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マウイ島山火事から2ヵ月。被災地で新たな動きと復興の象徴「ウル」 #ニュースその後

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
(c)Kasumi Abe
  • 私は旅程が近づくにつれ「予定通り行っても大丈夫なのか?」と心配になった。果たして島は安全なのか?(本文より)

ハワイ・マウイ島山火事から2ヵ月

ハワイ州各地で今年8月に発生した山火事から2ヵ月になる。中でもマウイ島北西部の人気観光地ラハイナは、街が全焼するなど特に甚大な被害が及んだ。

ラハイナでは8月8日、火が丘の方から数時間以内に周辺の住宅地や商店街に燃え広がった。火の手が上がったのは2170エーカー(約8.8平方キロメートル)で、少なくとも2200棟(うち86%は住居)の建物が損壊したと報じられている

死者は最新の情報で、マウイ島だけで少なくとも97人。今も66人が行方不明になったままだ。

ハワイと筆者が住むニューヨークは同じアメリカ合衆国でありながら飛行機で約11時間もかかるほどの距離がある。よってどちらかの地域で災害や事件が起こったとしても、他方の地域ではまるで遠い国の出来事のように感じるのは致し方ない。8月の山火事についてもニューヨークの人々の受け止めは一様にそのような感じだった。

しかし私の心持ちは少し違った。発生した時点で奇しくもハワイ行きが予定に入っていたからだ。まるで爆弾が投下されたように街全体が一面焼け野原になった映像を見て背筋が凍り、気分が滅入る日が続いた。

さらに旅程が近づくにつれ「予定通りに行っても大丈夫なのか?」「果たして島は安全なのか?」と不安が増した。発生から27日目の9月4日にようやく鎮火したとの情報はあるものの、旅行サイトや航空会社からは「Is it okay to visit Maui right now?(マウイ島へ行っても大丈?)」や「Important information about your flight to Maui(マウイ行きのフライトに関する重要な情報)」という知らせが届くようになった。さまざまな情報をかき集め、このような情報に行き着いた。

  • 被災地では火災による危険物や有毒ガスが発生。環境保護庁はがれきに残る有害物質の除去を進めており一般の人は立ち入れない
  • 非常事態宣言が発令され不要不急の旅行が推奨されていないのはマウイ島西部。ほかのエリアは通常通り
  • マウイ島の空港での乗り継ぎはまったく問題なし。万が一旅程変更の場合は〜日まで追加料金なし

さらに以下のような情報もあった。

  • 経済を観光業に大きく依存するハワイ。山火事後、マウイ島の観光産業は大きな打撃。1日あたりの損失額は一時期、推定で約900万ドル(約13億円)
  • 特にラハイナ周辺はマウイの観光収入の約15%を占めていた
  • 観光収入が島の復興活動を支援する

つまり「旅行計画をキャンセルしないで」ということらしい。その一方で、ビーチで楽しそうに泳ぐ観光客の姿を尻目に、島の住民は複雑な心境になっているとも伝えられる。

おそらく観光客は少ないだろうと予想するが、どれもこれも現地に行かないことにはわからない。

アメリカ合衆国ハワイ州の地図

ハワイ州の主要な島は8つ。うち観光客が訪問できるのはオアフ島、マウイ島、ハワイ島など6島。 (地図の出典:グーグルマップに筆者が加工)
ハワイ州の主要な島は8つ。うち観光客が訪問できるのはオアフ島、マウイ島、ハワイ島など6島。 (地図の出典:グーグルマップに筆者が加工)

マウイ島(マウイ郡)の拡大地図

8月の山火事災害でもっとも大きな被害があったラハイナは、マウイ郡マウイ島の西部に位置(マウイ郡とはマウイ島など4つの島から成る)。(出典:グーグルマップに筆者が加工)
8月の山火事災害でもっとも大きな被害があったラハイナは、マウイ郡マウイ島の西部に位置(マウイ郡とはマウイ島など4つの島から成る)。(出典:グーグルマップに筆者が加工)

9月某日、鎮火後のマウイ島へ

山火事発生から1ヵ月が経った某日。私が予定通り搭乗した飛行機は、あと10分ほどでマウイ島カフルイ空港に到着しようとしていた。

飛行機は着陸態勢に入り高度が一気に落ちる。窓にマウイ島北西部の広大な景色が映った。一帯は山脈とその麓で全体的に黄土色だ。明らかにこの地が乾燥し干ばつ地であることが窺える。

無事、島に降り立つ。気温30度超え。青い空と美しい海、太陽の日差しはじりじりと暑い。人々はせせこましさがなく、大らかでおっとりした印象だ。店の対応も(ニューヨークに比べて)丁寧で良い!

通常運転の街、そして人々の様子を見て、少し前まで抱いていた心配が杞憂だったと感じた。空港、ホテル、観光地、ビーチとどこに行っても観光客で賑わい、報道で見聞きした被災地という印象をまったく受けない。ここはまさに「パラダイス」そのものだった。

美しい海が広がるマウイ島。サーファーがたくさんいた。(c)Kasumi Abe
美しい海が広がるマウイ島。サーファーがたくさんいた。(c)Kasumi Abe

陽気からの浮かれ気分は、島上陸後しばらく続いた。

北西部に行くまで・・・。

島北西部、ラハイナはこれまでの明るい光景から一転、同じ島とは思えぬほど世界が違った。

そこにはいまだ、火災の深い傷跡が残されていた。

庭にBBQ用のクッキング用品が残り、少し前まで普通の「暮らし」がここにあったことがわかる。(c)Kasumi Abe
庭にBBQ用のクッキング用品が残り、少し前まで普通の「暮らし」がここにあったことがわかる。(c)Kasumi Abe

道路に放置されたままの焼け焦げた車両。(c)Kasumi Abe
道路に放置されたままの焼け焦げた車両。(c)Kasumi Abe

私は被災地に向かう前、ハワイ在住の日本人コーディネーター、三谷かおりさんに話を聞く機会があった。三谷さんはテレビ取材の同行で複数回被災地入りをしており、ラハイナの最新事情に精通している。

被災前のラハイナについて、三谷さんはこのように教えてくれた。「もとは捕鯨の基地として19世紀前半に栄え、近年はマウイ島きっての観光の街でした。海沿いを走るフロントストリート沿いには店やレストランが並びとても賑やかだったんですよ」。

今は人影さえもない。どの住居も黒く焼け焦げ、屋根がなく、火災の強さを物語っている。かろうじて家具のようなものが残っていたとしてもそれが何だったのか判別がつかない。道路に残されたままの車両も黒焦げだ。

人はいないが、野良猫が多いことに気づいた。人に慣れているのかと思いきや、警戒している様子で近づいて来ない。(c)Kasumi Abe
人はいないが、野良猫が多いことに気づいた。人に慣れているのかと思いきや、警戒している様子で近づいて来ない。(c)Kasumi Abe

そうこうしていると、私はあるカップルに出会った。焼け跡に入って行く人影を見て住民だろうと多い、出てくる頃合いを見計らって声をかけた。

女性の方は私と目を合わせようとしないが、男性の方は何かを訴えたいような雰囲気で、私が声をかけると快く応じてくれた。

焼け跡に入って行く人。(c)Kasumi Abe
焼け跡に入って行く人。(c)Kasumi Abe

2人はこの地区に住んでいた夫婦で、今回の山火事により自宅を失った。

男性は火が燃え広がった8日について「とにかく朝からすごい強風だった」と振り返った。朝7時ごろから異変を感じとり、山火事の報を受け、正午過ぎには逃避を決めたという。火は一気に街を焼き尽くした。

火が街に燃え広がった原因は究明中とされているが、老朽化した送電線が強風で損傷し出火したとの見方もある。

「火が燃え広がったのはすぐそこからなんだ」。男性は自宅から目と鼻の先、現在進入禁止になっているすぐ近くの通りを指差した。「実は2018年も同じような火災が発生したんだ。そのときは規模が今回より小さかったけど」と言って、今度は逆の山の方を指した。住宅や店が集まっていた街のすぐそばに、このような乾燥した風景が広がっていることに驚く。このような証言からも、ここは火災が発生しやすい土地柄だとわかった。

(c)Kasumi Abe
(c)Kasumi Abe

あの日以来、夫妻は島のホテルで避難生活を送っている。そして男性はホテルから毎日、全焼した家に戻って来ているという。その理由は飼い猫と鶏に餌をあげるためだ。

「避難先のホテルではペットを今までのように飼えないから、毎日様子を見に来ているんだ」。この説明に、野良猫がやたらに多いのが合点した。

話をしていたら、少し離れた場所から疑心暗鬼な表情でこちらの様子を伺っていた女性もやって来た。

政府からの支援は足りているのか。今、何が必要か。私は2人に単刀直入に聞いてみた。

「足りてるいるかって?政府(FEMA、連邦緊急事態管理庁)からの支援金700ドルじゃ到底足りないわよね」。愚問だったからか、女性は浮かぬ顔で不満を漏らした。「ただし救いは赤十字。彼らの支援があるからこそ、私たちはこうやってホテルに住まわせてもらっています。本当にありがたい」。

島のハイアット系列のホテルに身を寄せている被災者が腕につけているタグ。(c)Kasumi Abe
島のハイアット系列のホテルに身を寄せている被災者が腕につけているタグ。(c)Kasumi Abe

そうこうしていたら、トラックに乗った近所の人と思しき男性が前を通りがかり、互いに「元気だったか?」と会話が始まった。自然と始まる近所づきあいを見て、この地が8月まで住宅街だったこと、ごく普通の人の営みがここにあったことが伝わってきた。

マウイ島はハワイでもっとも観光に依存している島の一つとされるが、山火事後に観光客が激減し、失業者が増えているという報道もある。お金を落としてもらうために観光に来てほしいと訴える島民もいれば、そんな観光客を冷めた目で見る島民もいると聞く。被災の当事者として実際の心境はどうだろうか。

「そうね...」と女性はしばらく考えていた。そしてこのように言った。

「自分もそうだけど観光業に従事している者からすれば、島に観光で来てほしい気持ちは変わらない。だからと言ってどんどん来て!というのも違う。今でもこんな状態なのだから観光客に写真をバチバチ撮られるのも...ね」。女性は一呼吸置く。「私が言えるのは...被災地支援のためにお金使ってくれるのだとしたら、どうか島の東部に行ってほしい。観光で西には来ないで、今はまだ」。

最後の質問として、将来ここに戻り以前のような暮らしをしたい気持ちはあるのかと尋ねた。「わからないわ。今は水が汚染され、そもそも水道が出ない状態だから」「だけど水や電気が復活したら、またいつかは…ね」。

彼らにとってはここがホームなのだとわかった。

去り際、自然と“God bless you”(神のご加護がありますように)」という言葉が私の口を衝いて出た。私たちは笑顔で別れた。

被災地での新たな動き

現地では、復興に向けいくつかの新たな動きが確認できた。

一つは、立ち入り規制の一部解除の動きだ。私の滞在中も、ゾーンごとにリオープニングに入る時期で、地元ニュースはその話題で持ちきりだった。

(さらに10月8日から、ビーチ沿いのホテルなど被災地の一部エリアやサービスが観光客向けに本格的に再開すると、ジョシュ・グリーン州知事による発表あり。一方、避難生活を送る一部の住民からは「観光の再開は早すぎる」との声もあるようだ)

ほかにも被災地では、さまざまな団体による支援活動が見られた。

公園や火災で無事だった住宅街には支援団体によるテントがいくつも立ち、缶詰の食料品、粉ミルク、女性用品などの生活物資が提供されている。ここで働くボランティアの人によると、これらの支援は火災前からあったが、火災後に数が増えたという。そして支援物資は被災者だけに向けたものではなく「すべての人のためのもの」と付け加えられた。

(c)Kasumi Abe
(c)Kasumi Abe

「山火事発生後すぐに行政も地元の人々も互いに協力し合い、迅速に対応していました」。先の三谷さんは、現地での支援活動についてこのように話す。

三谷さんによると、被災後2週間余りで、避難者すべてにホテルや民宿などが提供され、6つの避難所すべてが閉鎖された。またFEMA、赤十字、DNA鑑定やメンタルサポートなどの機関をマウイ郡政府がいち早く1箇所に集めて支援センターを作った。炊き出しや生活必需品を配るエイドステーションもボランティアの手であっという間にできたという。

「被災者に取材するとどの人からも感謝の言葉しか返ってきません。なのにSNSでさまざまな陰謀論を目にします。そのような吹聴は地元の人からすると悲しいのでやめてほしいです」(三谷さん)

支援団体に「24時間いつでも必要なものをお取りください」と書かれた食料の缶詰。(c)Kasumi Abe
支援団体に「24時間いつでも必要なものをお取りください」と書かれた食料の缶詰。(c)Kasumi Abe

日が暮れ始めるころ、私はこれらの支援テントの近くで、ある植樹がされていることに気づいた。

これについてもテントにいる女性に話を聞いたところ、その中の一人、ジョアンさんが「ハワイでウル*と呼ばれているフルーツの木なんですよ」と教えてくれた。

ジョアンさんによるとウルはハワイでよく知られたフルーツだが、今回の火災で多くのウルの木も焼けてしまった。

(c)Kasumi Abe
(c)Kasumi Abe

「ウルというのはハワイでブレッシング(恩恵)や希望の象徴なんです」

この小さなウルは地元の人の手によって数週間前にここに植えられ、水やりが行われているという。ウルの木は成長すると高さが15メートル、中には20メートルを超えるものもあるそうだ。このウルに込められた意味を知り、私は復興の希望を感じた。

  • *ウル:日本語でパンノキ、英語でブレッドフルーツと呼ばれるもの。ハワイではウルについてさまざまな言い伝えがあり「回復力、忍耐、安全」の象徴とも見なされる。ハワイ大学の資料によると「成長、増加、広がり」という意味合いもある。また子が生まれたときに「生涯、食料や栄養不足にならないように」と願ってウルの木を植えるという情報

(c)Kasumi Abe
(c)Kasumi Abe

私はジョアンさんに別れの挨拶をすると、彼女は「ここを訪れてくれてありがとう。A hui hou(ア・フイ・ホウ)」と、笑顔で見送ってくれた。ア・フイ・ホウとはハワイ語で「また会いましょう」という意味なのだそうだ。

このウル以外にも、ラハイナでは植樹や樹木の再生プロジェクトが進められている。火災前の緑豊かな風景を取り戻すべく、住宅所有者に種子、苗木、樹木を贈呈する計画もある。また、火災により焼け焦げたラハイナの象徴、バニヤンツリー(ガジュマルの木)も、火災から2ヵ月経った今、全体の3分の1は焼けたままだが、残りの木々は新芽が出るなど回復傾向にあるとの発表があった。

私が次回ここを訪れるころ、街の復興と共に再生の息吹が見られるバニヤンツリー、そして植樹されたこのウルの木はどれほど大きく成長しているだろうか。

(Text and photos by Kasumi Abe) 本記事の無断転載やAI学習への利用禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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