ロシアのウクライナ侵攻で再び浮かび上がった「西側」の文化的本質(上) 「東からのまなざし」
「開かれた文化」と「閉ざされた文化」
「大西洋の陽光」と書いたが、実際には、大西洋には荒波もある。陽光という言葉が似合うのは地中海だ。エーゲ海の島々の白い街並、南仏の避暑地には心地よい陽光が満ち満ちている。僕はヨーロッパ中世の歴史は「地中海の都市の文化」の力が北上して「ゲルマンの森の文化」の力に融合する過程であったと大学で講義していたが、現代の「西側」が有する「海の力」は、大きな歴史観でとらえれば、地中海(ギリシャ・ローマ)の力が、大西洋(ヨーロッパ・アメリカ)の力へと発展したものだ。 かつてはむしろ東欧が、ビザンチン文化すなわち東ローマとギリシャ(ヘレニズム)の文化を受け継いでいたのであり、古代末期から中世初期の西欧は、内陸から移動してきたゲルマン人の社会で、文明的とはいいがたいものであった。しかし16世紀以後、その立場が逆転し、西欧文化は大西洋を介して世界に「開かれた文化」となり、東欧文化は「閉ざされた文化」として、西欧文化の劣位に置かれたのである。 「海の力」については別に詳述したいと思うが、ここでは経済的なものではなく文化的な「開かれた知」=「視野の拡大」に注目したい。ルネサンスによる古代美術のリアリズムへの目覚め、大航海による博物的な視野の獲得、活版印刷による知の拡大、天文観察や実験観察などを基礎とする科学革命など、西欧の「開かれた文化」は強力なダイナミズムに乗って発展し、産業革命による資本主義の発達に至るのである。当然のことながら、この「開かれた文化」はカール・ポパーのいう「開かれた社会」につうじるものだが、ここでは踏み込まない。 16世紀以後、ロシアという国が西ヨーロッパ=西側の発展に対してもつ憧憬と嫉妬が強くなり、歴史的怨念として蓄積されていく。
テロや戦争はその国の文化的内部矛盾から
しかしながら、そういった歴史的怨念が、ロシアや中国やイスラム社会の西側への挑戦の直接的な原因であるとは、単純にはいいにくい。先に述べたように、現代の国際社会で都市的享楽を派手に享受しているのは、ロシアや中国やイスラム社会の要人たちとその子息たちなのだ。僕は、戦争やテロリズムの真の原因は、そういった社会における、もてる者ともてない者との巨大な格差、民主主義国では想像できないような大きな溝、つまり内的要因ではないかと考えている。 軍事力、経済力、科学技術において、途上国は先進国に追いつくことができる。しかし風土と歴史に培われた「開かれた文化」と「閉ざされた文化」には、なかなか変化しない構造的な差異があるような気がする。 プーチンのウクライナ侵攻にはロシア社会の大きな文化的内部矛盾(もてる者ともてない者・開かれた者と閉ざされた者)が隠されているのだ。 今後ロシアは国際的な非難を浴びつづけるであろう。ドストエフスキーを読みチャイコフスキーを聴けば、この国の文化の奥深さが感じられるのであるが。