なぜ同級生の菅君は「新しい菅直人」になれなかったのか 残念だった「ヒットラー」投稿
菅直人元総理が日本維新の会に関連し「ドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす」とTwitterに投稿した件が物議を醸しています。建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、同級生で、旧知の仲である菅元総理の投稿をどのように受け止めたのでしょうか。
バークレイで感じた民族の恨み
カリフォルニア大学バークレイ校で客員研究員をしていたとき、単身赴任だったので、ロックフェラーが創設したインターナショナルハウスに入っていた。 「アイハウス」と呼ばれ、ニューヨークにも同じものがあるから、世話になった日本人は多いはずだ。留学生のための施設であるが研究者も多く、特にこのときはベルリンの壁が崩壊したあとで、東欧の学者が流れてきていた。僕は年の近い彼らとチェスの仲間をつくっていたが、あるコンピューターサイエンスの専門家は、他の専門家から天才といわれ、教授からも一目置かれ、研究奨学金を申請すれば必ずもらえるので、まったく就職する気がなかった。 アイハウスは三食つきだ。大きな食堂で、友人同士で集まって食べる。僕はよく議論をしかけるので「おまえはプロボウカティブ(挑発的)だ」といわれていた。ある議論で、ナチのホロコーストを話題にしたのだが、仲良くしていたポーランド人の比較文学者は「シゲル、どんな文脈でもヒトラーを例えに使うのはやめろ」と注意してくれた。彼はポーランド語、ドイツ語、ロシア語、フランス語、英語に堪能で、博士論文はフランス語と英語で書いていた。比較文化と文学の中の建築記述を研究していた僕とウマが合ったのだが、実はユダヤ系で、ポーランドにはナチに協力したユダヤ人もいてきわめて複雑なのだ。また東欧からアメリカに渡った学者たちはスターリンに対して似たような感情をもっていたし、オーストラリアからの学者は第一次世界大戦におけるガリポリの戦いで英国の指揮官がオーストラリア兵を無駄死にさせたことに対する恨みを口にした。 日本人はこうした、歴史の底に塗り込められた「民族の恨み」にうとい。そしてその多様な恨みを才能もろともに受け入れているアメリカは懐が深い。