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公文書改ざん訴訟で赤木氏の控訴棄却 税金で森友事件の真相究明を阻止した岸田文雄首相の言行不一致を追う

赤澤竜也作家 編集者
2023年12月8日、衆議院予算委員会での鈴木俊一財務大臣(左)と岸田文雄首相(写真:つのだよしお/アフロ)

わたしは真実が知りたい。夫がなぜ亡くなったのか、その真相を知りたい。

そんな意図で行われた赤木雅子さんの訴えはまたしても退けられた。

学校法人森友学園の土地取引をめぐる公文書の改ざんを強要され、夫である赤木俊夫氏が自殺に追い込まれたとして、妻の赤木雅子さんが佐川宣寿元財務省理財局長に対して起こしていた損害賠償請求訴訟の控訴審で12月19日、控訴棄却の判決が言い渡された。

実はこの裁判、国と佐川宣寿元理財局長の2者に対して起こされたのだが、一審の途中で国が「認諾」という手続をとって終結させてしまったため、佐川氏への請求のみが残っていた。

原告は上告の意思を持っており、まだ裁判は終わっていないが、そもそも佐川氏への訴訟は苦戦が予想されていた。「公務員個人は職務行為について損害賠償責任を負わない」という最高裁の判例が立ちはだかっていたからだ。

あらためて国との訴訟が「認諾」という形で終わらされていなければと思わざるを得ない。なにしろ雅子さんと原告弁護団の最大の目標である財務省関係者の証人尋問が視野に入った段階で、いきなり国民の税金を使って裁判を強制終了させられてしまったからである。

決めたのは現在、過去最低の支持率で迷走を続ける政権の主、岸田文雄首相その人だ。

まずは赤木雅子さんのこれまでの闘いを振り返ってみよう。そのうえで、岸田首相は森友学園事件についてどう語り、どう対応してきたのかを追う。(以下、肩書きは当時のものを使用)

2020年3月18日、文春スクープと同時に提訴

週刊文春2020年3月26日号(18日発売)に掲載された相澤冬樹氏のスクープ記事。モノクログラビア3ページを含む計15ページにわたる特集は大きな反響を呼び、同誌は53万部を完売した(筆者撮影)
週刊文春2020年3月26日号(18日発売)に掲載された相澤冬樹氏のスクープ記事。モノクログラビア3ページを含む計15ページにわたる特集は大きな反響を呼び、同誌は53万部を完売した(筆者撮影)

週刊文春誌上において相澤冬樹氏による『森友自殺財務省職員 遺書全文公開』というスクープ記事が放たれた2020年3月18日、雅子さんは国と佐川氏を提訴した。

訴状の冒頭にはその目的として、

①なぜ亡俊夫が自殺に追い込まれなければならなかったのか、その原因と経緯を明らかにする。うやむやにされ、本件自殺が無かったことにされることは、到底受け入れられない。

②行政上層部の保身と忖度を目的とした軽率な判断や指示によって、現場の職員が苦しみ自殺することが二度と無いようにする。

③誰の指示に基づいてどのような改ざんが行われ、その結果、どのようなウソの答弁が行われたのか、公的な場で説明する。

の3項目が掲げられ、記者会見では雅子さんの、

「いまでも近畿財務局のなかには話す機会を奪われ苦しんでいる人がいます。本当のことを話せる環境を財務省と近畿財務局には作っていただき、この裁判ですべてを明らかにしてほしいです。そのためには、まず佐川さんが話さなければならないと思います。いまでも夫のように苦しんでいる人を助けるためにも、佐川さん、どうか改ざんの経緯を、本当のことを話してください」

というコメントが読み上げられた。

俊夫さん自死は野党ヒアリングに責任?!

雅子さんは訴訟の提起に先立ち、人事院に対し、俊夫さんの公務災害の認定についての近畿財務局との協議に関する書類の開示請求を行っていたのだが、出て来た71ページにわたる文書はほぼ黒塗り状態だった。訴状ではこの書類の開示も求めていた。

夫がなぜ死んだのか。その理由が国の内部の資料にどう書かれているのか知りたかったからである。

財務省は2018年6月4日「改ざん調査報告書」を発表している。しかし、ここには誰が、いつ、どのように改ざんを指示したのかまったく書かれておらず、俊夫さんの名前すら出て来ない。どこをどう読んでもなにが起こったのかまったくわからない、およそ調査したとは思えない酷い代物だった。

提訴の1ヵ月後には近畿財務局に対し、同じく公務災害の認定に関する人事院との協議文書の開示請求を行った。しかし、1ヵ月後に開示されたのは、わずか10ページだけで、残りの文書は「新型コロナによる緊急事態宣言に伴う処理可能作業量の減少」などを理由に1年後に開示決定をすると伝えてきた。

雅子さんと弁護団はこの内容を不服として、2020年7月6日、不作為違法確認の新たな訴訟を提起。

ふたつの裁判で並行して公務災害の協議書類を出すよう求めたのである。

2020年12月7日、国はようやく損害賠償請求訴訟の証拠として近畿財務局側の公務災害の認定に関する書類559ページを裁判所に提出した。

そこになにが書かれていたのか?

俊夫さんの死について、「原因及び公務による災害と認められる理由」という欄には、超過勤務が続いたこと、さらに国会議員(民進党の調査チーム)が2017年2月21日に大阪の近畿財務局まで赴いて行った「森友学園の土地取引についての野党ヒアリング」において上司・同僚を攻め立てているところを目撃してショックを受けたこと、同年7月13日に弁護士グループが森友学園との土地取引をめぐって背任と証拠隠滅で財務省・近畿財務局職員を刑事告発したことによって心労がたたったことなど、という記載があった。

俊夫さんが改ざんを強要されたことで亡くなったとはひと言も書かれていない。

まるで野党議員の森友学園問題追及と、弁護士グループが真相究明のために起こした刑事訴追を求める訴えが死の原因だといわんばかりの書きぶりだったのである。

赤木ファイルでも国は遅延行為を連発

たびかさなる遅延行為の後、証拠として国から提出された赤木ファイルの1枚目。「現場の問題認識として既に決裁済みの調書を修正することは問題があり」「本省審理室担当補佐に強く抗議した」とある(弁護団提供)
たびかさなる遅延行為の後、証拠として国から提出された赤木ファイルの1枚目。「現場の問題認識として既に決裁済みの調書を修正することは問題があり」「本省審理室担当補佐に強く抗議した」とある(弁護団提供)

俊夫さんは生前、「改ざんの経緯について記した文書をドッジファイルに綴っていた」と妻に語っており、のちに「赤木ファイル」と呼ばれるようになる書類についても訴状のなかで提出するよう求めていた。

その後、何度も求釈明で問いかけたのだが、国は「決裁文書の改ざんの経緯や内容等の事実には争いがない」から出す必要はないの一点張り。要は裁判には関係がないと言い続けていたのである。

原告はしかたなく2021年2月8日「文書提出命令」を申し立てる。裁判所の方から「出せ」という命令をしてくれとお願いしたのである。

その後、3月22日に非公開での進行協議(裁判所と当事者双方が集まって訴訟の進行について協議する期日)が行われたが、国は「探索中」という言葉をオウム返しのように繰り返し、「あるのかないのか」、「どこをどう探しているのか」を問われても、それさえ明らかにしようとしない。訴訟を始めた時点で赤木ファイルの提出を求めていて、それから1年以上が経っているにもかかわらずである。

裁判長は国に対し「仮に存在するのであれば、証拠調べの必要性がないとはいえないから、任意で出すよう検討して欲しい」と述べ、拒否すれば文書提出命令を出すとほのめかす。

5月6日になってようやく6月23日までに出すと回答。その前々日の6月21日になってようやく提出されたのである。

改ざんは「昭恵氏隠し」から始まっていた

俊夫さんが命を削ってまで書き残した改ざんの経緯を綴る文書にはなにが残されていたのか。

財務省から近畿財務局に初めて改ざん指示があったのは2018年2月26日午後15時48分のメールだった。「現時点で削除しておいた方がいいと思われる箇所」として改ざんするよう、もともとの書類に網掛けしてあった部分はというと、

「本年(2014年)4月25日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人から『いい土地ですから、前に進めてください。』とのお言葉を頂いたとの発言あり」

「産経新聞のインターネット記事(産経WEST産経オンライン、関西の議論)に森友学園が小学校運営に乗り出している旨の記事が掲載。記事の中で、安倍首相夫人が森友学園に訪問した際に、学園の教育方針に感涙した旨が記載される」

というところ。

昭恵夫人の存在が森友学園に格安で国有地を売却することにつながったと読める箇所から削除をはじめたのである。

公文書の改ざんは安倍昭恵氏隠しからスタートしたのだった。

2014年4月25日、安倍昭恵氏が森友学園の籠池泰典理事長、諄子夫人とともに瑞穂の國記念小學院の建設予定地へ行った際の写真。この日の昭恵氏の発言が決裁文書にあり、最初の削除対象となる(関係者提供)
2014年4月25日、安倍昭恵氏が森友学園の籠池泰典理事長、諄子夫人とともに瑞穂の國記念小學院の建設予定地へ行った際の写真。この日の昭恵氏の発言が決裁文書にあり、最初の削除対象となる(関係者提供)

証人尋問が視野に入った矢先の出来事だった

赤木ファイルは行政文書やメールをプリントした紙資料であり、そのメールの添付文書に洩れがあったものもあれば、返信のないメールも含まれていた。赤木ファイル公開後の裁判ではその内容を詰めるべく、原告と被告・国との間で書面のやり取りが行われた。

2021年10月13日に行われた口頭弁論期日後の非公開での進行協議において、裁判長は原告被告に対し証人尋問の予定を問うたという。その後の記者会見で生越照幸弁護士は「尋問の対象者が多数に及ぶであろうし、傍聴人も集まるだろうから早めに大法廷を押さえておかなくてはならないということらしい」と話した。

裁判所は複数人への証人尋問に極めて前向きである感触が得られたのである。

いよいよ公文書改ざん事件について、当事者の口から真実を話してもらうことができるのだ。理財局長として改ざんの方向性を決定づけたとされる佐川宣寿元理財局長、改ざんの実行犯である中村稔総務課長や田村嘉啓国有財産審理室長らは、事件についてなにひとつ語っていない。

そんな思いが打ち砕かれたのが、非公開の場で行われた2021年12月15日の進行協議の場だった。

国の訟務検事はいきなり「原告の請求を被告は認諾したいと思います」と言ってのけたのだ。

裁判長はあわてて六法を繰り始めた

原告の生越照幸弁護士が「それでしたら、こちらは請求の拡張をします。変更の申立てをいたします」と言い返したのだが、裁判長は、「認諾という行為がなされた時点で終了してしまうのではないか」と問い返す。

「訴訟手続として、率直に言って、卑劣なやり方としか言いようがありません。実際になにがあったのか明らかにしようと考えているときに、こういうことをされるというのは信義則に反します」と生越弁護士はあらためて抗議。

裁判長は、「ちょっと待ってください。いま条文を見てみます」といって六法を繰り、「民訴法261条3項に定義がありまして、そこでは(訴えの取り下げが口頭でできるのは)口頭弁論、弁論準備手続または和解の期日とあって、ここには進行協議期日は書いていませんね」と言うと、国の訟務検事は、「民事訴訟規則95条2項です」と、そう問われるのを予想していたかのようにキッパリと言い放つ。

言及された条文には「訴えの取下げ並びに請求の放棄及び認諾は、進行協議期日においてもすることができる」と書かれていた。

民事の裁判官ですら、すっとは出て来ないような法の抜け道を使ったのである。

弁護団が強硬に抗議したため、裁判官たちはいったん離席して合議したのち、戻ってくると、

「原告がおっしゃるように真実解明は大切なことだというのはわかります。しかし、被告が全部受け入れますというのを裁判所がおかしいと言うことは民事訴訟の原則からしてできません。真実究明はあくまでも処分権の枠内でするというものです。国との訴訟は終了し、認諾の調書を作成することになります」

と宣告した。

「今日、夫はふたたび殺されました」

非公開の進行協議期日の後、記者会見した赤木雅子さん。「頭が真っ白になるくらいビックリした。なぜ夫が亡くなったのかを知りたいと思って起こした裁判。夫にどう報告しようか悩んでいる」と語った(筆者撮影)
非公開の進行協議期日の後、記者会見した赤木雅子さん。「頭が真っ白になるくらいビックリした。なぜ夫が亡くなったのかを知りたいと思って起こした裁判。夫にどう報告しようか悩んでいる」と語った(筆者撮影)

ここで雅子さんが口を切る。

「わたしにひとこと言わせてください」

裁判長は「どうぞ」と発言を許可した。

「わたしは夫が国に殺されたと思っています。今日、夫はふたたび殺されました。みなさんはこれが終われば生活に戻られる。ですが夫は二度と、この世に戻ってきません。こっちを見てください。あなたたちは国の代表かもしれませんが、夫を殺した代表でもあると、これからずっと思って生きてください。裁判所にもわたしは憤りでいっぱいです。全然勉強していないので法律がどんなに大切なものなのか知りませんが、わたしも殺されたような気がして今日は帰ります。わたしの気持ちは、これからも変わりません。ここに来られた人たちの顔を一生忘れずに、これからも生きていこうと思います。以上です」

「こっちを見てください」と言われた国側の代理人たちだが、うつむいたまま顔を上げることはなかったという。

当初、雅子さんは国家賠償の請求額を100万円にするつもりで、その訴状も出来上がっていた。途中で現在の弁護団である松丸正弁護士、生越照幸弁護士に交代した際、「請求額を上げないと、100万円なんかではすぐに認諾されてしまう」と言われ、1億円超に変更したという経緯があった。

目的は真相究明である。そのため、絶対に認諾で逃げられない金額で提訴したはずだったのだが……。

国家賠償請求訴訟における認諾はヤバい案件だけ

全国各地の裁判所においては、毎日にように国を被告にした裁判が行われている。傍聴した者なら誰でも知っていると思うが、訴えられた国はどんな訴訟でも全力で反論してくる。非を認めることなど絶対にない。

それほど日常的に行われている国家賠償請求訴訟において、例外的に国が認諾したケースは雅子さんの件以前に4件。そのうち金銭請求については3件だけである。(2020年2月14日衆議院予算委員会・古川禎久法務大臣答弁)

ひとつ目は1996年7月、検察官が起訴後に接見指定したことに対し、受刑者が損害賠償請求を求めた事案で認諾額は60万円。

ふたつ目の認諾は無罪判決を得た村木厚子・元厚生労働省局長が「事実と異なる一定のストーリーに沿った調書が大量に作成された過程が検証されていない」として、国と大坪弘道元大阪地検特捜部長ら3人の検事に対して起こした訴訟で行われた。国は認否を保留し続けた挙げ句、提訴から10ヵ月後の2011年10月に村木さんの休職中の給与分など3777万円について認諾。検察官たちの証人尋問を回避した。逮捕・起訴を決裁した検察庁幹部への責任追及を避けるためと思われる。

情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長が、米軍基地の日米地位協定に関する日米合同委員会の議事録開示請求をめぐり起こした訴訟も異様な展開だったという。審理において日米の担当者間のメールを裁判官にインカメラされることが決まった。ところが国は提出期限が来てもメールを出さず、その後2019年6月になって突如、認諾した。金額は約110万円である。

つまり過去の国賠訴訟においての認諾は、国家がなんとしても隠蔽したい案件についてのみ行われているのである。

雅子さんの認諾も佐川宣寿理財局長や中村稔総務課長らの証人尋問を阻み、森友学園事件の真相を闇に葬るために行われたことは間違いない。

1億1千万円はこの国の「認諾」の歴史において、ダントツの史上最高額だ。出所はもちろん国民の血税である。地方自治体は地方自治法96条13で、損害賠償裁判での和解や認諾には議会の議決が必要なのだが、国の場合は予算にあらかじめ計上されているので、個別の使途についてはフリーハンドなのだそうだ。

「重大な過失はなかったと考えています」

2017年の通常国会で森友学園に対する国有地売却について答弁する佐川宣寿理財局長。のちに発覚した財務省公文書改ざん事件においては「方向性を決定づけた」とされているが、おおやけの場では説明をしていない
2017年の通常国会で森友学園に対する国有地売却について答弁する佐川宣寿理財局長。のちに発覚した財務省公文書改ざん事件においては「方向性を決定づけた」とされているが、おおやけの場では説明をしていない写真:つのだよしお/アフロ

国家賠償法には国または公共団体が支払った賠償金について、公務員に故意または重大な過失があったときにはその公務員に対して「払え」と求める権利(求償権)があると書かれている。

では改ざんを方向付けたとされる佐川宣寿理財局長や実行犯である中村稔総務課長に払ってもらえばいいのではないか。

立憲民主党の階猛議員に、その旨、問われた鈴木俊一財務大臣は、

「(財務省の職員に)重大な過失があるとは考えておりません。したがいまして、国家賠償法に沿いまして、国には請求権は有してないと考えております」

と答弁している。(2020年2月14日衆議院予算委員会)

税金で佐川氏や中村氏の証人尋問を阻止しながら、彼らに請求はしないというのだ。

赤木ファイルのなかの財務省と近畿財務局との間のメールには「(佐川)局長からの指示により、調書につきましては、現在までの国会答弁を踏まえたうえで、作成するよう直接指示がありました」とある。

指示という言葉が二度も出て来るなど、あくまでも故意の指示があったのだ。ところが鈴木大臣は故意には触れることなく、重大な過失はないと言ってのける。

ちなみに地方公務員の場合は住民訴訟という手がある。裁判を起こして求償権を行使しろと問えるのだが、国家公務員には使えない。

上級国民はやりたい放題なのである。

国はいまだに改ざんと自死の因果関係を認めていない

なお208回通常国会において鈴木財務大臣は何度も、

「今回の訴訟においては、赤木さんが当時、森友学園案件に係る様々な業務に忙殺され、本省からの決裁文書改ざん指示への対応を含め、厳しい業務状況に置かれる中、国として安全配慮義務を十分尽くせなかったことについて、国としてその責任を認め、認諾したものでございます」

と述べている。

一見、改ざんについて触れているようにも見える。しかし、改ざんが原因で俊夫さんが亡くなったと言っているわけではない。むしろ「厳しい業務状況」「安全配慮義務を十分尽くせなかったことについて」の部分が重要だ。

赤木俊夫さんは公文書改ざんと応接録の廃棄を強要された。それは有印公文書変造・同行使、公用文書毀棄罪にあたる犯罪行為である。

会計検査院の検査に際しては、あるはずの書類を出さずに検査対応するよう強いられた。これは会計検査院法違反である。

また俊夫さんは森友学園事件についての情報公開請求に応対する業務も行っており、22回にわたって存在する書類を「不存在」と虚偽の回答をすることに加担させられた。情報公開法に明確に反する行為である。

(独自)赤木俊夫さんは、情報開示請求への対応でも違法行為を強いられていた。

俊夫さんは「業務」が原因で「安全配慮義務を怠ったため」、みずからの命を絶ったのではない。

違法行為を強要され続けたから自死したのである。国はその点についてまったく触れることなく税金を使って裁判を強制終了させた。そして国はいまだに改ざんと死との因果関係を認めていない。

気持ちを「しっかり受け止めた」岸田首相は……

赤木雅子さんの損害賠償請求訴訟を認諾した翌日の参議院予算委員会で野党議員の質問に答える岸田文雄首相。「この問題について説明を求められた場合に真摯に説明を尽くしていく」と明言した
赤木雅子さんの損害賠償請求訴訟を認諾した翌日の参議院予算委員会で野党議員の質問に答える岸田文雄首相。「この問題について説明を求められた場合に真摯に説明を尽くしていく」と明言した写真:つのだよしお/アフロ

訴状に書かれた訴訟の目的を知りながら、その意思に反して強制的に裁判を終わらせたのが岸田文雄首相である。

そもそも政治家・岸田文雄氏の森友学園事件に対する態度はブレブレだった。

自民党の総裁選に名乗りを上げていた2021年9月2日、BS-TBSの番組のなかで森友学園問題の再調査の必要性について問われたところ、「調査が十分かどうかは国民側が判断する話」「国民が納得できるまで説明を続ける。これは政府の姿勢として大事だ」と言い切り、疑惑に切り込む姿勢を見せたかのような態度を示した。

しかし、安倍晋三元首相が高市早苗元総務相を担ぎ上げる動きを見せると、9月7日には「すでに行政において調査が行われ、報告書も出されている」と述べた上、「再調査等は考えていない」と一気にトーンダウンする。

2021年10月4日、岸田氏は内閣総理大臣に指名された。

赤木雅子さんは10月6日、「夫が正しいことをしたこと、それに対して財務省がどのような対応をしたのか調査してください」と、公文書改ざん問題の再調査を求める手紙を発送する。

岸田首相は10月8日の夜、官邸で記者の取材に応じた際、雅子さんからの手紙について問われたところ、「届いております。読みました。しっかりと受け止めさせていただく」と述べたものの、再調査の有無には答えなかった。

少なくとも岸田首相は赤木雅子さんの気持ちを「しっかり受け止めた」はずだった。

ところがそのわずか2ヵ月後、真相究明のために起こされた訴訟を強制終了させるべく、認諾に突き進む。

「認諾」でなにを隠したかったのか?

佐川宣寿理財局長や中村稔総務課長らの証人尋問でなにが明るみに出るのを怖れていたのか。

改ざんが行われる4日前である2017年2月22日の夕刻、佐川氏や中村氏、国土交通省航空局幹部らは首相官邸の菅義偉官房長官のもとで会議を行った。結論がでなかったのか、その日の夜に再度、議員会館の菅官房長官の部屋に集まって善後策を協議している。この席で決裁文書に昭恵氏の名前が出ていることも報告された。

なんらかの意思決定が行われていた可能性が高いのだが、なにを話され、なにが決められたのかは定かではない。

誰が、どのように改ざんすると決めたのかについて、明らかになっては困る人がおり、その人物への配慮から、岸田政権は雅子さんの希望を踏みにじる認諾を強行したのではないか。そう考えるのが極めて自然である。

ともあれ、岸田首相は2021年12月14日の夕刻、財務省より「認諾する方針である」との報告を受け、ゴーサインを出した。(12月17日参議院予算委員会・小池晃議員の質問)

この質疑において、岸田首相は、

「今回の裁判において、まずは公務災害認定に関する資料、さらには、いわゆる赤木ファイル、これについては提出をし、真摯に対応してきた」

と述べている。しかし、訴訟を追ってきた者として「真摯に対応してきた」という言葉は虚偽であると言い切れる。

先にも述べたよう、公務災害認定に関する資料は、別途の情報開示請求や追加訴訟を起こされ、追い詰められてやむを得ず出してきたにすぎない。赤木ファイルを提出したのは訴訟提起から1年3ヵ月も後のこと。しかも裁判所が文書提出命令を出すことに前向きであるとわかってからも、国会閉幕まで引き延ばすべく遅延行為を続けた。国の訴訟に向かう姿勢は真摯という言葉からほど遠かった。

岸田首相はおなじ質疑のなかで、

「森友学園問題については今後も様々な場において真摯に説明を尽くしていく」

「わたし自身も、こうした国会の場等を通じて、様々な場を通じて、説明責任を、様々な要求に応じてこたえていかなければならないと思っています」

とも述べている。

この発言から2年の年月が流れたものの、その後、なんらかの説明がなされた形跡はない。

作家 編集者

大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業後、公益法人勤務、進学塾講師、信用金庫営業マン、飲食店経営、トラック運転手、週刊誌記者などに従事。著書としてノンフィクションに「国策不捜査『森友事件』の全貌」(文藝春秋・籠池泰典氏との共著)「銀行員だった父と偽装請負だった僕」(ダイヤモンド社)、「内川家。」(飛鳥新社)、「サッカー日本代表の少年時代」(PHP研究所・共著)、小説では「吹部!」「白球ガールズ」「まぁちんぐ! 吹部!#2」(KADOKAWA)など。編集者として山岸忍氏の「負けへんで! 東証一部上場企業社長VS地検特捜部」(文藝春秋)の企画・構成を担当。日本文藝家協会会員。

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