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対立国キューバの果ての小さなアメリカ「グアンタナモ収容所」 今も続く9.11の爪痕(2)

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
Guantanamo bay, Cuba ©Kasumi Abe

【現地ルポ】2. キューバの果ての小さなアメリカ「グアンタナモ」とは?

広さは嘉手納基地の約6倍。キューバ唯一のマクドナルドも

グアンタナモに到着するや否や、海軍のエスコート担当者と専属ドライバー、すでに現地入りしている米記者らが出迎えてくれた。

グタンタナモ米軍基地の空港から、滞在施設がある向こう岸(下の地図2のグレーエリアの右側)へはフェリーで渡る。向こう岸とは、有刺鉄線で囲まれた法廷やテロに関与した首謀者の収監施設がある国家機密エリアでもある。

(地図1)

グアンタナモはキューバ南東部に位置。隣国ジャマイカから多くの労働者が出稼ぎにやって来る場所でもある。(地図の出典:グーグルマップに筆者が加工)
グアンタナモはキューバ南東部に位置。隣国ジャマイカから多くの労働者が出稼ぎにやって来る場所でもある。(地図の出典:グーグルマップに筆者が加工)

(地図2)

定規で区切ったようなグレーのエリアがグアンタナモ湾の米軍基地。(地図の出典:グーグルマップ)
定規で区切ったようなグレーのエリアがグアンタナモ湾の米軍基地。(地図の出典:グーグルマップ)

「基地」というより一つの大きな「町」?

グアンタナモ米軍基地の広さは約116平方キロメートル(以下km2)。116km2の面積に相当するのは日本では岐阜県の土岐市。基地というより「町」と表したほうが適当だ。世田谷区(約58.05km2)の2倍、日本国内最大の米軍基地である嘉手納基地(沖縄県、19.85km2)の約5.8倍と言えば、規模がなんとなくイメージしやすいだろうか。

基地内を見下ろせる丘の上へ。「ここはOKだよ」とエスコートの少佐。このように記者の撮影には常に許可が必要。Guantanamo bay, Cuba  ©Kasumi Abe
基地内を見下ろせる丘の上へ。「ここはOKだよ」とエスコートの少佐。このように記者の撮影には常に許可が必要。Guantanamo bay, Cuba ©Kasumi Abe

基地内には法廷や牢獄のほかにも、米軍関係者が生活する上で必要なスーパーやお店、郵便局、ホテル、バー、コーヒーショップ、派出所、消防署、学校、図書館、教会、ラジオ局などがある。

学校は小中高一貫校。出発前、空港の待合室で話した在校生によると、全校生徒は約200人だそう。

この「町」はアメリカ人以外に隣国のジャマイカ、そしてフィリピンの人々によって成り立っている。彼らは政府公認の出稼ぎ労働者。少数派だがキューバ人も住んでいるらしいが、「彼らは年を取り、年配の人ばかりになってきている」とある店のジャマイカ人マネージャーが教えてくれた。数年前に発生した山火事では、キューバからも消防隊が派遣されたそう。不仲の2国とされているが関係が完全に断ち切られているわけではなさそうだ。

1940年設立の基地内のラジオ局、ラジオGTMO(ギットモ)。DJ担当の若い海軍兵士は「80年代の曲が好きでよくかける」と話した。Guantanamo bay, Cuba  ©Kasumi Abe
1940年設立の基地内のラジオ局、ラジオGTMO(ギットモ)。DJ担当の若い海軍兵士は「80年代の曲が好きでよくかける」と話した。Guantanamo bay, Cuba ©Kasumi Abe

首都ハバナにさえない、キューバ唯一のマクドナルド。雰囲気も味も本土にある店舗と変わらない。Guantanamo bay, Cuba  ©Kasumi Abe
首都ハバナにさえない、キューバ唯一のマクドナルド。雰囲気も味も本土にある店舗と変わらない。Guantanamo bay, Cuba ©Kasumi Abe

基地内では私のような記者は、どこに行くにも単独行動を規制された。公共交通機関がないので、スーパーへの買い出しやレストランへはドライバーが送り迎えをする。店内は自由に行き来できるが、常に記者証の携帯を求められる。写真撮影も厳しいルールが敷かれ、撮影の際は許可が必要。敵のターゲットになるもの(燃料貯蔵タンクや風力発電機など)が写り込んだ写真は検閲で削除させられる。

1年の半分以上をここで取材する米記者によると、撮影規制は2021年以降に厳格化したそうだ。どうも軍の司令官が交代するごとに規制のポリシーも変わるらしい。

基地内の中心には「キャンプ・ジャスティス」という制限エリアが置かれている。ここにはグアンタナモ軍事委員会の法廷があり、プレスルーム、関係者が滞在する仮設住宅やミリタリーテントがある。これらは移動しやすい仮設方式で建設されている。

法廷や関係者の宿泊施設が置かれているキャンプ・ジャスティス(制限エリア)。検問所があり、通過のたびにIDを見せる。© Kasumi Abe
法廷や関係者の宿泊施設が置かれているキャンプ・ジャスティス(制限エリア)。検問所があり、通過のたびにIDを見せる。© Kasumi Abe

制限エリア内はこのような有刺鉄線が張り巡らされている。© Kasumi Abe
制限エリア内はこのような有刺鉄線が張り巡らされている。© Kasumi Abe

滞在中、我々のような訪問者は常に「監視」の対象だった。また質問のたびにその意図を尋ねられた。「防犯カメラが至る所に設置されている。中国みたいにね」とエスコート担当者。裏を返せばそれだけ治安が守られ安全が保障されているということらしい。ある関係者によるとここで働く人たちのアルコール摂取量は多く、酒に酔った末のいざこざがたまにあるという。それで派出所や留置所もあるにはあるが、盗難や窃盗被害などは起こらないらしい。私も到着2日目にはオフィスに貴重品を置きっ放し、滞在施設のミリタリーテントに至っては外出時に施錠することもなかった(そもそも鍵自体がなかった!)。

そもそもなぜキューバに米軍基地があるのか?

すべての始まりは、19世紀末の米西戦争に遡る。

スペインに植民地支配されていたキューバでは19世紀に独立運動が起こった。1898年の米西戦争でアメリカが勝利すると、キューバはアメリカの支援で1902年に独立することができた。

グアンタナモ米軍基地内の歴史資料館にて。©Kasumi Abe
グアンタナモ米軍基地内の歴史資料館にて。©Kasumi Abe

同時にキューバはアメリカの内政干渉を受け始め、翌1903年にグアンタナモ湾に面した土地の租借権がアメリカに期限なしで与えられることに。この土地に建設されたのがグアンタナモ米軍基地だった。

米同時多発テロ(2001年)後、地の利を生かし、テロの容疑者の収容キャンプ(収監施設、軍事刑務所)を当時のブッシュ政権が開設。テロから4ヵ月後の02年1月に収監が始まり、以来779人を監禁してきたが、これまで有罪判決を受けたのはたった7人(うち5件は司法取引による)。740人が別の国や場所に移され、9人が拘留中に死亡するなど人数は減ったが、今も30人が拘束されたまま。

この収監については複数の人権団体や活動家から繰り返し非難されている。キューバの土地かつアメリカの法律の効力が及ばない場所で「テロとの戦い」の大義名分のもと、収容者が起訴もされず裁判を受けることもなく長期勾留が正当化されてきた。また行き過ぎた人権侵害にあたる行為があったこともわかっている。長時間の睡眠妨害や水責め尋問などの拷問が与えられた被告は精神が病んだ。国際社会から批判が上がり、裁判に至る前の段階である公判前審問を複雑化、長期化させている。

土地を返してほしいキューバと応じない米国

1959年、キューバ革命を指導したフィデル・カストロが親米のバティスタ政権を打倒し社会主義に傾倒、アメリカなど西側諸国との対立が深まった。61年にはアメリカとキューバの国交が断絶。翌62年にキューバ危機を迎える。またアメリカはキューバに対して経済制裁を発動。冷戦が終わり2015年、オバマ政権下で両国は54年ぶりに国交が回復し、オバマ大統領(当時)が基地内の収容所の閉鎖計画を発表したものの、反対派が根強く叶わず。

この土地の租借は米海軍が放棄を決定するか、両国が同意した場合のみ終了することができる。キューバはグアンタナモの返還を要求しているが、いまだに基地として利用され続けている。

美しい景色が広がるグアンタナモ湾。Guantanamo bay, Cuba  ©Kasumi Abe
美しい景色が広がるグアンタナモ湾。Guantanamo bay, Cuba ©Kasumi Abe

これについてキューバ人の思いを知りたいと、筆者がハバナ訪問時に知り合った知識層の友人にメッセンジャーで聞いてみたところ、このような答えが返ってきた。

「キューバ共和国建国時に強要的かつ特定の条件下で署名し米国政府によって簒奪された我が国の一部です。 合法性とは別に、領土の一部をほか国の政府が統治するなんてことはあってはならないというのは共通の認識だと思います」

一方、グアンタナモの基地内ではその閉鎖について「これからも半永久的に起こらない」(20年以上この地で取材を続ける年配の米記者)、「孫の孫の孫の代まで起こらない」(現地のバーのジャマイカ人マネージャー)など、滞在中に幾度となくこのような言葉が聞こえた。

(つづく:対立国キューバの果ての小さなアメリカ「グアンタナモ収容所」 今も続く9.11の爪痕(3): グアンタナモで今起こっていること。軍事法廷で見えてきたもの

文中リンクほか参照

(Text and photos by Kasumi Abe)無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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