「背負っていたものがなくなった」女優に憧れた手島優がパートナーを見つけ得られたもの
新年度は希望を抱えスタートすると同時に、環境が変わりストレスを感じやすい季節でもある。生存競争が激しく先の見えない芸能界で、常にストレスと不安を抱えていたのは、自称「自己肯定感の低い女」というタレントの手島優さん。「なりふり構わず自分の夢を目指したが、思っていたところにはいけなかった」と振り返る彼女だが、いま、ようやく「頑張らなくてもいい自分」を見つけたという。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)
想像もしなかった世間のイメージ
――ご自身では、どんなイメージで見られていると思いますか? 手島優: やっぱり、ちょっと下品で、危なっかしい陰なキャラクター。年増のくせに必死でグラビアやっちゃう痛い女、“崖っぷちキャラ”です。爽やかなイメージではないでしょうね。ドラマのオファーも大体、派手なエロいお姉ちゃんですし。芸能界に憧れていた時は、自分がそんなふうになるとは想像もしなかったですから、本当は嫌だったのかも。でも私、外見に自信がなくてコンプレックスをずっと抱えていて、若くてきれいな方と並ぶと勝てないですから、お仕事としてそういうイメージなら仕方ないというのはあります。 ――芸能界に入る前はどんな子どもだったのでしょうか? 手島優: 意外に思われるかもしれませんが、栃木の田舎町で大事に育てられたお嬢様です(笑)。実家は足利にあるお煎餅屋で、両親がお煎餅を手焼きして、兄2人と私が袋詰めを手伝うみたいな家庭で、めちゃめちゃ仲がいい。そんな環境で育ったので、本当の私は意外と素朴、と勝手に思っています。小中高は栃木にいて、生徒会活動をしたり、わりと勉強も好きでした。 ――そんな手島さんがなぜ芸能界に入ろうとしたんですか。 手島優: 子どもの頃は引っ込み思案だったんですけど、内心は人前に出てみたくて、クラスの人気者に憧れていました。それとテレビっ子だったので、ドラマ「東京ラブストーリー」に夢中になったり、一色紗英さんのポカリスエットのCMに憧れてお部屋にポスター飾ったり。いつか私も出る側になりたいと思うようになったのがきっかけ。で、同級生に誘われて、10歳で劇団に入り、電車を乗り継いで東京へ通っていました。そしたらクラスで目立ってしまい、いじめが始まりました。無視から始まって、いじめっ子から机を離されたり、机に花瓶を置かれたり、持ち物を隠されたり、ランドセル引っ張って倒されたり、「手島、ブス」と聞こえるように陰口を言われたり。 ――つらい経験でしたね。傷つきますね。 手島優: そうですけど、登校拒否まではいかなかった。なぜ耐えられたかというと、夢を叶えたいという気持ちがあって、自分がもう変わっていたから。レッスンで演技ができるようになると自信が持てたし、強くいなきゃいけないということを学びました。だから、「負けてたまるか」といじめを無視して、目標に向けて頑張っていると、どんどん性格が明るくなっていきました。それはよかったです。