(独自)公文書改ざんを苦に自殺した赤木俊夫さんは、情報開示請求への対応でも違法行為を強いられていた。
6年前、学校法人森友学園への国有地売却をめぐる不透明な取引実態が取り沙汰されたことにより火が付いた森友学園事件。当時、財務省や近畿財務局には土地取引に関する文書の開示を求める請求が多数寄せられた。しかし財務省および近畿財務局は、国と森友学園とのやりとりなどを記録した「応接録」が存在していたにもかかわらず、「文書不存在」として不開示決定を連発。「あるのにない」と言っていた事例が財務省9件、近畿財務局37件の計46件あったことはすでに明らかになっている。
筆者は近畿財務局に対しこれらの不開示決定のプロセスを記した行政文書の開示請求を行い、このほど届いた書類を確認したところ、赤木俊夫氏がウツを患い、休職に追い込まれた2017年7月20日までの間で、虚偽の不開示決定をするに至る決裁・供覧文書22件のすべてに彼の名前があることがわかった。起案者は黒塗りされていたが、起案部署は「管財部 統括国有財産管理官1」。まさに赤木俊夫氏がいた部署なのである。
これまで複数の報道関係者が同様の開示請求をしたものの、黒塗りのものしか出されていなかった。今般、俊夫氏の夫人である赤木雅子さんの開示を求める自筆の要望書を添付したところ、近畿財務局が開示したものである。
生きていれば還暦を迎えていたはずだった。
3月28日は赤木俊夫さんの誕生日。生きていればちょうど60歳を迎え、赤いちゃんちゃんこを着て還暦を祝っていたはずである。彼が命を絶ったのは5年前の3月7日。パソコンに残された「手記」には財務省の指示による公文書改ざんの実態や、官僚たちが国会で虚偽答弁を重ねている様子が詳細に綴られている。
ワープロで打たれた文書の7ページ目末尾には以下のような文章が残されていた。
「この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、
ずっと考えてきました。
事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。
今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。
(55才の春を迎えることができない儚さと怖さ)
家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。
私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さ、こんな人生って何?
兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。
さようなら」
誕生日を3週間後に、そして春の訪れを目前に控えながら、彼は生き延びる力を失ってしまっていた。
赤木俊夫さんは公文書改ざんだけで追い詰められたわけではない。
赤木俊夫さんについて語る際、「公文書改ざんを苦に命を絶った」と定型文のように説明される。公文書変造罪、公用文書毀棄罪にあたる犯罪行為を上司から強要され、やってしまったのだから、ある意味では正しいのだろうが、それだけが原因というわけではない。公文書の改ざんは2017年2月26日を皮切りに3月下旬まで断続的に行われたが、彼が強要されたのはそれだけではなかった。
近畿財務局は2017年の4月と6月に会計検査院の特別検査を受検している。この検査の際、赤木俊夫さんは財務省から派遣された田村嘉啓国有財産審理室長(当時)とともに隣席し、検査官の質問に答えているのだが、存在するはずの応接録や法律相談文書も「あるのにない」と言うよう本省より命じられたと「手記」には記されている。会計検査院法は「帳簿、書類その他の資料若しくは報告の提出の求めを受け、又は質問され若しくは出頭の求めを受けたものは、これに応じなければならない」と定めていて懲戒規定もある。法律を正面から破るよう財務省より強要されていたのである。
そして今回、赤木俊夫さんは情報開示請求に対し、虚偽の回答をすることに加担させられてしまっていたことが明らかになった。情報公開法は行政文書が原則的に開示されるとしており、不開示事由を厳密に定めている。「あるのにない」というなど、情報公開法第1条に定める「政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする」という法の精神そのものを踏みにじる言語道断の行為なのだ。
赤木俊夫さんは休職に至るまで、国民からの情報公開請求に対し、22回も「ウソ」をつくよう強いられた。彼の心をむしばんだのは、数々の違法行為の強要の累積だったのである。
命じたのはもちろん財務省本省の幹部たち。そして、誰が指示を出したのか、なぜ改ざんのような大それたことを行ったのか、どのように命令は伝わったのかがまったく明らかにならないまま、事件に関わった官僚たちはみな立身出世を遂げている。