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アメリカ人にとって日本軍の「真珠湾攻撃」の記憶とは? ゼレンスキー大統領の演説引用の背景を探る

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
16日、米連邦議会でリモート演説を行った、ウクライナのゼレンスキー大統領。(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

戦時下において、オンライン演説を主要各国で精力的に行っているウクライナのゼレンスキー大統領。日本での国会演説はフランスと同じ本日、日本時間23日に行われる。

同大統領が各国にさらなる支援を求めることについて、日本では快く受け入れられないという声も一部で上がっている。事の発端は16日、同大統領がアメリカ連邦議会で「空からの攻撃で罪のない市民が殺されたことを思い出してほしい」と訴えながら、真珠湾攻撃(1941年)を事例として取り上げたことだ。

日本の立場からすると、米議会という重要な場で81年前の歴史を不意に持ち出された形となった。しかも大勢の民間人の犠牲者を出しているロシアの武力侵攻やテロリストによる9.11同時多発テロ(2001年)と照らし合わされた印象もある。同大統領は先週、ドイツ連邦議会での演説でドイツを批判した。今日午後6時からの国会演説ではどのような主張となるだろうか。

アメリカ向けの演説で、なぜ真珠湾攻撃の記憶が織り込まれたかについては、筆者なりに分析したのでこちらも参照してほしい。

オーサーコメント

本稿では今一度冷静になって、アメリカ人にとっての真珠湾攻撃とは何を指すのか考えたい。80年以上の時が経過してもなぜ人々の心に刺さる記憶のままなのか、またその記憶が蘇ることでどのようにウクライナへの共感につながったのかについても考察してみたい。

ゼレンスキー大統領が「共感」を呼んだポイント

まずは米議会でのスピーチを振り返る。ゼレンスキー大統領は冒頭で、このような趣旨の発言をした。

「ここ首都キエフは毎日、ロシア軍から空爆を受けている。しかし我々は最後まで諦めない」「ロシアの侵略に長年抵抗してきたウクライナの自由を愛する人々を代表し、このような機会を持つことができ光栄だ」

同大統領は、アメリカ人が建国史上もっとも大切にしている信条「民主主義、独立、自由」を取り上げ、「我々も同じことを望んでいる」と言ってウクライナ人にとっての理想郷を結び付けた。その上で、旧日本軍による真珠湾攻撃のエピソードが続く。

「1941年12月7日、空爆により空が真っ暗になった朝を思い出してほしい。そして2001年9月11日、領土が戦場と化し罪のない人々が攻撃されたあの日を」

「空からの恐怖」をもっとも想起させる事例を巧みに取り上げながら「我が国は毎日同じ状況だ」と述べ、あの場の議員や中継を聞いた米国民の「心」に訴えた。彼らに、アメリカ建国史上稀に見る「やられたあの日」の記憶が鮮明に蘇ったのは言うまでもない。

これらの共感を呼んだのは議会の場だけではない。バイデン大統領も演説を受け、ゼレンスキー大統領の要求に対して、迅速に対応した。

アメリカ人視点で「真珠湾攻撃」を考えてみる

そもそもの話だが、真珠湾攻撃は今を生きる多くのアメリカ人にとって、日本人同様に「生まれる前の遠い昔の出来事」であることに変わりない。

それでも、学校の歴史の授業で学んできたり、自分で調べたという興味がある人の知識量の豊富さに驚くこともある。

1941年12月7日、旧日本軍による奇襲攻撃により、最も壊滅的な攻撃を受けた真珠湾の海軍の戦艦「USSアリゾナ」。
1941年12月7日、旧日本軍による奇襲攻撃により、最も壊滅的な攻撃を受けた真珠湾の海軍の戦艦「USSアリゾナ」。写真:ロイター/アフロ

しかし、アメリカ在住の筆者が日本人であることで過去の大戦がらみの話題を振られたり、嫌な思いをした経験は、実は1度もない。

では実際に大戦を戦ってきた世代の人々の反応はどうだろうか。(あくまで筆者が体験した限りの話ではあるが)結論から言えば、退役軍人からも、真珠湾攻撃を含む戦時下の重い話を振られたことは一度もない。逆に筆者は、そのような人々から温かく迎え入れられたエピソードしかない。

例えとしてエピソードの1つは1990年、親友の祖父母の住むアパートを訪れた時のこと。無口なおじいさんは第二次世界大戦の退役軍人だった。当時夏休みを利用し渡米した筆者を夫妻は歓迎し、戦後日本から持ち帰ったという紙幣(硬貨だったかもしれない)のコレクションを倉庫から持ってきて見せてくれた記憶がある。祖母にあたるおばあさんも穏やかで優しい人で、訪れるたびにいつも美味しいピザを用意してくれる。おじいさんは数年前に大往生で他界したが、おばあさんは90歳を過ぎた今も健在だ。

別のエピソードは、オハイオ州の親友の祖母(数年前に90代前半で他界)について。彼女も戦時中、夫を戦地へ送り出した女性の1人だ。筆者との初対面に先立ち、日本人であることを告げられたおばあさんの反応は、友人曰く「あら、と少し心配そうな表情を浮かべた」そうだ。しかし初対面で会った彼女は温かいハグで迎えいれてくれ感激したものだ。共に過ごした短い時間の中で、彼女の心の奥底にあったであろう日本人へのわだかまりは、微塵も感じなかった。

戦地に夫を送り出した女性の多くは夫の不在時の家庭を守るために、J・ハワード・ミラーのポスター(We Can Do It!)のイメージよろしく芯の強い女性と言えるかもしれないが、どちらの祖母も筆者にとっては「優しく穏やかな心の広いおばあちゃん」という印象しか残っていない。

ただし、年代によって体験してきたことは大きく異なる。筆者が最近取材をした戦中生まれの日系人、古本武司さんは幼少時、日本人というだけで蔑称で呼ばれたり、毎年12月に真珠湾攻撃のことを友人に持ち出されたりして、いじめられてきたという。

なぜ人々はパールハーバー(真珠湾攻撃)を忘れないのか?

アメリカの人々のメンタリティをもっと知るためのものとして、ここに適当な記事がある。

2016年のワシントンポストのThe attack on Pearl Harbor united Americans like no other event in our history(真珠湾攻撃は、アメリカ史で、ほかに類を見ないほど人々を団結させた)は、興味深い。

米西戦争、第一次世界大戦、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン紛争などアメリカが戦ってきた戦争を引き合いに出し、「これらの戦争に対してアメリカ市民の世論は、指示派と反対派の真っ二つに割れた」という。

一方、太平洋戦争は違った。

「240年以上の歴史で、アメリカが真に団結したのが2度だけある」とし、ここでも真珠湾攻撃と9.11同時多発テロを取り上げている。記事は、同時多発テロ後の一致団結は一時的なものだったとある。「対テロ戦争の国内外の政策に関して世論は分断し、団結は忘れ去られた。そして未だに中東問題について議論がされ続けている(終わっていない)」。

「アメリカをもっとも一致団結させた」のがもう一方の、真珠湾攻撃の方だった。国民の士気を鼓舞し、人々はいっせいに立ち上がった。団結の機運は長期間高まったという。

1941年12月7日夜、当時のルーズベルト大統領のエレノア夫人が、全米ラジオ放送を通じて行った国民への呼びかけも引用された。「私たちは他人を助け、安心感を与えるため、求められることを何でもしなければならない。我々は達成できるだろう。我々は自由であり、決して(敵が)征服することができないアメリカ合衆国の人々だ」と訴えた。

真珠湾攻撃が起こる前、本土から遠く離れたこのハワイという小さな島についてはほとんど周知されていなかったそうだ。また陸海軍共に志願者は多くはなかったが、攻撃後は志願者が殺到したという。「​​ある街では、ほんの数時間で600人が入隊を志願した例もあった」

攻撃から3日後のニューヨークタイムズ紙も「陸海空軍、海兵隊、沿岸警備隊共に数千人の入隊希望者で溢れ、その数はこれまでの記録を打ち破った」と報じた。このように人々の士気の高まりが尋常ではなかったことを窺い知ることができる。

いっせいに立ち上がった国民。誰に命令されたわけでもなく国を守り抜くために自ら入隊した勇敢な兵士たち。すべては「民主主義、独立、自由」のために。記事自体は数年前のものだが、これらの記述は現在置かれているウクライナの状況と重なるものがある。

リサーチセンターのモダン・ウォー・インスティテュートが昨年12月に発信したWHY DOES AMERICA REMEMBER PEARL HARBOR?(アメリカが真珠湾を覚えているのはなぜか?)も、真珠湾攻撃にまつわるアメリカ人の深層部分を探る手がかりになりそうだ。

アメリカという国がこれまで関わってきた戦いの中には、太平洋戦争よりも甚大な犠牲を払ってきたものがあり、真珠湾攻撃によるダメージは一時的なものだったのに、なぜ人々がいつまでも真珠湾攻撃を覚えているのか。これについて、亡くなった兵士の勇気を讃えるためという理由はもちろんのこと、さらに記事は戦をチェスの対戦に例えながら、このように説明した。

「相手の駒に脅されるというのは、その駒に『質問を投げかけられている』状態を表す。答えとして2つの選択肢がある。1つは相手にポジションを譲る=つまり撤退するという選択。これにより短期的な損失を避けることはできるが、同時に長期的な侵略を招く恐れもある。もう1つの選択は、自分の立場を貫くということ。つまり戦い抜く意志を攻撃者に示すということだ」

この説明も、現在置かれているウクライナの状況を想起させる。

そして記事はこのように続く。「真珠湾を覚えているのは、アメリカがここで退くのか、それとも(我らにとっても、おそらくほかの国にとっても大切な)自由と平等のために戦い抜くのかという、もっとも重要な質問を問うものだったからだ」。

記事では、同様に自由と平等のために戦い抜いた南北戦争のさなかの1863年、当時のリンカーン大統領による(米国史上もっとも重要な演説の1つとされる)「ゲティスバーグ演説」 (Gettysburg Address)も引用されている。

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal. Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.

我らの父は87年前、自由の精神に育まれ、人はみな平等に創られているという信条を捧げて新たな国家をこの大陸に誕生させた。大きな内戦のさなかにある我らは今、自由の精神を重んじた国家が長く存続することができるかどうかを試されているのである。

さらに前述の記事では、太平洋戦争について「2国間の衝突ではなかった」とある。

「一方は抑圧と民族主義的侵略の時代の真っただ中にあった国家。もう一方は人々の自由を重んじる、自分自身を支配できるのは自分であるという考えの国家、この2つの『思想』同士の衝突だった」

真珠湾攻撃の翌日、当時のルーズベルト大統領はアメリカの「答え」として「侵略を克服するのにどれほどの時間がかかろうとも、アメリカは正義の力で絶対的な勝利を勝ち取るだろう」と演説した。真珠湾攻撃への対応を通し、自由の精神こそがこの世界で重んじられるべきものだということを決定づけた。

アメリカの人々にとっての真珠湾攻撃の記憶とは、81年経った今でも「自由、そしてそれを得るために払ってきた犠牲を人々の心に訴え続けるシンボル」として存在し続けているものだ。建国以来決して譲ることのないこの重要な精神のために、また自分の自由、そして他人の自由のために、国家が一丸となって戦わなければならないという教えを、戦争を知らない世代の私たちにも思い起こさせるものなのだ。

(Text by Kasumi Abe)無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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