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投獄中の活動家が「母親業」をできていないことに社会が注目するリスクとは ノーベル平和賞から考える

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
モハマディ氏の代わりに代理出席する家族がオスロに到着(写真:ロイター/アフロ)

女性は常に、さまざまな形で責められる立場にいる。そのことを筆者はノーベル平和賞の取材をしながら思っている。

今年のノーベル平和賞の受賞者はイランの人権活動家である女性ジャーナリストのナルゲス・モハマディ氏だ。12月10日はノルウェーの首都オスロで授与式が開催される。

イランでの女性への抑圧と闘い、すべての人の人権と自由を推進するために闘ってきたことが受賞理由だ。

モハマディ氏は2003年のノーベル平和賞受賞者であるシリン・エバディ氏らが設立した人権団体「人権擁護センター」の副代表であり、女性やマイノリティー、抗議する権利、死刑制度の廃止、死刑囚の人権擁護などのために闘ってきた。

これまでに13回逮捕されており、現在は10年の懲役刑に服している。合計5回の判決を受けており、合計で31年の懲役と154回の鞭打ちの刑を宣告されている。

本人はイランで服役中のために、9日にオスロで開催された記者会見に代理出席をしたのは、フランスに住むイラン人の夫と17歳の双子の子どもたちだった。

国際メディアが注目する「引き離された母と子どもたち」

「平和賞はイランの市民社会をエンパワーメントするものとなる」と夫のタギ・ラフマニ氏は語った。

記者たちが特に注目したのは、離れ離れになったままの母親と双子たちの関係だ。モハマディ氏のほかにも、イランで服役する女性の活動家たちの多くは共通のエピソードを持っており、「投獄中に引き離される母親と子どもの問題」にはスポットライトが当たりやすい。

娘のキアナ・ラフマニ氏は「母に会えるのは30年か40年後かもしれない」とすぐに再会できるという思いは抱いていないことを記者会見で隠すことはなかった。

「子どもを犠牲にしてまで活動する彼女」

さて、ここでは「犠牲」について考えてみたい。

前述したように、ノルウェーや国際メディアは人権活動家として母親が長い間刑務所にいるために、「母と子どもたちが引き離されたまま」「母親に育てられた記憶がほとんどない」ということなどに着目する傾向がある。

「母にいつ再会できるか分からない」などの記事タイトルは、ネットで読者にクリックしてもらうための「感情を揺さぶる導線」として使われやすい。

しかし、ここで私たちはふと立ち止まって考える必要がある。

過去には多くの国で男性の人権活動家もこれまでたくさんいて、刑務所に入れられて子どもたちに会えずに、育児に参加することはできなかった。

しかし、刑務所にいる男性の人権活動家(もしくは偉大な活動をしてきた男性が)「育児に関われずにいる」「子どもと会えずにいる」ことは同じレベルで指摘されてきただろうか。

ここにあるのは、「母親なら育児をして、子どもと共に時間を過ごすべき」という私たちの先入観ではないだろうか?

刑務所にいるから「母親業をできずにいる」ことが注目されることに、ある種の違和感を抱いていた筆者だったが、まさにそのことを指摘する女性たちがいた。

なんらかの母性を期待してしまう私たち

記者会見が開催された同じ日の夕方、オスロにあるクリスチャニア大学カレッジではイランの人権、女性、闘いを考えるための展示会が開催されていた。トークショーにはイランの背景があるスウェーデンやノルウェー在住の専門家が4人集まっていた。

筆者撮影
筆者撮影

イラン生まれで映像監督、研究者、活動家であるるEssmat Sophie氏は、自らのスピーチの本題を始める前に、「ちょっと、ここ最近、モハマディ氏の受賞が発表されてから、心の中に引っかかっていることがあるので共有したい」と話し始めた。

「気になっているのは女性人権家に抱かれる母性についてです。社会は何らかの形で母親としての何かを期待してきます。私たちは刑務所には多くの男性の囚人、父親がいることも知っています。しかし、母親に対しては、服役中であるから子どもの面倒を見れないことについて、ある種の悪者扱いをするイメージがあるような気がします。母性や子どもたちを犠牲にしてまで活動することに『勇気がある』と驚かれながら、同時に悪者扱いされているようなイメージです」

「モハマディ氏もこのことについて記述を残しています。彼女が自分で選んだ道のために、母性と子どもを犠牲にしていると、まるで何かに責められ、否定されているかのようなプレッシャーを感じてきたと」

「もし私が人権賞について話すとしたら、人権問題のために働く人々を認め、励まし、支援することで、人権賞がどのように認知されているのかということに着目し、その恩恵にあずかりたいと思います」

「活動する代わりに母親業をできていない」ことをリマインドさせる、罪の意識を背負わせる

この言葉を聞いて、筆者は最近のノルウェーメディアなどの記事を読んでいて感じていた「もやもや」はやはりこれだと再確認した。

オスロには今モハマディ氏と共に刑務所で時間を過ごした女性なども来ており、さまざまなメディアにインタビューされている。そこでもまた、同じように、「いかに母親として子どもと長い間離れており」「釈放後に家族との関係を再構築することがいかに困難なものであるか」「失われた子どもとの時間を再構築することに関する苦悩」などが強調される内容になりやすい。

人権のために闘っている女性たちなのに、彼女たちが家庭にいないことで、子どもの権利が問題視される。

記者は責めているつもりはないのだろう。だが、人権活動家が「女性」「母親」である瞬間に、「男性」「父親」たちよりも「子どもの育児に関われないこと」にさらに罪悪感を抱かせるような、女性のあるべき姿とは育児に費やす姿であることを「感じさせる」ような書き方や先入観には、これからはもっと慎重になるべきではないだろうか。

これはまさに働く女性リーダーや女性政治家に記者が「育児や家事の両立はどうしているのですか」と、同じように男性には問わないことに似ている。

世界中にはさまざまな形で社会を変えようと活動をしている女性たちがいる。その絶え間ない活動の姿を応援しながら、そのエネルギーに驚きながら、同時に「育児はしていないの」「子どもとどれくらい会っていないの」という質問のシャワーを浴びせることは、それを同じくらいに男性にも問わないのなら、何らかのプレッシャーをさらに彼女たちに背負わせることになる。まさに形を変えた道徳警察の一部に国際社会がなっているかのように。

「ああ、私が最近ノルウェーや国際メディアのモハマディ氏やイランの女性活動家に関する記事で感じていた『もやもや』はこれだったのだな」と、やっと今日認識ができたのだった。

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

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