定」の前提となっている日本の難民認定制度というものが、きわめてずさんな形で行われてきた可能性が高いということだ。

 そのそもそものきっかけとなったのは、参議院での審議に先立つ衆議院の審議の過程で、難民審査参与員の柳瀬房子氏が、2021年4月から2023年4月までのあいだに2000件の審査を行っていたことが明らかになったことだった。ある人が難民認定を受けられるかどうかというのは、言うまでもなくその人の命を左右するきわめて重大な問題である。そうした重大な問題にかかわる判断が単純計算で1人年間1000件というペースで行われていたことは、それだけでもより踏み込んだ検証を必要とする事態である。

 しかし話はそれで終わらなかった。5月25日の参議院法務委員会の理事懇談会に出入国在留管理庁が提出した資料で新たに明らかになったのは、2021年の柳瀬参与員の「処理数」(資料ママ)が全6741件中1378件、2022年が4740件中1231件だったということ(参与員は100名以上いるのでそもそもこれは異常に高い割合である)、そしてさらに、柳瀬参与員の2021年の勤務日数が34日、2022年の勤務日数が32日だったということだ。これは1日8時間労働を前提とした単純計算で1人あたり約12分という衝撃的な数字で、日本における「難民認定」がそもそも本当に機能しているのか、疑わざるをえない状況が目の当たりとなった。

 しかも5月25日に明らかになったのは、それだけではない。上の資料が提出されたのは午前中のことだったが、今度は午後の参考人質疑に登壇した浅川晃広氏が、柳瀬氏同様年間1000件を「処理」したことがあると述べ、その結果上のような問題が柳瀬氏個人についてたまたま生じていたわけではなく、日本の難民認定制度の中で常態化していた可能性が高まったのである。しかも浅川氏は書類に付されている出身国情報はほとんど見ないとも発言しており、1人当たり12分という「スピード処理」が具体的にいかなる形で可能となっているのかについても、その一端が明らかにされた。

1パーセントを下回る日本の難民認定率

 しかしこうした数字は、もう一つの基本的な、言い換えればこの問題にある程度以上の関心がある人なら誰でも知っているが、逆に言えばそうではない人には残念ながらあまり知られていない、重要な数字と合わせてみる必要がある。それは、日本の難民認定率が著しく低く、その数字が長く1%を下回ってきたという事実だ。他国では20パーセントから60パーセント前後といった範囲に収まる難民認定率の日本におけるこうした異様な低さについては、当然ながらこれまで何度も指摘されてきた。しかしこのことがどこまで広く知られているかについては心もとないところがあり、実際筆者が大学でこうした数字を授業で話すと、多くの学生は普通に驚く。

 さてこのとき、もちろん実態とはかけ離れた想定ではあるが、もし先ほどの「スピード処理」が、他国並みに数十パーセントの割合で難民認定を行っている場合の話であるならば、問題はそこまで切迫したものではない。もちろん1人につき12分しか時間をかけないこと自体は検証されるべき問題だが、それによって多くの人が救済されているのであれば、問題の深刻度は相対的に低くなるだろう。

 しかし実際に行われていることはそうではない。そこで行われているのは、1人当たり12分で機械的に「難民不認定」をひたすら連発していくという作業である。実際前出の柳瀬氏は、2020年以前のものも含む約4000件のうち、難民として認定したのは6人だけだったと述べている。こうしたこの間の日本の難民認定の実態については引き続き国会の場で明らかにしていく必要があるが、とりあえず今目の前にあるデータから想定されるのは、一部の参与員に明らかに分担が偏る形で、はじめから結論ありきで機械的な「不認定」が繰り返されていた事態である。

今回の入管法「改定」案が「悪法」である理由

 そして今国会で起きているのは、こうした2つの事実、すなわち一人当たりの認定にかける時間の異様な少なさと難民認定率の異様な低さということに、まるで何の問題もないかのような前提で、入管法「改定」案の成立が目指されているということだ。

 今回の「改定」案の最大のポイントの一つは、難民申請を原則2回までとし、3回目以降の申請については相当な理由がない限り強制送還の例外とはしないということである。現状では、先に見た難民認定率の低さのために、何度も不認定を出されながら申請を繰り返さざるをえない人は少なくない(他国とのギャップを考えれば、不認定に納得できない人が大量に出るのは当然のことである)。しかし今回の「改定」案が通れば、3回目以上の申請を行っている人のほとんどは強制送還の対象となる。今回の「改定」案が今日本で難民申請を行っている人にとって恐怖なのは、まず何よりも、そもそも難民として認められる可能性がきわめて低い日本で、それでもわずかに残っている希望が失われる点にある。

 しかし実際には、問題はそれだけではない。今回の「改定」案は、政府提出法案である以上ある意味当然のことなのだが、現在の法制度が正しく機能しているという前提で出されている。そして日本の難民認定の現状が「正しい」と考えることは、ほぼ必然的に、悪いのは何度も申請を繰り返す当事者なのだという認識をもたらす。こうした認識に立つと、救済されるべき当事者はすでに救済されているのであり、今生じているのは本来難民として認められるはずのない人がただ自分勝手にごねているにすぎないことになる。その結果そこで難民不認定とされる人は、やむをえず救済を得られなかった人ではなく、制度を悪用、濫用し、難民でもないのに難民のふりをして本来得られるはずもない権利を得ようとした人、となるわけだ。

 これは、本当に恐ろしいことである。筆者がこの点にもっとも強い問題意識を抱くのは、おそらくこの間ヘイトスピーチの問題に長くかかわってきたこととかかわりが強いだろうと思う。ヘイトスピーチについては2016年のヘイトスピーチ解消法(対策法)で最低限の法的対策がなされており、ヘイトスピーチは許されないという考え方は、この10年ほどのあいだに驚くほど日本社会に浸透したところがある。しかしその上でここで指摘しなければならないのは、ヘイトスピーチの典型として知られる「出ていけ」「殺せ」といった強烈な表現は、必ずしもそれだけでヘイトスピーチとして機能するわけではないということだ。

 ヘイトスピーチは「差別煽動」とも訳され、字義通り差別を煽って増長させるところにその最大の特徴がある。そしてこのとき、ある言葉が「煽動」つまり人をある行為に駆り立てるほど強力な効果を及ぼすには、一定の前提が不可欠である。それは、そこで攻撃対象とされる集団が攻撃する側から見て「他者」つまり自分たちとは異なる集団だという認識であり、そしてそうした集団に属する人が劣っていたり、逆に凶暴であったり、あるいは弱者のふりをして利権を得ていたりするといったように、何らかの理由で「攻撃してもよい」と感じさせることである。つまり「出ていけ」「殺せ」というヘイトスピーチは、「こいつらは攻撃してもよい。いやむしろされて当然」という前提が醸成されたときに、はじめて広く社会に影響を与えるものになるのだ。

 筆者が今回の入管法「改定」案が本当の意味で「悪法」だと感じるのは、まさにこの点にある。今回の入管法「改定」案は、これまで日本で行われてきた一人当たり12分、難民認定率1パーセント以下という明らかに偏った難民政策を正しいとみなしてそれをより強固なものにしようとするものであるのはもちろん、まさにその効果として、今すでに苦しんでいる多くの難民申請者に「制度の悪用者」のレッテルを貼り、救済されなくて当然、強制送還されて当然という立場に追い込むものである。そこでは日本政府の表面的な「体面」が守られる(かのように見える)のと引き換えに、本来であれば救済されるべき多くの難民申請者が、悪のレッテルを貼られて制度から、そしてこの国から排除されていく。

初めて正面から問われる日本の「難民政策」

 さて、ここまで何度も登場した「入管法」の正式名称は、「出入国管理及び難民認定法」という。前身は1951年に出された出入国管理令で、現在の名称になったのは1982年。その直接的なきっかけは前年に日本が国連難民条約に加入したことだったが、この時期はまだ日本における外国籍者のほとんどを旧植民地である朝鮮半島出身者が占める状態であり、いわゆるニューカマー向けの制度整備の多くはこのときにはじめて取り組むべき課題として浮上した。つまり戦後日本の外国人政策は、むしろ難民問題への対応に牽引される形で始まったのである。

 しかしその後は、1990年の入管法改定をはじめ重要な改定が繰り返される中で、難民認定の問題は常に入管法にとって周辺的な論点であり続けてきた。近年もっとも大きな改定は新たな在留資格として特定技能1号2号を導入した2018年の改定だが、このときも論点になったのは少子化の中で人手不足に陥っている業種の「労働力」をどう確保するかという問題だった。また冒頭でも触れた2021年に試みられて撤回された「改定」は、確かに内容的には今回とほとんど変わらないものではあったが、実際そこで論点になったのは入管収容者への不当な待遇であり(言うまでもなくこれは今回においてもきわめて重要な論点である)、日本の難民認定制度の問題が正面から問われたわけではなかった。

 こうした中で今回、認定率1パーセント以下という日本の難民認定制度の問題が、1人当たり12分という事実と結びつくことで、あらためて問われる形になっている。すでに触れたように、さまざまな政策課題の中でも周辺に置かれやすい外国人政策の中で、さらに周辺に位置づけられてきた難民政策については、多くの人が正確な情報を持ち合わせていない。そうした状況でこのまま今回の「改定」が成立することは、つまり多くの人が知らないところで、難民申請者をまともに人として扱わない国としてのスタンスが完全に確立してしまうということだ。繰り返すが、この「改定」案は制度の側ではなく、申請を繰り返す申請者が「悪」なのだという印象を社会に植え付ける。そこで「悪」のレッテルを貼られた人たちが今後いくら声を上げても、もともと大きくないその声は、そうしたレッテルのもとで完全にかき消されてしまうだろう。

 つまり今回の「改定」案で問われているのは、目の前の難民申請者の命と、そして今後数十年にわたる日本の難民政策の方向性である。まず必要なのは、前者の観点からこの「改定」案を白紙に戻すということだ。そしてその上で、本来あるべき難民政策のための議論の場が、あらためて設定される必要がある。

社会学者

1976年名古屋生まれ。大阪公立大学大学院経済学研究科准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専門は社会学、社会思想、多文化社会論。近年の関心はヘイトスピーチやレイシズム、とりわけネットやAIとの関連。著書に『テクノロジーと差別』(共著、解放出版、2022年)、『レイシャル・プロファイリング』(共著、大月書店、2023年)など。訳書にエリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(共訳、明石書店、2014年)、ダニエル・キーツ・シトロン『サイバーハラスメント』(監訳、明石書店、2020年)など。

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